3️⃣

 マリアは不思議と恐ろしさを感じず、むしろ「あぁここにあったのか」という感情すら浮かんだ。しかしその感情が浮かんだことにはしっかりと恐怖したのでまだ感性はしっかりとしているらしい。


 反射的に周りを見回したが、誰もいない。この本とマリアだけ、二人っきり。


 マリアは本に手を伸ばした。もう迷いなんてなかった。


 バチンッと一瞬静電気のような感覚。次いで、本の表紙の方からマリアの手の中に収まる感覚。手を引き抜けば、本も一緒に引き抜かれて、手に馴染んだ。


 アタシの物だ・・・・・・、と思った。もう誰にも渡さない、アタシだけのものだ、と。


 マリアは本を本棚から取り出す。表紙にはMy Dear Honey愛しい貴女への文字。たったそれだけ。でもマリアには充分だった。


 その後マリアは店主を揺り起こし、この本が欲しいと交渉した。本には値段も書かれていなければ値札も無かったからである。店主は本を見て、こんな本をうちの本屋に置いた覚えなどないと断言した。持っていきたいなら勝手に持っていけと。勿論そうさせてもらった。


 マリアは上機嫌でその日の夕方に馬車に乗り込む家族に合流した。マリアが機嫌が良いのが気に入らない母親はマリアの髪の毛を掴んだが、彼女が持っているのが古びた本一冊だと知ると途端に愉快そうに笑い出し「お似合いね」と嫌味をくれる。だがマリアは「はい、Honey愛した人からの贈り物なんです」と答えた。母親は途端に顔を歪めて、姉はよく分からないと言ったふうに首を傾げていた。


 その晩、母親達が寝静まった後、マリアは本を開いた。本の中にはトランプぐらいの大きさのカードと懐中時計が収納されていて、反対側にはメッセージが一つ。


『おかえりマリア、ずっと愛していたよ』


 たったこれだけ。しかしマリアにとっては飛び上がるほど嬉しい気持ちになれる一文だった。きっとこの本と出逢うために今日まで生きていたのだと思えた。幸せだった。


 頭の中に浮かんでくる、懐中時計の役割とカード達の名と役目の“記憶”。優しく温かな手に頬を撫でられた気持ちがして、マリアは本を抱きしめた。


「ただいま。待たせてごめんね、ずっと愛してた」


 気付けばマリアは涙を流していた。人生で初めて流す嬉し涙だった。


 マリアはこのカードがどんな存在なのかを思い出して知っていた。カードには一枚につき一体、魔神が宿されている。魔神の召喚。それがこのカードの存在理由でありこの世界で言うところの“固有魔法”となる。


 魔人の召喚に使われるのは“マリアの時間”であり、同封されていた懐中時計はその時間が残りどのくらいかを示すものだった。カチッカチッと毎秒右回りに時を刻む時計の針は、マリアが魔神を呼び出すと今度はカチッカチッと左回りに時を刻み始める。そして時間が0になったら、マリアは時間が溜まるまで魔法が使えなくなる。本はこのカードと懐中時計を保存しておくための入れ物だったと、その時に思い出した。


 いつの時だったか、マリアはこの世界の住人だった。記憶は朧気だが、このカード達のことはよく憶えている。今までは忘れていたことが不思議なぐらいには、“魔法”の使い方はよく分かった。それが、一度目の転機。


 二度目の転機、この出来事が今現在のマリアの状況を大きく左右している。

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