第3話 正鵠を射る
それから私の生活が変わった、という訳ではない。ただ自分の全てを投げうってでも守る存在ができただけだ。それが高校生ごと、と思ってはいけない気がしたから。一生懸命に愛さなければ、と思ったから。ただ彼女とそれ以上はきっと憚られるんだろうな、と思う。ただ彼女に恥じぬ男になりたい、という欲求を満たそうとする自分がいた。
聖書に「ノアの箱舟」という話がある。あまりに堕落した人間に怒りを覚えた神は善良とされたノアとその家族、動物だけを生かし洪水を起こした。それを反省した神は「地の続く限り、種まきも刈りいれも寒さも暑さも、夏も冬も昼も夜も、やむことはない」と。神がそれを宣言してから数千年後、一応地球はその通り周っている。
その日は去年よりも寒い日でもしかしたら三時には日が暮れてしまいそうな、そんな日だった。渡されたパンフレットの選手紹介で彼女の名を見つけて嬉しくなった。また彼女に会える。彼女とは時々通話する程度でしかなかったから、本当に楽しみだった。けれどその前に彼女を追い抜くような結果を出さなくては、と緊張していた。それは結局の所優勝でしかないのだが。
試合会場に着くと既に彼女の姿があり、彼女は私にウインクしたきり何も言わなかった。しばらくしていると彼女からメールが送られてきた。
「ごめん、変にリアクションするとバレちゃうから」
「OK」
少しだけ彼女のことを意識して変に胸が高鳴る。
試合は前のように1/8を迎えた。相手は去年の相手とまさかのダブりだった。一応最後まで戦った相手ではあったがそれでも負けと言えば負けている。先攻は彼で、試合は一勝一敗の四対四。
「Ten!」
「Nine!」
「Ten!」
「Eight!」
「Seven!」
最後の一射、なぜか彼は五射目をかなり外してしまった。つまり勝機は多少はある、ということだった。ただそれはかなり厳しい物だが……と私は振り絞る。時間いっぱいまで調整せず、自然体で。
「X!」
私は膝から崩れ落ちた。二七対二七でX分こちらに分があった。彼女は口を開けて座り込んで、私は彼女のことを抱きしめておきたかった。けれど彼女と過ごすのはまだまだお預けであった。彼女はその場を去る私に視線を少しだけ向けて、私も周りにバレないように微笑む。
大会が終わり、1年ぶりの会話を果たした。
「去年ぶりだね」
「そうだね。結局優勝できなかったよ」
「でも3位じゃん。私までもう一歩」
「七海は優勝してるだろ。もう追い抜けねえじゃん」
「ま、いいじゃん。私にいつか並んでよ」
「頑張るわ」
「とりあえず三時半までここにいようよ」
「またバカにして」
「良いじゃん。私たちにとって一番大事な時間だよ?」
私と彼女は静かに手を繋ぎながら夜が暮れ、いつのしか陽の光がLEDに負ける瞬間を見届けようと思った。まだ彼女とは特段大きく進んでいない。あの時私と彼女は恋人になった。しかし傍から見ればまだ一日強しかない関係で、恋愛関係になるはずがないとなるだろう。それでも、私と彼女は彼氏、彼女なんだと思う。
三時半、私の予想は外れ去年と同じ、この時間に私と彼女の姿が窓に映った。
「あ」
「今日で付き合って一年、ちょっと短いか。とりあえずおめでと」
「じゃあ俺の家行こっか」
「そうだね」
私たちは恋人同士としてもう一度この道を歩く。きっと来年なんて受験でそれどころなんかじゃないから、構青春を謳歌できるのもきって今の内だけだから、と二人手を繋いだ。マイナスは行こうか、という今日にこの空間だけは暖かい炎が、静かに、けれど確かにそこで燃えていた。
どうしても彼女と過ごしたくて家族に頭を下げた。頼むからどこか旅行に行ってくれ、と。死ぬほど笑われたが何とかその許しを貰い、その条件に彼女と会わせてくれ、ということだった。
「基樹君のお父さんとお母さん、妹さんでしょ? 緊張する」
「別にそこまで気にしなくて良いよ。多分歓迎されると思う」
「その言葉信じてるからね」
そんなことを話しているうちに、自宅に着き家の扉を開けた。
「寒いし先入ってて」
「うん失礼します」
彼女がその扉を開けると待ちくたびれたかのように父と母、妹がこちらをガン見してきた。
「おお、君が彼女さんか!」
「はい。藤原七海、と申します。一年ほど付き合っております。一応粗末なものですが……」
「ええ、とっても別嬪さんなこと! 上がって上がって」
彼女を見た妹は私に向かい小声で
「あんな女と良く付き合えたね。どうやったの?」
「別に良いだろ。お前だって彼氏いる」
「でもあのレベルだったらすぐほかの男に捕まるのに。全く、な。泣かしたらぶっ殺すからな」
「そんぐらい分かってるさ」
居間で彼女は家族と話していて、私は彼女のアーチェリーケースだのリュックだのの荷物運びをしていた。彼女は一応お嬢様学校だ。こういう時の振る舞いはきっと大丈夫だろう、と思い下に戻ると父親に彼の書斎まで連れて行かれた。
「おい基樹。お前には似合わない程の彼女さんだよ」
「ああ」
「だから絶対泣かせるな。いや誰であってもだが、男は女に尽くすものなんだから優しくしろ。もしするとしてもゴムとかで避妊しろよ」
「分かってる」
「ならよろしい。いつかお前と彼女さんの結婚式、ちゃんと見せろよ」
「分かってるって」
父親は少しだけ嬉しそうな表情を見せながら階段を降りて行く。そんなことわかっていた。彼女はきっと大きい傷を負っている、それを無理やりこじ開けようなんてしない。彼女がそうしたいならそうする、自分には所詮それしかできないのだから。
階段を降りるとすっかり女性陣と仲が良くなったようだ。彼女のコミュ力に感服しているうちに家族は車を走らせ旅行へと出かけた。
「優しい人たちで良かった」
「そりゃあんだけ良くなってるからな。コミュ力お化けかよ」
「そんなことないよ。運いいだけ」
そう言って彼女は笑い、しばらく手を繋げながら過ごしていた。
「じゃあ一緒にご飯、作ろ?」
彼女はそう提案してきた。もちろんそれを断るわけが無く、二人で夕食を作りあれから一年のことを話していた。話題は尽きず、そしてその後のことを考える。これから彼女と自分はどのような関係になるのだろうか。目の前で笑顔で話す彼女はそれ以上に重い過去を背負っている。それは過去として捨てれるものでは無いし、今現在そうであって欲しくはないがそれでも私は受け入れようと考えているし、どうであれそうするだろう。
「ごちそうさま。ねえ、ちょっと基樹君の部屋行こう?」
歯磨きを終えた彼女はそんなことを言う。それはなんとなく彼女の過去についての告白なのだ、と思った。まだ片鱗しかそれを知らない。いくら自分が鈍感でもその話になるだろうとは容易に想像できた。
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