姉上
彼女の到来は予想できたものではなかったようだ。イサミも彼の友人たちも、新たな来訪者を見て思考回路から全身までフリーズしている。
「おっ…おねえさま…」
「ごめんねぇ、ゆきめちゃん!任せっぱなしで…ナギの助けたヒマラヤン、目が醒めたわよ」
「やった!!!」
「まおー様が目覚めた!」
停止していた動画が再生されたかのように、ガッツポーズを決めたのはタテノだ。
彼はイサミが助けた猫に「まおー」と勝手に名づけ、回復の報告を心待ちにしていた。無類の猫好きであるが、妹が猫アレルギー持ちのため自宅では飼えないと言う、猫好きにとっては辛い現実に見舞われている。イサミの家にまおーが来れば、撫で放題の抱き放題である。それ故に、まおーと会える日を今か今かと期待しているのだ。
一方、猫のことをまったく分かっていないイサミは自分の姉と呼ばれてる女性をぼんやりと眺めている。カトラス自身は兄弟も親もいない為、未知の存在であった。
「…姉上?そうか、おまえが… っ!?」
イサミは彼女の顔をよくよく見て、背筋が凍り付いたような気分になった。彼女はあの魔王の妃、マジョーリカに瓜二つではないか!しかし彼女は魔王討伐の最中、カトラスの行く手を阻んで彼と決闘を行い、負けを認めて火炎坑へ自ら身を投げた筈である。
「おのれ、この世でも貴様に会うとは…一体誰の指金だ!」
「えっと…ナギ?…?頭ぶつけたって聞いたけど、相当ヤバそうね…」
「そうなんですよ…聞いてください~法子さん!」
伊佐見渚の姉である伊佐見法子は、近所の動物病院に勤める獣医師の卵である。今は補佐的な業務を熟す中で治療法や動物薬学を実地で学び、少しでも苦痛の少ないペット医療を目指していた。両親が単身赴任で不在の為、実家で暮らしているのは彼女と渚の二人のみだ。そこに新たな家族が既に加わっているとは、当然ながらイサミは知らない。
数日前、彼女が勤務先で預かっている動物たちの様子を見ていたところに、タテノが一匹の猫を抱いて駆け込んできた。気絶していたそのヒマラヤンと言う種類の猫は、暫く意識が戻らず法子が介抱を続けていた。その甲斐あって、彼はすっかり元気になり法子に甘え放題であった。
イサミが目を覚ましてからの発言や記憶喪失について、かいつまんで学友たちが説明すると法子は頬を引き攣らせ、イサミの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「やめろっ!子供扱いするな!」
「へぇ?それで?私のことを何て言ったのかしら?」
「わたしたちだけでなく法子さんのこともまったく憶えていなくて…魔王について聞いたら…その、」
「…まぁ、なんとなくだけど予想はつくわ。それにしても、連絡くれた看護師さんの言葉では検査に異常ないって言ってたけど…本当に退院して大丈夫かしら」
「身体的な怪我や脳波では異常ないので、記憶喪失の症状以外はないみたいです…」
法子と姫が会話している中、イサミのベッドの奥でジンが顔を紅くしている。彼は法子に憧れを抱いているようで、唐突な登場に些か緊張したのだろう。本人はイサミの両親がすぐに来れない以上、こうなることは薄々分かっていたのだが、やはり恋煩いというものは厄介な代物である。イサミはもじもじと足の爪先で床をなぞるジンを見て、呆れたように肩を竦めた。
「ジン、貴様この女に惚れているな?」
「なっ!!馬鹿!何言ってんだよっ!まだ誰にも」
「あら…ほんと?ありがと♡」
法子がジンに向かってウインクを投げ、ガードなしで全身にそれを浴びたジンは骨抜きになったように膝を折った。ジンが体勢を崩したところを、待ち構えていたようにタテノが受け止める。姫は何故か悔しがるようにジンを睨みつけていた。
「くっ…ジンがやられた…テンプテーションか…」
「なにを寝ぼけたこと言ってんの…ほら、早く着替えなさい。あたしはスタッフステーションに行ってくるから」
そう言うなり、手にしていた籠をベッド上のイサミの足元に置いた。法子が籠の蓋を開けると、そこには半袖のシャツやジャージが入っていてどうやらイサミの着替えらしい。
「…なんだ、これは」
イサミが手にしたシャツは、何故かフワフワとした動物の毛が沢山ついていた。
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