第2話 正直な欲求
「そういえば基樹君って好きな人いるの?」
「察してくれよ。いたらこんなの浮気って思われるだろ」
「確かに。親がいないだって絶好のチャンスでしかないからね」
「そういうこと。逆に七海は?」
「いるわけ無いでしょ。大会時以外男と関わらないんだから」
やがて火照った身体が平熱に戻る頃、彼女は私の部屋まで着いてきていた。
「いや、流石に俺の部屋はアウトでしょ。妹の部屋使いなよ」
「えー、仕方が無いな……。でもバレない? 匂いとか敏感だよ」
「じゃあ俺のベッドで良ければそこで寝なよ」
「そしたらあなたは?」
「ソファ」
「それじゃ風邪ひくって」
「じゃあどうすれば良いのさ?」
「うーん、一緒に寝るとか?」
「頭大丈夫か?」
私はそんな言葉を零す。
「大丈夫、大丈夫。なら背中合わせなら良いでしょ?」
「良くないと思うんだけど」
「良いの。別に私は気にしないから」
七海が気にしなくても、こっちが気になるという言葉を呑み込んで布団に二人くるまって寝ころんだ。
「こういうの初めてだからさ。緊張する」
「お互いさまで」
背中を合わせながら寝ているが正直まともに寝れる気がしない。恋人になればこういうものなのだろうか、という勝手な妄想をしてしまう。
「七海は高校卒業したらどこ行くか考えてる?」
「うーん、医学部には行くだろうね。でもお兄ちゃんがきっと継ぐだろうから。どっかの勤務医かな。逆にそっちは?」
「俺は……なんだろうな。大学も考えたこと無いわ。少なくとも君に釣り合う男にはなれないよ」
「へー、今から目指せば? 私が追いかけるようになるまで」
「昔から勉強してるんだろ? 敵うわけない」
「まー、そう言わずに……」
彼女はそう終わる前に長い睡眠の旅へと向かってしまった。それに気づいた私も、あくびが移るみたいに眠ってしまった。
次の日、何かに抱かれている感触を覚えた。視線を動かすとそこにはいつのまにか私の腕を抱いて眠る彼女がいた。私はそれを動かすことができず、しばらく天井を見つめていた。彼女は心なしか何かに縋っているように見えた。
「……死ねなくなっちゃった」
彼女は呟いた。それが寝言だとしても彼女の身に何かが起きているのは明白だった。私は彼女を無理の起こさず、まるで眠った赤ちゃんを起こさぬようにひっそりと脱出する親のように私はベッドを降りた。
「待って」
彼女は目を覚ましたのか分からないが確かに私を求めた。振り返ると彼女は座り直し、両手を広げた。
「私をめちゃくちゃにして。私の事必要にしてよ……」
彼女はどのような気分で話しているのか分からない。ただ、私はそれに対して馬鹿正直に受け入れるなどできなかった。できるはずも無い。私は彼女をもう一度寝かせトントン、と優しく手を置いた。彼女はもう一度、失神したかのように眠ってしまった。
私はネットで落ち着く飲み物、と検索して上に出てきたココアを注いでいた。その時ともに「心の相談ダイヤル」が上に出てきてもしや、と思った。
「おはよう」
「うん。これ、淹れたから」
「ありがとう。うん……」
彼女はそれに一口付けてから、
「ごめんなさい」
「どうしたの」とも「なんであんなこと言ったの」とも言えず、私はただ平然を装っていた。
「失望しちゃった?」
「ううん。……けれど七海ってすごいんだね。あれだけ大変だったのに今まで耐えてきたんでしょ」
気まずい沈黙が霧のように私と彼女の間を覆う頃、その帳を彼女が破った。
「私はさ。ずっと自殺したいって、何かするたびに思うの。いつからなんだろう、中学校かな、その時から」
彼女はその片鱗を私に教えた。彼女はそれについて特に表情を変えることなく告げていた。それを言い終わると彼女は私の前に立ちそっと私の頬を拭った。
「共感してくれてありがと。でも、どうしてそこまで優しいの?」
「どこかで会った気がする。どうしても初対面には思えなくてさ」
その見覚えがある人というのは自分の初恋の人だ、というのは付け加えず私は自分の分に口を付けた。
「ありがとう、ちょっとだけ気が晴れた」
彼女はそう言って、静かにテレビを見ていた。あと数時間もすれば彼女はここをきっと去るのだろうか。このまま去らせるのも申し訳ない気がしたが、けれど他に何も声を掛けられなかった。
「あのさ」
彼女は立ち上がり、私にメールのQRコードを見せた。
「これ連絡先。また来年会おうよ」
「ああ」
確かに彼女とはアーチェリーの大会でここに来る時しかどうせ会えないのだ。今年はたまたま旅行だったから良かったものの、である。実の所これから何度も会える保証なんてものは一つたりともない。だからこそ思いを伝えてしまおうか、と逡巡した。ただそれで表面上は安定した彼女との関係を壊したくなかった。
「ねえ七海?」
「うん」
「もし、本当に辛くなったら俺にしがみついてよ。こんなこと言える立場なんかじゃないけれどさ」
「言ってくれるだけでも嬉しい」
気づけば、彼女の学校に向かう新幹線駅へとさらに向かう電車の出発時間までもう数十分だった。時刻は三時半。今から行けば充分間に合う時間帯であった。
「じゃ、そろそろ行こうか。送るから」
「え、申し訳ないよ」
「別にいいじゃないか。最後まで一緒にいたいから」
「うん」
私は施錠し、彼女と夜の道を歩いて行く。辺りは最早昨日と変わらない、いやもう少し暗いだろうか雰囲気に包まれていた。しかし鉛色ほどの陰鬱さは無く、強いて言うならくすんだ銀色をしている。その中彼女と私の吐いた息がやがて一つの雲として世界に吸い込まれていく。
「ありがとう。楽しかったよ」
「なんだよ。今生の別れ、みたいに」
「あはは、来年、また会えたらいいのにね」
「何か事情でもあるの?」
「ううん。基樹君は優しいから誰かに取られてしまいそうでさ」
「それって、好きってこと?」
「うん」
少なくとも彼女の学校がある東京では間違いなく聞き取れないような声でそう告げた。私は彼女の事をそっと抱きしめて
「俺は好きだよ。七海のこと」
「私も」
とてつもなくベターな愛の言葉の交換の後、もう彼女は旅立たなければならなかった。
「来年、また会おうね」
キスはしなかった。キスしてそれで愛が成就しきるのが怖かったから。死刑囚が最期の食事のジョークでデザートか何かを「後で食べるよ」といい処刑された、というのを聞いたことがある。だからかは分からないが私と彼女はそう決めて私は彼女を見送った。たった二四時間の関係だった、というのに。人は人を愛してしまうものなのだ、ということを知った。遠くなる電車に私は彼女がせめて笑えていられるように、と祈った。
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