夜三時半までは
かけふら
第1話 勘違い
私は閉会式後の会場でボーとしていて、ふと窓の外の景色を眺めた。そこには自身の姿が映っていた。私は驚いた。いつの間にそんな時間を過ごしてしまったのか、慌てて腕時計を覗くとそれは三時半を示している。私はますますパニックになった。確か閉会は午後三時じゃなかったのか、であれば私は今まで半日も突っ立っていた、ということとなる。
「ちょっと、大丈夫です?」
後ろから声をかける人物に私は驚き、そして安堵した。自分と同じような境遇の人がいるじゃないか、と。
「あなたも俺と同じでしたか」
「……ええ?」
私は気づいた。そもそも会場が半日も放置されているなんてありえない、と。では今の状況は何なのだろうか。私はようやく理解した。三時半で既にこの場所が日暮れを迎えていたのだ、ということだった。
「ああ、申し訳ないです。とんでもない勘違いをしていたもので」
「どんな?」
私は振り返りその女性を見た。背丈は小さく、手には袋を握っている。その袋は彼女が表彰されていたことを示すものだった。
「今もう夜じゃないですか。それで時刻は三時半だったものでしたから、てっきり深夜までここにいたのかと」
「あはは! それは面白いですね」
「それにしてもあなたはどうして帰らないんです? 部活で来てるでしょうに」
「そしたらあなたも同じですよ。どうして帰らないのですか?」
「俺はこの町に家があるんですよ」
「あら、私も」
私はその答えに違和感を覚えた。同郷だったら再会したことに気づくはずだ。それにどう顔が変わっても彼女の小・中学生時代を辿ることはできない。
「そう思いますよね」
彼女は私の心を見透かすようにそう微笑んだ。
「とりあえずここ出ませんか? 施錠されたらおしまいですよ」
「そうですね」
私と彼女はその会場を後にして、冬で無ければ真っ昼間の道路を歩いていた。
「俺は若野基樹で、高一」
「あ、同じ学年じゃん。私は藤原七海」
藤原七海、という人物に私は聞き覚えが無かった。
「……ごめん、聞いたこと無くて」
「そりゃないよ。だって私ここが実家ってだけ。後はずっと全寮制のとこなんだ」
彼女は確か首都圏のどこか、場所は正直覚えてはいないのだがお嬢様学校、だと聞いたことがあった。
「あのさ。今暇だったりする?」
「俺の父が三日間出張で、俺の母さんも妹もこれ幸いと旅行してるんだ。まあ明後日帰ってくるよ」
「それで良いよ。……じゃあ明日の夜三時半まで」
「それはどっち?」
「どっちだろうね?」
彼女はフッと笑いそう答えた。
「あれが私の家だよ」
彼女はそう指さした場所はこの辺りの人が必ずお世話になるような病院だった。なるほど、と私は合点がいく。私の住む場所の病院は数軒も無く、あったとしても非常に高齢でこれから十数年続くのはきっとこの病院だけだろう、と言われていた。だからこそこの町が消滅しない限り儲かるんだろうな、と思っていた。
「そしたら門限厳しくない?」
「ううん。私帰るなんて一言も言ってないから」
「じゃあどうする気だったの?」
「都会の方までいってホテルでも、って」
それからしばらくしてようやく私の家に着く。私の家は恐らく彼女の家よりは絶対貧相だが、彼女はそれをおくびにも出さず、お邪魔します、と短く言った。
「ここが基樹君の家かー」
「何も楽しくないでしょ」
「ううん。こういう人生過ごしてみたかったんだ」
「どういうこと?」
彼女は家には勉強道具しかないし、いても何の娯楽も無い、と告げる。
「ほら、私で医者三代目だからさ。親がそれに順応できた人なんだよね」
「で、七海はできなかった、と」
「そういうこと。けどあの学校の奴らって、みんなそれが当たり前だって思ってるんだ」
「それじゃ大人になって厳しいんじゃない?」
「そうだね。けどそれが幸せならそれで良いんじゃない?」
「もしかしてアーチェリーってその影響?」
「まあ。要は医学部って身体使うんだよね。だからある程度スポーツもできなきゃ、て」
「でもそれで準優勝だっけ、化け物じゃん」
「そんなことないよ。あなたは1/8で1位に負けたけど最後まで競ってたじゃん。見てたよ」
「別に観戦しなくても良いのに」
「私の部活連中がみんな騒いでたよ。ほら、負けほぼ確のマッチだというのに最後までやってたじゃん」
私は彼女と話しながら外を見た。相変わらず私と彼女の姿が映る窓を見て私はもう一度ハッとさせられた。初恋の人に似ている、と。もちろんその話は保育園の時の話にすぎないが、十数年前の記憶が少しだけ掘り起こされた。その初恋の人と今この家にいる彼女は同じように色白の綺麗な目をしていた。
「ねえ、ご飯私が作るよ。泊めてくれたお礼」
「そう? 申し訳ないね」
「ううん。私が作りたいから作るの」
「そっか」
そこからしばらく、私は課題に取り組んでいた。彼女は私の数倍手際よくその料理を終え二人分を並べる。
「いただきます」
「うん、美味しい」
「へへ、そうでしょ?」
「ご飯食べ終わったら星でも見ない? 今日は晴れてるからきっと」
「いいね。でもその前にお風呂入ったらきっと気持ちよいよ」
「確かに。じゃあ洗っとくよ」
不思議な感覚だった。家に同年代の女性がいる。別にそれを利用しようなんて思わないがやはり新鮮な感覚になる。
一時間半後、お風呂を上がった私と彼女は二階のベランダで星空を見ていた。
「綺麗だね」
「ね、私の学校からは全然見えないや。空気が違うんだよ。なんていうか、表現に困るけど」
彼女はそう微笑む頃、夜は盛りを迎えていた。
「なんていうか私たち、良く気が合うね」
「そう?」
「うん。昔どこかで会ったような、そんな気がする」
私は初恋の人と彼女を合わせようとして、やめた。彼女は彼女で、初恋の人は初恋の人に過ぎないからだ。それを重ねてしまえば彼女にとても失礼だったからだ。
「そういえば明日出るんでしょ?」
「そういうこと。何か対価があれば良いんだけど。別にお金はいらないよ」
「じゃあ、なんだろう……」
「いや、こんな生活今まで無かったし、それだけで良いよ」
「本当に?」
気づけば私は夜空に輝く一等星なんかよりもそれに照らされる彼女のことを見つめてしまっていた。出会ってまだ数時間なのにただただ不思議だった。
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