第十三話 白と黒の翼・一
「みなさーん! 幹彦さんと志津さんから差し入れですよー!」
元気いっぱいの張った声が響き、登与ははっと顔を上げた。首をめぐらせると、先日村の若者品評で盛り上がっていた町娘が二人、それぞれ木箱を抱えて走ってきている。
これには登与だけでなく、他の者たちも作業の手を止めた。町娘たちのもとへわらわらと寄っていく。
山道の復旧作業は好天に恵まれて順調に進み、道を塞いでいた流木は撤去され、小山のような土砂も少しずつ小さくなっていた。滞在中の暇を持て余した旅人が賃金に釣られ、作業員が増えていったおかげだ。祭りには間に合わないが、今の調子ならあとひと月もすれば通ることができるようになるのでは、と楽観的なことを言うものもちらほら出てくるようになっていた。
町娘たちが木箱を開けると、途端に二つの温かな匂いが辺りに広がった。一つは焼き魚、もう一つはおにぎりだ。
重労働を始めて早数刻、起きてすぐに軽く食べたきりの身で、このご馳走を我慢できる者がどこにいるだろうか。作業員たちはただちに休憩をとることにした。土砂を捨てに行った若者には悪いが、彼もすぐ帰ってくるだろう。
町娘たちはさらに、近くの川で汲んできたという水も登与たちにふるまってくれた。持ってきた湯呑に水筒から注ぎ、一人一人に渡していく。
「悪いねえ、ゆき。こんなおっさんに振舞うはめになっちまって」
「ほんとそうですよ。力仕事だから、もっと同い年くらいの男がいると思ったんですけどね」
「まあまあ、源太がもうすぐ帰ってくるから」
「あいつは論外です」
よく日焼けした壮年の男が一応は助け舟を出すも、現実と夢のあいだで揺れる町娘の評価は手厳しいの一言に尽きる。あまりの即答とひどい言いようだからか、大人たちはげらげら笑った。
ゆきちゃんたちが厳しいのはまあわかるけど、おっさんどももひどいなあ。頑張れ源太。
さすがに哀れになってきて、登与は思わず心の中で応援した。
そんなふうに、食事休憩が賑やかに過ぎていく中。宿代の足しにと復旧作業をしている作業員の一人が辺りを見回して、目を瞬かせた。
「そういえば、今日はあの不気味な人たちが来てないんですね」
「ああ、あの連中か」
作業のまとめ役の男が一つ頷いた。
「同じ宿に泊まってる奴から聞いたのによると、今朝から姿が見えなくなってるらしいな。宿に荷物が置いたままって話だから、町か山のどこかにいるんだろうが」
「まあ、祭りが近いですからねえ。どこかで一杯飲んで、そのままぐうすか寝てるのかもしれませんよ」
「でなきゃ、うっかり夜の山歩きで三途の川を渡っちまったかだな。あとはあの高台の屋敷を荒らしに行ったたか」
「え、なんですかそれ」
町の者たちが軽い調子で言いあう隣で、不穏な言葉を聞きとった旅人の作業員はぎょっとした顔で尋ねにいく。町の者たちはけらりと笑って、この地域に伝わる物騒な伝承を旅人たちに教えてやった。
案の定、ひょろりとした行商の作業員は恐ろしそうに登与のほうを向いた。登与が高台の屋敷に滞在中であるのを聞いているのだ。
「君、大丈夫なのかい? もしかして夜中に百鬼夜行が出てきたりとか……」
「ないですよ、そんなの。人っ子一人来てません。よく入ってくるのは虫と風と月の光くらいで、夜でも商品作りがやりやすいですよ」
