魔王
薄暗く、湿り気を帯びたその場所から、獣の鳴き声が聞こえる。さながら遠雷のような煩わしさで、吾輩の身に纏わりつくようだ。そして多種多様な臭いが漂っている。
「ふみゃ~」
「んにゃっ、にゃっ」
「わんわん!わんわんわん!」
ええい、喧しい!
フシャーッ!
『ほらほら、そんな怖がらなくていいから…』
怖がるなどと惚けた事を言うでない。
吾輩は異形の長にしてダガーの楔、魔王シャム・シールであるぞ。
…何故笑っておる…。そして頭が高い!
『もう少しでお兄ちゃん来るからね。…あたしにとっては弟なんだけど』
何か訳の分からないことを言っているが…そなたはよく見れば我が妃に似ているではないか。嗚呼、愛しのマジョーリカ……黄泉路へ出立しようと我との縁は決して切れぬであろう。
いかん、目から汁が……。
……いつの間に吾輩の両手は毛むくじゃらになったのだ?
『どうしたの?寂しくなっちゃったかな…怖くないから、おいで』
「んにゃ…」
この、間伸びした声は吾輩の口から出たものなのか?この体毛は?ええい笑うな!
「ふふ、可愛いねぇ。怪我がなくて本当に良かった…」
分からないことが多すぎる中で、妃に似たその女は何処までも優しく笑った。
× × ×
優しく声を掛けられ、ふわふわの毛布に包まれたその生き物は初めて見た生き物──すなわち、人間の娘に心を奪われた。
彼こそはダガー王国に穿たれた楔、そして勇者カトラスの宿敵である、【魔王】シャム・シールその者であった。気づけば薄暗い檻の中に閉じ込められ、獣たちの咆哮で目を覚ましたのだ。
勇者カトラスと相打ちになって、どれだけの時間が経過したのか分からない。周りにいない事を知ると、少しだけ気を休ませることができそうだ。
しかし。状況は大きく…否、相当異なっている。
「まったく、ナギったら無茶するんだから…でもこの子が救われたなら、今日の夕飯はハンバーグに唐揚げね」
辛うじて言葉は分かるものの、内容の意味は殆ど理解できていない。
謎の女性に抱かれたその姿は、どこからどう見ても猫である。それもヒマラヤンと呼ばれる体毛の長い種で、本来ならば血統書がつき飼い主がいる筈であった。
このオス猫は、ある日突然ダンボール箱に閉じ込められ暖かい場所から締め出されてしまった、所謂”捨て猫”だ。本人ならぬ本猫は何が起きたのか分からず、ダンボール箱から飛び出て縄張りを散歩していた。狭い場所から逃れのんびりと伸びをしていた最中に、突如巨大な鉄の塊が目前に現れる。もはやこれまで、短くも楽しい猫生であったと諦めていたその時。
颯爽と現れた、細長い黒い塊に抱き上げられた。
猫の意識はそこで途切れている。
気がついたら暖かい場所に居て、ぼんやりと瞬きを繰り返すうちに再びウトウトと眠りに落ちていった。魔王がはっきりと覚醒したのは、この後だ。魔王本猫おろか、目の前にいる女性すらその事を知る由もない。しかし現実を受け入れざるを得ない状況に観念したのか、魔王は人間の娘のいいようにされている。猫用のブラシで身体を撫でられ、目ヤニを丁寧に拭いてもらい隅々まで行き届いた手入れをされていた。
(ほほぉ~!たまらん!)
何もかもどうでもいい。そんな気持ちになりかけてしまった、その時。
何処からかけたたましい鳥の鳴き声が聞こえ、娘に蕩けさせられていた魔王は檻の中に再び戻されてしまった。我に返り、無意識のうちに手の甲をぺろぺろと舐める。まるで先程までのふしだらな気持ちごと、身体を繕っているようだ。きもちがいい。
(!?なんだ!今のは!!)
猫の本能に翻弄されるまま、人間の娘が戻るまでの暇つぶしにと、忙しなく動く自分のしっぽを追いかけることにした。
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