魔境

第1話 吾輩は逃走する。

 吾輩は猫又である。 名前はカキ。転生転移猫又であり、この世界ではテールキャットと呼ばれている希少な種族で、爺ちゃんが柿の色と評してくれたこの毛皮は珍しいらしく、希少さと相まってかなりの高値で売れるらしい。 そんな事実が判明した事件があり、現在絶賛逃走中の逃走猫又である。


 話は数日ほど遡る。

 異世界に転移したと知り、人間を探した上で飼い猫又として生きていこうと決意した後の事。 人間の記憶を持つ俺としては、とりあえずテンプレをこなしてみたーーそう、ステータスチェックだ。 猫又にもなっていることだし、何か魔法的なモノを得ているかな? なんて仄かな願望を抱いてさ。


「ニャニャーニャニャ」


 自分の中では「ステータス」。 って言っているつもりなんだけど、所詮は猫の身体。 どうしてもニャーニャー言ってしまうのは仕方ない。 そのせいなのか、それともそんなものは存在しないのか、もしくは猫又だからかはわからないけれど、半透明の板みたいな物が目前に出てくる事も、頭の中に浮かんでくる事もなかった。 まぁそんな事もあるだろう、残念だけれど仕方がない。 だけど果物みたいなモノが蜘蛛とかを喰らっちゃうような、正しく魔境と呼んでもおかしくない場所で、ただ尻尾が二又に別れているだけの、野生の欠けらも無い猫が生きて人間の元に辿り着けるのか? やっぱりなんか詰んでいる気がするんですけど??


 嘆いていても仕方がない。 とりあえず水場を探す事にした。 えっ? 人間を探すんじゃなかったかって? もちろん人間に会いたいけれど、生存率を上げないとイケナイからね。 少なくとも水、次に食料を確保しなければならない。

 水の匂いを探してうろちょろ。 ただその歩みはかなり遅い。 いや、だってどんな生き物がいるか分からないし、襲われたら怖いしね。 なるべく木から木に飛び移る感じで移動。 人間の記憶となってしまったために、猫の身体、四足での移動に自信を持てずに不安だったのだが、曲がりなりにも18年ほどは猫として生きてきていたせいもあって身体が覚えていたらしく、勝手に動いてくれたので問題なかった。ただでさえ魔境で怖いのに、夜の森なんて歩けるはずもないので、日が陰って来たらすぐに木の洞を探して、先住民の方が居ないか慎重に確かめてから身体を休めた。 水分は朝露らしきものが貯まっている葉から頂いたが、食事は見つけることが出来ずに我慢。

 これまでは恵まれていたんだなぁって、爺ちゃんに愛されていたんだなってしみじみ実感した。 思わず爺ちゃんを思い出して、メソメソニャーニャーしながら朝までウトウトーー時折鳴る風で揺れる葉の音や、どこからか聴こえてくる獣の鳴き声にビクリとしていたので、ほとんど寝る事なんてが出来なかった。


 ここはやっぱり異世界魔境だ。

 虎や熊、狼のような動物がウロウロしていたり、人間の子供のような背丈だが、肌は緑色で頭に小さな角を生やした、所謂ゴブリンのような生物や、人間の大人よりも大きいと思われる蜘蛛も見かけたりした。 そんな時はなるべく音を立てないように息を殺して静かに隠れたり、一目散にその場から逃げたりしてなんとかやり過ごしてきた。

 あぁそうそう、みんな大好きスライムさんにも出会ったよ。 だけどその形は、水色のぽよんとしたボディーではなく、ドロっとしたリアルタイプだった。 気になって色々観察してみたところ、酸なのか何なのかわからないけれど、移動しながら被さった箇所を溶かしていた。 しかも場所に合わせて保護色となるので、かなり発見しにくいという厄介な存在だ。 攻撃手段は液体を飛ばしたり、触手を伸ばしたりという事はなく、ただ本体で触れたり被さったりだけのようであるし、その移動速度はかなり遅いので、間違って乗ってしまったりしない限りは問題なさそうだ。 ただどうやって倒すのかは分からない。 よくラノベなどでは体内に核が存在しており、それを破壊すれば討伐可能とあったりするが、その核らしきものが見つからなかったからだ。 近くによって注意深く観察すれば見つけだす事も出来たのかもしれないが、近くに寄るのはかなり怖いので無理だった。

 あと、もしかしたら意思疎通が可能かと思って、出会ったヤツら全部に話しかけて見たけれど、全く会話を交わす事など出来なかった。 虫系とスライムは基本的に反応無し。 動物系は強烈な殺意だけが伝わってくる感じで、ゴブリンだけは言葉による返答はあったけれど「オマエ、タベル」。 という、俺を餌としか捉えていない様子で、普通の会話など到底無理だった。


 そんな様子でさまよい続けて数日、ようやく少し拓けた場所に湧く小さな泉を見つけた。 石とか小枝を放り込んで敵性がない事を確認してから近付いた。 朝露だけで過ごすという過酷な道中だったためもあり、頭を突っ込んで大量に飲んだ飲みまくった。

 残念なのは魚など餌になるような生き物が存在していなかった事だが、たらふく水を飲めたので問題なし。 でも周りを囲む木々になる枇杷のような実を見つけた。 見た目は美味しそうだけど、捕食される可能性や毒である事を恐れを考えて手を出さなかったんだけど、時折鳥が来て問題なく食べている姿を見て、我慢出来なくなって食べてみたら、めちゃくちゃ甘くてジューシーで美味しかった。 近くにいい感じの先住民が居ない洞も見つけたので、走り続けていて少し疲れたので当面ここで過ごす事にした。