登与はひきつりそうな顔に愛想笑いを張りつけ、ごまかした。不愛想な人外の家主が中庭に鎮座しているし、‘月烏’なんて物騒な術者集団も乱入してきたが、百鬼夜行は出てきていない。商品作りがやりやすいのも事実だ。
というかこれ、絶対また屋敷に来てたんだよな……。
そして辰臣の返り討ちに遭い、今頃は賽の河原をうろついているに違いない。登与は遠い目をしたくなった。絶対に河原へ行かないぞ、と心に決める。
町の伝承だけでなく職人たちによる血なまぐさい星の争奪戦のことも聞かされ、旅人たちが少々引いている一方。ゆきと呼ばれていた町娘の一人は登与にねえ、と尋ねてきた。
「登与さん、新しい小物作ったの?」
「うん。明日の午前中は、町で売るつもりだよ。もうすぐお祭りだから、櫛とか髪飾りとか中心に作ったんだ。他の子たちにも教えといてよ」
「わかった!」
登与が苦笑して頼むと、ゆきは表情を輝かせて快諾してくれた。
祭りがもうすぐだということは、町の装いで明らかになってきていた。
まず、空気が違う。どことなくそわそわしていて、人々の動きが浮き立っている。通りでは出し物の稽古が行われ、神社の境内を覗けば巫女舞の稽古が見える。夕暮れになってもそんな様子だ。山道の復旧作業という泥臭い作業が外で行われていることなど、まるで知らないようである。
通りで見かける旅人の数も、日に日に増えていくばかり。旅行が庶民のちょっと贅沢な娯楽として注目を浴びているご時世の波は、こんな山中にまで届いているらしい。
休憩も挟んで、今日も復旧作業は順調に進んでいく。頼りになる四人も人手が抜けてしまったのは復旧作業の痛手だが、登与としては身の安全が確かなものになったのは嬉しい。その経緯については考えまい。
夕方になって今日の作業が終わり、さて今日は屋敷へ直行だと登与が大きく伸びをしていると、ねえと聞き慣れた声が登与を呼んだ。昼の休憩では顔を見なかった久江だ。
登与は目を瞬かせた。
「久江ちゃん? 休憩のときは見なかったけど、来てたんだ」
「うん。お昼を過ぎてから来たの」
小さく舌を出して久江は登与に近づいてきた。
「ねえ登与さん、ちょっと寄り道してみない? 小物の素材に使えそうな面白い物があるとこ、知ってるの」
「へえ、どんなの? 星の欠片とか?」
「それは見てからのお楽しみ」
久江は悪戯っぽく笑ってごまかす。これは見てみるまで教えてくれなさそうだ。
でも、星の欠片にしろ他の石にしろ、元手がかからない素材があるなら見てみたいよねえ……。中庭の墓石に置いてある貝も、もしかしたらこの山で拾ったものかもしれないし。
庶民が気軽に買える価格でというのが、登与の小物作りの基本路線なのだ。小物の材料が安く済むならそれに越したことはない。
ということで登与は久江の提案に乗ることにした。復旧作業が終わったあと、町へ帰る男たちから離れて、そろそろ赤みが増してくるだろう空を背に山中を歩く。
しかし、次第に川の音が聞こえてくるようになったので、登与はぎくりとした。
この景色って……もしかして……。
嫌な予感は的中した。視界が開けると、見覚えがありすぎる景色が登与の前に広がる。
河原だ。登与が前に訪れたところではないけれど。
「……ここ?」
「うん!」
笑って久江はひょいと河原へ足を踏みだした。
ちょっ……!
