最愛

 伊佐見渚の同級生たちが、カトラスと伊佐見の関係性について確認し終え少し時間が経過した頃。

 伊佐見家のドアノブはあやうく破壊されそうになっていた。


「ここに…妾の大切な者がおるのじゃ…」

 伊佐見渚たちの担任である岡本真弓はどのように玄関のドアを開けるのか分かっていないように見え、ガチャガチャとドアノブを乱雑に回している。それもその筈、家主である伊佐見渚と伊佐見法子はこのドアを施錠し留守にしているのだ。それを食い止めようとしているのは姫こと姫川雪芽で、一見すると不審者に見えてしまう担任の教師を正気に戻そうと奮闘していた。

「先生…っ…いや、もしかして…紅月くれないのマジョーリカ…?」

 姫が咄嗟に口走った名前に、真弓の動きが止まった。

「…何故…その名を」

「貴女は【魔王】シャム・シールの妃であり、勇者カトラスと一騎打ちして自害した...マジョーリカよね」

 岡本真弓、かつ紅月くれないのマジョーリカの細腰に両腕を回し、項垂れるように呟く姫の声音には、深い悲しみが込められている。扉の向こうに感じる懐かしい気配と共に、この娘がなぜ自分のことを知っているのかも気になっていた。

「…娘、妾を知っておるのか?」

「そりゃ、もう…伊佐見から何度も読ませてもらってたから。貴女や、魔王と戦う勇者たちの冒険譚を」

「……」

「実を言うと、あの話の中で私が一番好きな人なんです…凛としていて気高くて、勇者に屈しない貴女が」

「ふん、何を言うかと思えば…面白いことを言うな。あの戦いの場にいたとでも?」

「……ううん、まだ、『私』はそこには居なかった。本当は、貴女の娘として生まれる筈だったんだ。いつ、「姫」って呼ばれるのか楽しみで」

「もう良い。世迷言を言うでないわ…妾と我が王に娘などおらぬ」

 魔王の妃だけあり、冷たい口調の中には毅然とした凛々しさがあった。しかし何処と無く迷いが見られ、何か思い当たる節があるのだろうかと思案した。

「違うけど、違わないと言うか…少し話がしたいから、落ち着いて」

「…真弓ちゃん、どうしちゃったんだ…」

 岡本真弓の夫は、突如自分の配偶者が人となりだけでなく声色まで変わってしまった現実に、何が原因なのか分からないまま二人のやりとりを呆然と見ていた。ドアノブからようやく手を離した真弓に安堵し、姫が彼女から離れて振り返る。

「…岡本さん、実はちょっと込み入った事情があって、もしお時間があれば説明できます。たぶん」

「今日は仕事を休んでいるから、大丈夫ですよ。何処にでもついて行きます」

 先生はいい旦那さんを持ったな、と姫は少し照れくさくなりつつ、力強く頷いた。そして、徐にスマートウォッチの発信記録を辿る。発信先はジンのスマートフォンだ。3回ほどコールが鳴った後、ガサゴソと音がして気怠げな声が出た。

『おめー今どこだよ…こっちは今自習中で』

「なら都合がいいわ。今伊佐見の家の前よ。休み時間になったらすぐに「ダガーの剣」の写本と伊佐見と館野を連れて来て」

『あっおい』

 小声で要件だけ告げると姫は通話終了の表示を押して、次は別の連絡先に電話し始めた。スマートウォッチの画面には『お姉様』と書かれている。

「…あっ、お疲れ様です…お仕事中にすみません」

『雪苺ちゃん?どうしたの~?今日はこれから中休みだから大丈夫だよ』

「あの、伊佐見のこと…気づいてますよね」

 姫が問うと、受話器の向こうから息を咽む声がした。どうやら何か確信を持っているようで、短く『うん』と返事が返ってくる。

「…それで、みんなで答え合わせしようと思うんです。今、隣にマジョーリカもいて…たぶん、あの猫ちゃんも」

『えっ、それ本当なの?わかった…あの日色々任せてたから、今日はすぐに向かうようにするわね』

「ありがとうございます!」

 再び通話を終了すると、姫は深く息を吸って吐き出した。傍らにいる岡本マジョーリカ真弓から目を離さないよう、服の裾を握っている。


「…これで役者は揃う筈だわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る