 尻尾は二又になった。 日本では猫又と呼ばれる妖怪になったわけだ。 だが思い出すと二又猫は妖怪などではなく、ただの突然変異だという写真付きの解説を見かけた事がある。 さらに爺ちゃんと話せたのも、もしかしたら爺ちゃんの方が異能に目覚めただけの可能性さえある。 そう考えると我輩はただの猫である。 という事になる。

 なぜ今になってこんな事を考え出したかというと、ここまで怖い生物はたくさん見かけたし、異世界だという事は実感したのだが、俺自身が何か異能を得ているという感覚がないのだ。

 これはかなりマズイ。

 ただの猫がこんな魔境で生きていけるはずがない。

 そんな不安に押しつぶされそうになった時だった、突然ガチャガチャ。 という森には不自然な音が聴こえてきたのは。 音の方向へと視線をやると、待ちに待った人間の姿が見えてきた。 数は3人、全員がかなりのオッサンだ。 それぞれ革で出来た鎧のような物を着用し、手には剣やら弓を持ち、後ろを何度も振り返りながら走っていた。髪の毛は金色、肌は白と茶色に見える……髪も肌も明らかに薄汚れているので定かではないが。 緊張した面持ちで逃げて来た方向を見ていた彼らだったが、しばらくすると追っ手が来ないと思ったのだろう、武器を放り出し腰を下ろし泉の水を飲んだり、背負っている袋から何かを取り出して齧ったりしだした。


 彼らの言語が理解出来るか不安だったが、1番近い木に移動し耳を澄ませてみた。 するとちゃんと意味がわかった。 話によると、どうやら森の中でブラックベアというモノに出会ってしまい、行動を共にしていた2人が殺られたようだ。 ここにいる3人はその2人が喰われている間に、助ける事も戦う事もせずに逃げて来たらしい。 多分冒険者というヤツだろう……もしかしたら山賊の可能性もあるけれど。


 彼らについて行けば、きっと人間の街に辿り着けるだろう。 そんな事を考えながら様子を見ていると、どうやらここで夜を明かすつもりらしく、獣の革で作られたテントのような物を作り出したり、小枝を拾って焚き火の準備をしだしたのだが、ここで驚く事が起きた。 なんと! 指先から炎を出して着火したのだ! そう、魔法の存在があるという事だ!

 もしかしたら俺にも魔法が使えるかもしれない。 そんな希望にワクワクしつつ、炎以外にどんな魔法があるのか、見せてくれないかなぁ〜と観察を続けていると、突然3人の男が顔を寄せ合い小声で話し始めた。


「おい、絶対に顔を向けるなよ。 俺から見て左にある枝の上に、オレンジと白のテールキャットがいる」

「珍しい色のナニかがいるなとは思っていたが、テールキャットか」

「尻尾は何本だ」

「多分2本だ。 何の魔法を使えるかまではわからないがな」

「チッ……少なくとも2種類の魔法は使えるわけか」

「あぁそうだが、マヌケそうな面をしているし、こちらを興味津々って感じで見ているからな、上手い事いけば手に入れる事が出来るぞ」

「数十年前に薄汚い黒と灰色の1尾の毛皮がオークションに出されたっていう話を聞いたことがあるが、確か貴族が金貨1000枚で落としたらしいな。 あの色合いで2尾ともなれば、少なくとも2000枚……いや、3000枚は確実だな」

「こりゃあ運が向いてきたな。 アイツらが喰われたお陰だ」


 人間には小声かもしれないが、人間の約8倍と言われる聴力を持つ猫耳をナメちゃいけない。 全部丸聞こえだ。

 それよりも色々新たな事実が判明した。 どうやら俺も魔法を使えるらしい。 しかも2種類! これは楽しくなってまいりました!

 いや、問題はそこじゃない。 誰がマヌケ面だよ! 爺ちゃんは愛嬌のある可愛い顔だって言ってくれていたんだぞ! いや、ここでもない。 腹は立つけど今は置いておく。 問題は俺の毛皮が高く売れるという事実と、その欲に目を輝かせている武器を持った蛮族が目の前にいるという危機だ。


「物音を立てるなよ。 俺が弓を打つと同時に、もし外した場合を考えてお前たちは走り出せ」

「おう。 絶対に外すなよ」

「俺たちの金貨ちゃん」


 あっヤバい。

 マヌケ面という言葉に腹を立てていたら、既に弓を構えようとしている。

 アイツらが来た方向に行けば街がある可能性が高いけれど、ブラックベアというのが人間をムシャムシャ。 している所に遭遇したくはない。 その反対方向は泉が小川となっているのだが、水辺にはあらゆる動物が寄って来るだろうと思われ危険なので却下。 俺がここに辿り着いた方角には何もなかったので、その反対方向へと駆け出した。


「チッ、気付きやがったぞ!」

「街の方向だっ! 追いかけろ!」

「俺の金貨待ちやがれっ!」


 どうやら選んだ方向の先には街があるらしい。 ナイス判断俺! ……アレ? このまま街に着いたら、もっと大勢に狙われる? どうしよう、いや、とりあえず逃げなきゃだ! 爺ちゃんに会うまで毛皮になんてされてたまるか!

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