登与は慌てて手を伸ばした。だがそれより先に久江の足は河原を踏んで、じゃらりと音をたてる。
「? どうしたの? 登与さん」
「あ、いや……」
久江が不思議そうに振り返り、登与は視線をさまよわせた。
「……ここって、何かやばい言い伝えがあったりするんでしょ? その……死んだ人が出てくるとか」
「あー……」
登与が尋ねると、久江は顎に指を当てた。
「そういやおばあちゃんが、そういうこと言ってた気がする。たまに、死んだ人がここで生きてる人を連れていこうとするとか。だから川の上流には行くなって、昔から言われてるんだって」
「……」
知ってるのになんで私を連れてきたの……。
登与はただでさえ疲れて重い手足がさらに重くなったような気がした。昔話が本当であるのを現在進行形で目の当たりにしている身からすれば、久江はまったくもって迂闊としか思えない。
仮に本当だとしても別にどうでもいいやって思ってたりとか……さすがにそれはないと思いたいけど。私を連れてきたんだし。でもありえそうなんだよね……。
登与が頭を抱えているのを尻目に、久江は迷いなく川のほうへ歩いていく。その背中や周囲に黒いもやがかかることはなく、久江の姿が消えることもない。川に危険なものの姿が現れることもだ。
「……」
躊躇いはあったが、登与はそれを抑えつけるように河原へ一歩踏みだした。
――――何もない。
前に河原へ何気なく足を踏み入れたときとは感覚がまったく違う。空気の変化も景色の変貌もない。登与はほっとした。
「登与さん! これだよ!」
河原にしゃがみこんで何かを探していた久江は、河原に転がる岩の下から何かを掴みだし大声をあげた。なんだなんだと登与は速足でそちらへ向かう。
そうして久江が登与に見せたのは白い貝殻だった。以前漁村で食べさせてもらったあわびの貝殻に似ているがそれよりもっと細長く、角も多くて笛のようだ。
登与は何より、胡粉の白にほんのわずか黄色を混ぜたような色に目を奪われた。
「こういうの、この河原でよく見つかるんだよ。ほら、あっちにも違う形のがあるし」
と久江は少し離れたところを指さす。そちらには確かに違う形をした貝がある。
「なんだろうね、こういうの。法螺貝ともなんか違うし」
「うん、でもこういうのも貝殻だよ。前に海辺へ行ったときに、砂浜で見たことある」
「え? なんで海の貝殻がこんな山の中にあるの? 誰かが捨てていったのかな」
「どうだろう……こんなに河原のあちこちに捨てていくってのも、なんか変だし」
辰臣さんなら知ってるかなあ……それか、あの顔のいい天狗さんか。
人外たちならこの不思議の答えを知ってそうだ。ただし辰臣が教えてくれるかは微妙だし、彼の知りあいの天狗にいたっては居場所すらわからないのだが。
答えがわからない謎に興味をなくした久江は、すぐ話題を変えた。
「ね、登与さん。簪に使えそう? 砕いて欠片を吊るすとか」
「うん、それもいいね。そのまま置物にするのもよさそうだし。小物入れに上手く欠片を貼りつけるか埋めこむかできたら、それも面白そう……」
久江の手から貝殻を手にとり、登与はぶつぶつと呟く。言葉にするだけでなく、頭の中でも使い道を考える。
いくつか貝を拾ったあと、登与は家へ帰るよう久江を促した。屋敷まで久江はついていきたがったが、今回は渋々といった様子で家に帰ると頷く。
「じゃあ登与さん、簪ができたらまた売りに来てね!」
そう登与に念を押すことは忘れず、久江は一度途中で登与を振り返ってから帰っていく。その背がすぐ見えなくなるのを見送り、登与は長い息を吐き出した。
多分、また何かあったんだよねえあれ……。
久江は何も言ってなかったが、きっと家族と揉めたか口うるさく言われてうんざりしたのだろう。復旧作業の手伝いをしてから登与をこの川へ誘ったのも、家に帰りたくなかったからに違いない。
しかしよそ者がそう頻繁に、親に帰りが遅なることを言っていないだろう娘を受け入れていいものか。助けたい気持ちのままに動くのは躊躇われた。
正直なところ、甘いなあ、と登与は久江のことを思わないでもない。神社にいる血の繋がらない弟妹たちの中には、久江より幼いうちから親を亡くしたりひどい目に遭わされた子もいるのだ。道中で危険な目に遭いながら必死に生きようとしたあの子たちと比べれば、久江ははるかに恵まれた環境にいる。
とはいえ、お嬢さん育ちの子にあの子たち並みの強さを求めてもね……。
登与の弟妹たちはその境遇から、生きるために強くなるしかなかっただけなのだ。親元で一応は何不自由なく育てられた十三、四の少女に家出すればいいなんて、気軽に言えるものではない。そのくらい、行商で様々な人を見てきたから理解している。
だから登与は、久江を愚かとは思わない。そういう子なのだと納得するだけだ。
なんともやるせなく、登与はもう一度息を吐いた。気持ちを切り替え、屋敷へ帰ることにする。
――――が。
河原から出ようと一歩踏みだした、そのとき。視界の端に先ほどまでなかった人影があることに登与は気づいた。
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