第5話 因縁の犠牲
寒い身体を暖めた私と彼女は今度は向かい合って一緒にベッドに入り込んだ。
「去年は基樹君がとても恥ずかしがってて、本当面白かった」
「なんだよ、そんなこと思ってたのかよ」
「別に良いじゃん。それでさ……私がもし自殺したらどう思う?」
「そうなったら全部俺のせいだ。ずっと後悔するだろうし、けれど生きるよ。君の行きたかった分まで」
「一緒に死ぬよ」なんて自分には到底言えなかった。それだけの覚悟が無いわけないじゃない。けれどそれでは結局彼女にさらに依存してしまうから、そんなことを言った。
「急にごめんね。でもこれで決まった。私は絶対あなたと生きるよ。迷惑かけるかもしれないし、多分そうなるけど」
彼女は申し訳なさそうに、けれども自然にそう笑ったように見えた。
彼女と指を絡めながら眠る。「夜三時半」がいつまでも来ないことを願いながら。
夜三時半を迎えてしばらくした朝。私と彼女はテレビを見ながら今までのことを話していた。彼女が初恋の人に似ていた、ということは伏せて。
そしてきっと最後の三時半がやってくる。彼女は既に新幹線を予約したそうで、もうそれ以上一緒に入れることは無かった。
「ねえ、最後に渡したいのがあるんだけど、良い?」
「俺もあるよ」
「じゃあ同時」
私と彼女はお互いへのプレゼントを交わす。私から彼女へはマフラー、彼女から私へはとある飾りだった。
「これ、色違いで私も持ってるんだ。全国大会、ちゃんと袋にこれ着けてよね」
「分かったよ。じゃあ必ずマフラー付けて来いよ」
「全国大会夏でしょ? 殺す気?」
彼女はそう言いながらも顔は笑っており、数日早いクリスマスを迎えた。次もし会えても半年後、それだけが心の支えなのだろうか、去年ももちろん思ったが愛するものと離れるとこんなに辛くなる、ということを改めて知った。
数か月後、彼女は泣きながら全国に進めなかった、と泣きながら電話で伝えた。理由は至極単純で関東ブロックと東北ブロックではレベルがまるで違うから、だった。あっちの二・三軍がこちらの一軍を凌駕するようなレベル差なのだからそれも当然かもしれなかった。
「俺は東北通過したよ。確か大会今年は東京でしょ? 観戦しに来てよ」
「うん」
それから少しして全国大会がやってきた。運よく土日開催で現地集合することとなり、部活からは東京到着からチェックインまで半日分自由時間が与えられた。
「久しぶり!」
彼女は少しだけ儚げな笑顔で私を迎えた。
「俺修学旅行以来初めてだからさ。案内お願い」
「もちろん!」
彼女はようやくその相好を崩し、私と手を繋ぎながら歩いていた。
「キャー!」
「あ……」
そう声を漏らしてからようやく自らの置かれる状況に気づく。変に身体が熱を出していて、さらに変な痛みがする。彼女がこちらの方に焦燥とした表情を浮かべ、見下ろすとなぜか赤い何かが見えた。
「血?」
「僕のミナ、ミナを奪ったのはお前かー!」
「もう関わらないでって、言ってたでしょ!」
彼女が悲痛な声を上げ、私はその男と相対した。きっと彼女の売春時代の人なのだろう。それがストーカー化した、とかそんな類だろうか。こうも変に冷静に考えてしまう。
「基樹! 基樹!」
私はそんな彼女の声に見送られるように、そっと意識を落としそうだった。ここで人生が終わるのだろうか、と漠然と考える。男はきっとナイフか何かで刺してきた。素人ものでもそれぐらいだったら結構簡単に人は死んでしまうのだろうか。最期に彼女に「愛してる」とか、ちゃんと口で伝えたかったな、そんな考えも闇へと吸い込まれそうだった。
長い間どこかにいたような気がする。臨死体験かそれはよく分からないが、少しだけ暖かい感じがした。
目覚めるとそこは白い世界、といっても病室の中にいた。どうやら自分は生きていたようだった。それでも腹部の方に少し熱いものがあって、人生でこんな経験ホストぐらいじゃないか、としか思っていなかった。その後頭を衝いた考えは彼女のことと大会のことだった。麻酔がかかっているのは分からないが、無理やりナースコールを押す。
「若野さん! 良かったです。目覚めて」
「そうですか。私と同じところにいた女の人は?」
「ああ、あの方ですか。電話番号は聞いておりますので」
「あ、待って。今何日ですか。あれから何日経ってます?」
「あの時から二日の……今は午後一時です」
「……そうですか」
私は酷く落胆した。彼女がそれだけの間辛い思いをしていたことと、それから大会に棄権したことだろう。それも団体戦だから二人にとんでもなく迷惑をかけてしまった。
「すいません、その彼女の方に電話してもらっても良いですか。きっとまだ学校時間中だと思いますが。後私の学校にも。○○県の○○高です」
「分かりました」
看護師はそう言い、私は病室で自身に起きたことを少し考えていた。彼女はきっとあれから行為なんかしていない、って疑う気も無かった。となるとやっぱりストーカーじみてしまったワンナイト客だったのだろう。となれば一年半も追い続けた、ということだが人間の恐ろしさはきっとそういうものなのだろう。
それからしばらくすると扉が開く音がして、彼女だ、と一瞬思ったがすぐさまその方向に別人が映った。
「君が若野基樹君だね?」
「警察の、方ですか?」
「ああそうだ。それで君の彼女さんも逮捕することはない、と約束するが。ちゃんと聞かせてくれ」
「……彼女は何て言ったんです?」
「色々話してくれたよ。ウリをしていて、その時出会ったって」
「俺はそんなに分からないです。申し訳ないですが何も聞いてなかったんですから」
「そうか。それで君はこの男に刺された。そうだね?」
「ええ」
彼女はその写真を私に見せ、その男はもちろん一致していた。
「確かに素人だった。けれど衆人環視の場所じゃなかったら死ぬかもしれなかったよ。ただ臓器自体移植は必要ないそうだが」
「ええ」
「じゃあ少なくとも君はこの男に見覚えは無いね?」
「それは無いです」
「分かった。お大事に」
刑事ら数人は病室を去りその一時間、肩で息をしてきた彼女と再会した。
「基樹君……ごめんなさい」
彼女は私に抱き合うこともキスをすることもせず、その場所にずっといた。
「一つだけ黙っていたことがあったの。基樹君と付き合って一回だけあの男としたの。『もう関わらないから』って。言い訳でしかないんだけどね」
「うん」
「だから、もうあなたの彼女になれそうにないよ。もう果たせないよ。だから……別れさせて」
彼女はそれだけを告げて病室の扉を閉めた。私は彼女を引き止めたかったけど、もう無理なんだと悟った。私と彼女の愛はこうやって終わりを迎えた。これから数時間続くだろう昼の三時半だった。
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