第33話 魔猿と魔獣、そして竜

 後少しでリヴェルのもとにたどり着くというところで、血の匂いが強く香るようになってきた。鼻腔を直接撫でられるような強い匂いは一人二人の血では到底足りないだろう。どれほどの生き物が血を流せばこれほどになるのだろうか。

 単純に考えれば、現在の状況を作り出したのはこの先に待つ竜、リヴェルだろう。リヴェルがこの森の魔獣を食すために魔獣を殺したと考える。しかしこの森に魔獣が少ないことから、それほど単純ではない気がするのだ。


「大丈夫か?」

「すみません、今行きます」


 ボクが思考に耽っていると、ガーリィさんが足を止めてボクに声をかけてきた。ボクは頷いて小走りでガーリィさんに追いつく。

 リヴェルがいるであろう森の中で開けた場所につくと、そこには血の海の中で佇む一体の竜の姿があった。それは大きな切り株の上に座している。月明かりが竜の身体を照らし、ところどころ返り血で赤く染まった鱗が月光を反射して輝いていた。

 ボクがこれから殺そうとしているのは、ガーリィさんのペットであるリヴェルというだけでなく、森を支配する偉大な竜であることを再認識させられる。

 最初はリヴェルに目を引かれたが、リヴェルの周りの様子も衝撃的なものだ。数十、下手すれば三桁近くの魔獣の死体がある。その多くは魔猿であり、過半数を占めている。道中で見た熊や蛇の魔獣の他にも様々な魔獣が地に伏せていた。

 しかし未だに息があるものも多いようで、それらは恐れを知らずにリヴェルに立ち向かっている。魔猿たちが投石によって気を引いている間に、四足獣が元となった名もなき魔獣たちが距離を詰めて食らいつこうとしていた。竜の胴体や腕、首筋などあらゆる場所を狙っている。

 リヴェルは咆哮を上げ、身体に纏わりついた魔獣たちを回転して振り払った。魔獣たちが噛み付いていた場所からは血が流れている。ボクが以前見たような再生はせずに、痛々しい傷口が身体中に残っていた。

 リヴェルは魔獣たちを振り落とした後、流れるように尾を魔獣たちに叩きつけた。何体か魔獣が殺されるものの、残りの魔獣たちは同じように攻撃を続けようとしていた。


「なんですか、あれ? 普通じゃないですよ」


 獣としての本能が生きているのであれば、こうやって魔獣たちがリヴェルに立ち向かうことはないだろう。強者である竜に立ち向かうなど、生存本能に真っ向から反対するものだ。

 異なる魔獣種同士が徒党を組んで戦っていることもそうだ。彼らは敵対することはあっても、助け合うことはない。魔猿が投石で四足の魔獣を援護しながら戦っているその光景ははっきり言って異常だった。

 その様子はまるで彼らが竜を討とうとしているように見えた。


「ガーリィさん、魔猿って一体何なんですか?」


 ガーリィさんが言うには、魔猿は元々この森にいなかったらしい。それがこうして徒党を組んで竜に立ち向かっているのを見るとなにかがあるとしか思えない。

 ガーリィさんは眉をひそめて口に出すのをためらう素振りを見せた。少し渋ってから、重い口を開く。


「本当に聞くか? 今聞けばお前は後悔するかもしれない。お前は優しいヤツだから」

「それでも、聞かないといけない気がするんです」

「……」

「お願いします」

「……あれは魔獣だが、そう優しいものじゃない。魔猿は人が魔獣化したものだろうな」


 ふと魔獣たちの方を見ると、リヴェルは切り株から降りて魔猿たちとの距離を詰めていた。魔猿たちは詰められた距離を保つように後退する。睨み合いが続くと思われたが、突然魔猿たちがその場で苦しみ出した。その隙を見てリヴェルが体当たりをして魔猿たちを轢き殺した。

 僅かな月明かりを頼りに目を凝らしてみると、赤黒い霧のようなものがリヴェルの身体から出ているのが見える。それが空気の流れで魔猿に到達していることも。

 それを見たボクは頭の中でなにか繋がったような気がした。人はリヴェルの血と魔力に苦しめられている。もともと人であった魔猿も同じで、リヴェルの血霧に苦しめられている。はやり病がリヴェルによるものなら、リヴェルを倒せば街の病も消えるはずだ。


 魔猿がむざむざと殺されているのを見て、ボクは酷い吐き気を感じた。人の命がこのような形で消費されていることが怖くてたまらない。ボクの目の前にある死体の山を作るのにどれだけの死があったのかわからない。

 ボクはあの日殺した彼らのことを思い出した。ボクが殺してしまった、二人で一緒にいた魔猿。彼らのことをもう魔猿などとは呼べない。彼らの死を背負って生きていくと語ったあの日はこんなことは知らなかった。

 ボクが殺したのは魔獣などではなくて、本当は感情豊かな人間だった。ボクが彼らの間に感じた信頼は彼らが人間であった頃に結ばれたはずだ。

 きっと彼らは夫婦だったのだろう。奥さんの腕を撥ねられたから、ボクのことをなぶり殺そうとした。奥さんが殺されたから、激しい怒りを持って攻撃してきた。それらは全て自然な感情だと思う。

 ボクだって大切な人を殺されたら平然としていられないだろう。考えたくはないが、もしそうなってしまったらボクはどうするのだろうか。


――分かたれた俺を一つに! 奴から奪い返せ!


 ……うるさい。


――ァァァァアアアア!


 うるさいよ。


 リヴェルはボクを見つめて咆哮した。アークは一つになれと言ってやまない。それはまるでボクに考える隙を与えないように。一度目と同じような状況で全く違う心境の中、再びボクとリヴェルの戦いが始まった。

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