再会
猫の姿になった魔王が、自分のしっぽを追いかけ回している頃。
伊佐見渚の病室には、更にヒトが増えて圧迫感すらあるくらいだった。白い服を着ているメディックも容赦なく、ある意味息を吹き返した彼の洗礼を受ける事になる。
「記憶が無い、と言いますが、ご自分のお名前は分かりますか?」
「【ナンカヘン=ナンデス】イサミ・ナギサ、またの名をカトラス」
「…。では、次の質問をしますね。こちらのお友達の名前は?」
「黒服、眼鏡、村人A」
「うっは!なんか2つ名みたいじゃん」
「笑っている場合か!黒服、ってのは学ランのことだな…あいつは
「ふむ…やはり覚えは無いな。紹介ご苦労、タテノ」
眼鏡…ではなく館野と名乗る少年が順に紹介すると、イサミは食い入るように見つめる。しかし知らないものは知らないので、それぞれの名前を覚えるために頭の中で情報をアップデートした。
「あの…伊佐見くん、喋り方とか目つきが以前とかなり違うんですが、記憶喪失の人ってみんなそうなるんですか?」
「症状にもよりますが、たまにいらっしゃるそうですよ。性格だけでなく得意なことや味覚的嗜好が別人になったような方とか。私は以前の伊佐見さんを存じないので、何とも言えませんけれど…」
「…そうですか」
雪芽がしゅんと視線を伏せ、少し残念そうに溜息をつく。どうやら彼女が知っていた渚と、鋭い目つきにぶっきらぼうな口調の「勇者」と名乗る彼は別人に見えるようだ。
「気にするな、姫。…生まれ変わったとでも思えばいい」
「ひっ、姫…⁉」
「ヒメカワだから姫だ。そしてタテノとジン。全員俺の味方…でいいのか」
「今更何言ってんだよ…味方に決まってんだろ。そうだなぁ、勇者様ご一行ってとこか」
笑いながらタテノが言うと、ちらりと姫を見遣る。どうやら彼も何かを察しているようで、以前と変わらず接しているのはジンだけのようだ。冷静に状況を分析しながら、イサミはかつて伊佐見渚が置かれていた環境を探ろうとした。
「…俺とおまえたちはどう言う関係だ?」
「オレはおまえと同じクラスにいる友達だよ。館野はクラスは違うけど、ナギと同じ文芸部に所属してる。えっと、なんだっけ?おまえのペンネーム」
「Trovatore」
「へ?」
「トロヴァトーレ!」
「ああ、それそれ!おまえはナギってペンネームで小説を書いているんだ。姫川は同じクラスにいる、おまえの幼馴染みだよ。オレと姫川は文芸部ではないけど、おまえらを応援してんだぜ」
高校生たちのやり取りを見ていた看護師は苦笑いを浮かべながら、持っているクリップボードの用紙に必要な事項を記載していく。姫が押したナースコールに出た彼女は偶然にも、イサミの担当看護師として今日一日様々なミッションを受け持っていた。まさか目を覚ました高校生が勇者を名乗るなどと、思ってもいなかったであろうが。
「そう言や、自分のことカトラスって言ってたけど…そいつが誰のことか知ってるのか?」
「何を言う。【勇者】カトラス、ダガーの剣とは俺の事だ」
「…うーん。まぁ、そう言うこともたまにはあるよな…?」
タテノとジンが顔を見合わせ、病室の角に移動しコソコソと密談し始めた。訝し気に見ていたイサミだが、不意に看護師の方を見て口を開く。
「…あれは何をしている?」
「さぁ…?今日の夕飯何にするとか…何か相談しているように見えますね」
特に考えなく言葉を返した看護師だが、その一言に何故か姫の目が輝いた事に誰も気が付かない。一方、密談を終えた二人は深呼吸して自分を落ち着かせるようにぼそりと呟いた。
「いやないだろ、どう考えても…」
「まぁ待て。今判断するのは時期尚早だ。まだ様子を見よう」
タテノがイサミを探るように聞いた質問で、どうやら彼は確信を持ったようだ。そして今はイサミと名乗るカトラス自身も、なんとなく察した。伊佐見渚はどうやら、カトラスのことを知っているらしい。
「では、質問に戻りますね。伊佐見さんは…こちらに運び込まれる以前の記憶が一切なく、ご自身がどう生活していたかも分からないと?」
「ああ」
「なるほど…MRIや脳波の異常は見られなかったのですけどね…?ひとまず、ご家族に連絡していますのでお迎えが来るまでこちらに居てください」
一礼し看護師が病室を去ると、室内には妙な沈黙が流れる。横で話を聞いていた姫は、看護師が彼へ質問していく中でとても気になる事があった。しかし今それを聞いていいのかどうか、考えあぐねている。それでも確認しなければならないことがあるのは確かだった。
「…伊佐見…あのさ」
「何だ」
「お姉さん…法子さんのことも憶えていないの?」
「ああ…誰だそれは」
「なら、魔王って誰のこと?」
「魔王は魔王だ。ダガーの楔、【魔王】シャム・シール…それを聞いてどうする」
「…ううん!いいの、ありがと」
意味深なことを呟き、姫がぎこちなく笑う。その時、姫の背後で病室の扉が再び開かれる音がした。
「ナギ!目が醒めたって連絡きたから…家に帰るわよ!」
彼女は片手に、小さな籠のようなものを提げていた。
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