夜明け前
「カトラス!起きなさい!」
もう少し眠っていたい。そう思うときに限って、大体横槍が襲って来るものである。
「……まだ出立には早いだろう…」
そうだ。夜明けと共に村を出れば、明日までには次の都に着く計算で歩いているのだから。馬車を使えばもっと早いが、一人で乗ると費用が嵩んでしまう。なるべく節約しながらでなければ次の防具が買えない。
その前にふと気が付く。…何故一人でいるのに、呼び掛ける者がいるのだろう。
「何寝ぼけたこと言ってるの!もう迅くんたち迎えに来ているわよ」
がばりと起きたイサミの枕元で、穏やかな眠りを妨げられたまおーが背中を逆立てフシャーと叫んだ。窓の外はまだ薄暗く、夜明けにはまだ時間がありそうだ。
『いきなり起きるでない!吾輩を驚かすとは良い度胸だな小僧!』
「…すまん…。変な夢を見た」
イサミは再び横になり、布団を被る。だが目が冴えてしまい、なかなか寝付けないでいた。今の自分がカトラスなのか伊佐見渚なのか、分からなくなると偶に見る夢。ある時はかつての仲間の死に顔がタテノに変わったり、旅先で出逢った踊り子が姫であったり、教室に入ってきた担任の顔がマジョ―リカになっていたりする。まおーはそんな時、何故か自分の手(?)をイサミに押し付け、ぷにぷにと肉球でつつくのだった。
『観念して全てを受け入れろ』
「ふん…おまえはやけに落ち着いているな」
『当たり前だろう。今更足掻いてもどうにもなるまい…ならばこの生を全うすればよいのだ』
口許を緩めてまるで「ドヤァ」とでも言いたそうな猫が少し恨めしくなり、まおーの耳を指先でくすぐると耳がパタパタせわしなく動く。猫という生き物は不思議なもので、あの魔王だと分かっていてもその愛くるしい見た目はつい「かわいい」と思ってしまう。
イサミはそんな心境の変化に戸惑いつつ、まおーの欠伸につられるように大きな欠伸を漏らした。再び瞼を閉じ、規則正しく続く穏やかなまおーの寝息に耳を傾ける。
(…あの日、次は無害な生き物に生まれ変わることだと言ったが…本当にそうなるとはな…)
✕ ✕ ✕
唐突に叩き起こされ、まおーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。今に始まったことではないが、人間の心の脆さには心底呆れてしまう。
かつて魔王と幾度か刃を交えたカトラスは、仲間を失った時でも冷静に見えた。友と思われるパーティーメンバーが物理的な死を迎えたときも、カトラスに愛想を尽かして離れたときも、「そんなことは予想していた」とでも言いたげに余裕の表情を浮かべていたのだ。しかし、握った拳は震えて瞬きの回数が多くなり、魔王の挑発にも乗らなくなる。余裕の表情で啖呵を切り、剣を振りかざした勇者カトラスとは別人のようだった。今思えば、彼もヒトの子だったのだ。現在彼の器となっているイサミは尚更、自分が生きた年数と比べて見れば赤子のようなものである。
(全く…素直になればいいものを。今を受け入れるのが怖いのだと、言えないのが彼奴らしいが。…我慢するから尚、辛くなるのが分からぬのか)
フンフンと鼻を鳴らし、イサミの匂いを嗅いで目を瞑る。
その後は不思議とふたりとも、朝までぐっすり眠れるのだった。
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