吾輩は「まおー」である。

(…一体…何の話をしているのだ…)

 妙に心地良く感じる薄暗い場所で、何時の間にか眠っていたようだ。薄い壁の向こうから聞こえる会話に耳を澄ませるも、まおーは大きく口を開けて欠伸を漏らした。

 まさかこの薄い壁の向こうにいる人間の小僧どもは、世界を震撼させた【魔王】シャム・シールが居るなどと想像できないであろう。そう思えば愉快で仕方がないが、今は世を忍ぶ猫の姿である。自らが魔王であると宣言するのはまだ先でも遅くはないような気がした。その気になれば誰もがひれ伏す力を持っているのだから!


✕   ✕   ✕


 今は亡き愛しの妃、マジョーリカに似ている小娘に連れられ、一度は彼女の住まう城に移動させられた。そして何時の間にかこの籠に吸い込まれるように居座り、居心地のいい匂いと柔らかさに包まれて眠ってしまっていたのだ。ぼんやりと感じる微睡みの向こうに彼女の声が聞こえ、誰かを呼んでいるのは分かっていたが眠気には勝てなかった。一度だけ籠の蓋が開かれ、彼女の顔を見ることはできたが直ぐに閉ざされてしまいそれから暫く彼女の姿を見れていない。恐らく何か事情あってのことだろうと察したが、やはり寂しいものは寂しい。些かムッとした吾輩は、籠の内側をぱりりと数度爪で引っ掻いて己の存在を主張した。籠が縦に揺れたり横に揺れたりと忙しなかったが、幾多もの鋭い視線を感じ動くのを止めた。自らを危険に晒すことなど愚の骨頂である。どうやら外に居るのはマジョーリカだけではないようで、見知らぬ小僧が再び蓋を開けるまではまた薄暗い中を過ごし、小僧の悲鳴を聞いてからまた再びうとうとと居眠りをして今に至る。


 すると突然、籠がふわりと宙に浮かび浮遊しているような感覚に陥った。どうやら籠ごと移動しているようだと悟るが、外の景色が見えない為どこを動いているのか全くわからない。暫く宙を浮いたまま移動して、籠の中をころんころんと転がって遊んでいた。外はがやがやと騒がしく、聞き取れないがやはり五人ほど吾輩の周りに居ることが分かる。案外宙に浮いているのも悪くはないものだ。暫くすると硬い場所の上に着地し、籠の動きはそのまま止まった。そしてようやく籠の蓋が開かれ、愛しいひとが顔を覗かせる。彼女は優しく笑うと、吾輩の頭を恐る恐る撫でた。


『まーちゃん、ちょっと窮屈だけど待ってね』

「吾輩は魔王である!”ちゃん”などと付けて気安く呼ば…よば…よ…」

ゴロゴロゴロゴロ…

『ふふ…すっかり気に入ったみたい』

 ああ。そこだ。耳の後ろが心地よい。もっと…

『…姉上…その、これから帰宅すると言っていたが』

『そうよ!先生も改めてお話を聞きたいと言っていたから、また来ますって伝えておいたわ。それにおなかも空いたでしょう?』

『……確かに…』

 おい。貴様は誰だ。何故マジョ―リカの横に居る。魔王の妃と知っての狼藉か!

『そうだ…まだ顔合わせしてなかったよね?』


「?」

『ニャッ?』

「ナギが身を呈して護った、ヒマラヤンのまーちゃんよ。本当はまおー、だけど好きなように呼ぶと良いわ。今日からうちの子になるから、ナギも遊んであげてね?」

「まおー……魔王…いや、まさかな」

 その生き物と、眼と目が合った瞬間。

 何故か初めて見る生き物なのに、古くから知っているような錯覚に陥る。紺碧の丸い眼、尖った耳、ひくひくと動く鼻と口は紛れもなく未知の生物だ。何より丸くてフワフワした見た目は、俺の知っている猫の姿ではなかった。こいつはただの獣ではない、と直感が叫んでいる。

「……ほほう?まさか貴様、こんな場所に身を隠していたとは…この俺も舐められたものだな」

『ふん、おまえのような小僧など知るか!早く立ち去れ、マジョ―リカの隣から!』

「……ナギ、猫と会話してるの?」

「えっ…!聞こえなかったのか…?あぁ、その…知っているかも知れなくてだな…」

「もしかしてその子と一緒に同じ部屋で暮らしたら、記憶が戻るかも知れないわね」

「⁉」

『なんだと!』

 この場で一番強いのは、間違いなく姉上だった。 


✕   ✕   (・×・)


 吾輩は「まおー」である。

 気が付けば猫と言う生き物に囚われていた。この毛むくじゃらな生き物は、人間を魅了し破滅に陥れる力が漲っていると確信する。共に暮らし始めた人間は、どうやら我を知る者のようだ。気に喰わぬが、どうやらマジョ―リカに似た小娘の弟らしい。  

 ならば吾輩の弟のようなものだ。せいぜい下僕にしてやろうではないか。

「にゃーん」

「うわ!体を擦り付けるな!毛まみれになるだろ!」

「余程ナギが好きなのよ。命の恩人だから」

「っ…足の上に乗りやがって…」

「まおー様のご褒美だから感謝しろよ」

「あっはっは!丸まって寝始めた!」

 たまに小僧の友がやってくるこの賑やかな城は、喧しいがけして悪くはない。暖かく清潔で陽の光が入る窓は絶好の昼寝場所だ。背後で歯噛みして悔しがる勇者カトラスの顔を見れぬのは残念だが、まぁいい。この世界で彼奴は見知らぬ小僧の姿になり、吾輩よりも大きくなってしまっていた。その代わり吾輩の世話をし毛皮を撫で食事を準備し、こうして椅子にもなっている。実にいい気分だ。

「にゃっにゃっにゃっ」

「小刻みに鳴いちゃって、可愛いんだから!!」

「くくっ…可愛い、だとさ。魔王様?」


 ふん。今はせいぜい笑っているがいい。

 吾輩の世界征服はこれからだ。


 吾輩は「まおー」である。 第一章 【完】


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