ダガーの剣

 イサミは愕然としながら、タテノからその冊子を受け取った。表紙に書かれている文字と作者名、そして似顔絵風のイラストは初めて見たのに知っている。「ダガーの剣」はカトラスの異名で、彼を象徴する言葉。そして人物画はカトラスが酒場で出くわした、旅を続ける画家が勝手に描いたカトラス自身の似顔絵だ。作者名のナギは、ジンが伊佐見渚を呼ぶ時のあだ名だった。

「…なぜ、ここに…俺の絵が…」

「前に病院で、ナギは文芸部にいるって話しをしただろ?これは伊佐見渚が、その文芸部で書いた小説だ。表紙の絵は迅が描いたもので…主人公のカトラス・マクスウェルのイメージだよ」

「なっ…偶然にしては何もかもが合致しているではないか…!」

「落ち着けって。向こうで話そう」

 イサミは2人に両脇を支えられ、図書室奥の学習スペースに向かった。広々とした場所に8人がけの大きな机が置かれてはいるが、3人の他には誰もいない。イサミは崩れるように引き出された椅子へ座り込むと、両手で顔を覆った。

「…まずは読んでみろ」

「……ああ……」

 頷いて手に取るが、その指先は震えている。タテノが甲斐甲斐しくその手を支え、ページを捲ってやった。

「文字は読めるか?」

「…何故だか知らんが…この世界の文字も読める。しかし、心の準備が…」

「なら朗読してやろうか?おまえは聞いてるだけでいい…カトラス」

 顔面蒼白になっている伊佐見渚…そして、カトラス・マクスウェルに代わりタテノが静かに頷くと、ジンは小さく咳払いをした。


×   ×   ×


「誰がどう言おうと、彼は勇者に違い無い。その剣の鋭い切っ先は魔を切り、悪を断ち、行く先で立ちはだかる者を薙ぎ倒す。

 誰もが憧れ、羨望の的になる筈の光である勇者。しかし彼は人から畏敬の念は集めるものの、憧れや尊敬とは程遠い場所にいた。


 【ダガーの剣】カトラス・マクスウェル。

 強く逞しく、なんびとたりとも寄せ付けない彼の名が轟く冒険譚を、今ここに書き記そう。──【記録者】レコーダーナギ・リートゥス」


 ジンが言葉を終えるまで、誰も口を開こうとはしなかった。タテノは深く息を吸い、ゆっくり吐き出してカトラスの様子を見やる。急に老け込んだ様な表情を浮かべ今にも耳を塞いでしまいそうな彼の肩に手を当て、励ますように優しくさすった。

「今のがプロローグ…まぁ、前日譚な」

「…伊佐見渚と言うものの存在を、ようやく理解した…俺と魔王の…創造主だったのか」

「うん…そういうことになるか。おれたちは渚の書いたこの小説を知ってたから、もしやと思っていたんだ。んで、疑問が山ほど出てくる訳だが…」

「何故俺が、創造主の身体を乗っ取ったのか…だろう?」

「乗っ取ったなんて思っちゃいないさ。もしかしたらナギ自身が望んだ可能性だってある…人間って極限状態になった時、自己防衛のために別の人格を生み出すこともあるらしいからな」

「理屈じゃ考えられないことが起きたって、おれの前にいるおまえはおれたちの友達であることに変わりないだろ」

「そうそう、それにナギはこんな演技しないから…なら、カトラスって名乗ってたのは事実かもなと予想はできてたんだ」

「…ジン…タテノ…」

 自分の意志のままに、伊佐見渚の手が動いているのをぼんやりと眺める。まおーが早朝告げたように、『何もかも受け入れ身を委ねる』ことなど不可能に近いと思っていた。頭の中では理解出来ても、まだ己の中で魔王との戦いは終わっていないからだ。

 しかし現実は残酷で、倒すべき魔王は今や可愛らしい猫の姿になり、目の前にいるふたりは本来の友である伊佐見渚を失いつつある。

 早く彼にこの身体を戻さなければならないのに、その方法も打開策も見つかっていない。それどころか、楽しんですらいたのだ。

 項垂れるカトラスを励ますように、タテノは大まじめな表情で顎先に指を当てる。

「考えられるとしたら…事故の時に渚が強烈な願いを唱えた、とか」

「あるいはナギとカトラスが入れ替わった…?」

「うーん…『転生したら自分が書いた目つきの悪い勇者になってました』なんてこと…ホントにありえるか?」

「気づいたら黒ずくめの男たちに囲まれていたことなら実際にありえるぞ」

「まだ学ラン慣れないのかよ!」

「とりあえずはカトラスがどういう経緯で魔王と戦ったかまで、小説と本人の記憶を照らし合わせてみようか…なにか手がかりがあるかも」

「あとはあれだな…伊佐見渚って言うより渚とカトラスのハイブリッドだからナギラスって呼ぶか」

「だっせ!!」

「ナギラス…悪くは無いかも知れん」

「良いのかよ!」

 快活に笑うジンに釣られてタテノも笑う。【ダガーの剣】勇者カトラス・マクスウェル改め【ナンカヘン=ナンデス】イサミ・ナギサ改め伊佐見ナギラスと呼ばれることになりつつある彼は、勇者として書かれてきた己に欠けているものをようやく見つけ出せたような気がした。

「あっ、今ナギラスが笑った」

「…笑ってない」

「まぁそう照れるなって、渚はよく笑うやつだからさ。お前も笑っていいんだよ」

「……そうなのか」

 ひとまず今日の授業が終わったら、まおーに報告しよう。ナギラスはそう思いながらも、気づけば1時間目の終了を告げるチャイムが鳴っていた。

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