第34話 魔猿殺し、人殺し


 月明かりに照らされたリヴェルがヴェリドの瞳を真っ直ぐに見つめる。リヴェルはアークの魂が語りかけるままに爪を振るう。ヴェリドはリヴェルの爪を余裕を持って躱し、爪は音を立てながら空を切った。戦いの中というにも関わらず、ヴェリドの思考は全く違うものに向けられていた。

 ヴェリドは魔猿、もとい元人間の夫婦について考えていた。あの日、彼らの分まで生きるとした決意が揺れる。自分が気づかぬ間に人を殺していたことにヴェリドは自責の念を覚えた。

 しかし交戦中にそんな思考に耽っていることは死と隣合わせの行為だ。本来戦闘に向けるべき思考を他のことに向けているのだから、戦闘そのものが疎かになる。ヴェリドがいつ致命傷を負ってもおかしくない。

 ヴェリドは今、竜を殺そうなどと思っていない。それゆえ防戦一方になるが、瘴気による身体強化や身のこなしを身につけたおかげで回避するだけなら思考の片手間で行うことができた。対面する竜が真なる竜であればそのような芸当はできないが、幸い目の前の存在はアークとの混じりものだ。

 ヴェリドは揺れる決意を固めるために自分が奪ったであろうものについて考えている。それは自分がした罪を知ることで、初めて前に進むことができると信じているからだ。そんなヴェリドの思考を邪魔する存在はリヴェルの他にヴェリドの中にいた。


――俺を奪い返せ!


 アークの声をヴェリドは煩わしく思い、顔をしかめる。しかしその声は無視することができないほど強い主張をしていた。魂は共鳴し、自分の中に眠るアークの記憶が呼び起こされる。

 それは教会の人間にシリオンを連れ去られた記憶。それと同時に、全てを無くしたとしても、アークがシリオンを連れ戻そうとする決意の瞬間でもあった。

 全てを投げ出せる人間は強い。しかしそれ以上に不安定で危険な存在だ。そういった人間は止まることを知らず、目的を成し遂げるか道半ばで悲惨な死を迎えるかのどちらかになる。アークはシリオンを救おうとしたが、道半ばで死に絶えたのだった。

 ヴェリドは自分の罪を知ろうとしている。それは自分の中にある過去の記憶にも同じことが言えた。自分の中に抱えた過去や罪を全て知り、できることなら償いたいとも考えているのだ。もしアークがシリオンを救う過程で罪を犯しているなら、ヴェリドはその罪を背負い生きていくのだろう。


 リヴェルは攻防の中で、右からの攻撃への反応速度が、左からに比べて遅いことに気づいた。その気付きが正しいものであるかを確かめるために、竜は左から爪を振るった。ヴェリドは余裕を持って後ろに下がりながら爪を躱した。次に右から爪を振るうと、ヴェリドは先程より少しだけ遅れて爪を躱したのだ。

 ヴェリドの瘴気による感知はしっかりと機能している。しかし右目がないということが無意識的に情報の伝達を遅らせていた。それは長年染み付いた感覚であり、一年そこらで解決するものではない。

 リヴェルは少年のむき出しになっている眼窩を見て確信に至る。普段、ヴェリドは眼帯をすることで右目を隠していた。しかし今は眼帯を外し、右目の空洞をむき出しにしていた。リヴェルは右目の欠損が少年の弱点だと見抜いたのだ。

 それからの行動は速かった。

 リヴェルは再び距離を詰めて左の爪を振るう。ヴェリドも同じように下がって躱す。そこからリヴェルは振るった爪を接地させ地面を蹴った。竜は体勢の低い状態から勢いの乗った巨体でヴェリドに対して体当たりを仕掛ける。

 その様子は興奮した犬が飼い主にじゃれつくようだ。しかし巨体につまった力は犬のそれを容易に凌駕する。ヴェリドは今までと異なる攻撃に反応が遅れた。右からの突撃を躱すことができないと判断したヴェリドは咄嗟に魔剣を手に取り盾にした。

 それでも突撃をいなし切ることはできず、盛大に吹き飛ばされる。ヴェリドは背後の木々に打ち付けられまいと、魔剣を地面に突き刺して衝撃を殺す。突き刺した地面にはたくさんの魔獣の死体が散乱していて、ヴェリドが通った後には血しぶきが舞っていた。

 ヴェリドの手には巨体を受け止めた鈍い痛みが残っている。しばらくの間は魔剣を握っても使い物にならないだろう。鈍い痛みとは反対に、地面に散らかる魔獣たちの血肉の柔らかい感触も手の中に残っていた。


 その柔らかい感触がヴェリドを捕らえて離さない。それは彼らを殺したときの感触によく似ていた。まるで自身が殺した彼らが語りかけているかのような錯覚がする。


――よくも俺たちを殺してくれたな!

――私たちが何をしたっていうの?


 それが偽りの声だとヴェリドもわかっている。しかし偽りだからといって簡単に切り捨てられるほど、ヴェリドは達観していない。ヴェリドが達観しているのなら、そもそも彼らの声を聞くことはなかった。

 ヴェリドは抵抗もせずに彼らの呪詛を聞き続ける。それは無意識の自分が自分を責め立てる声であり、自分の中で想いを飲み込むための方法でもあった。

 ヴェリドの中の認識が変わっただけで、一度はその想いは飲み込めているのだ。そのときはガーリィから言われた言葉によってその時は心が軽くなった。今のヴェリドにできるのは実質の人殺しにどう向き合うかを思案することだけだ。

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