第5話 死にかける!

 竜の咆哮が否応なくボクを戦いに引き込む。ボクはまだ観察していたいと思っていたが、そんな悠長なことは言ってられない。

 竜は見た目の鈍重さを感じさせない速い動きでボクに迫り、そのままの勢いで爪を振るう。竜にとっては様子見の一撃なのだろう。しかしボクにとっては即死の一撃であり、それをもらうことは絶対に許されない。ボクはその一撃を全力の横飛びで回避した。


 ボクは回避するも受け身すら取らずに地面に転がる。ボクは今まで外に出て動いた経験などない。森を歩くだけで既に底を突きかけているのだ。自分で言うのも何だが、ボクが竜の爪撃を躱したことは奇跡と言っていいだろう。

 ボクは無様に地面に転がりながらも、決して竜からは視線を外さない。先程の横飛びで全身の筋肉が悲鳴を上げているが、ボクはここで諦める気はないのだ。


 爪撃を空かした竜は前足を軸に旋回し、転がるボクめがけて尻尾を叩きつける。見えてはいるが、身体が反応することが出来ない。どうにかして動こうとするが、その時には尻尾が目の前に迫っていた。

 死を覚悟したボクだったが、意識の外側から引っ張られその攻撃から逃れた。振り向くとクロウがボクの首元をつかんで飛んでいた。本来なら当たり死んでいたはずだったが、クロウがボクを掴んで下がることで、即死の一撃を免れたのだ。


「ヴェリド、俺の魔力貸してやるからもう少し頑張って」


 クロウはボクを掴んでいる手と反対の手から、ボクより一回り小さい黒い鴉を生み出す。小さな鴉はクロウの手から羽ばたき、ボクの背中に衝突する。その鴉はボクの中を侵食するように身体と同化していく。実際に見ることは出来ないが、ボクの背中には黒い翼が生えているのだろう。


「そいつはお前の体力温存と緊急回避のための翼さ。翼が消えたら死合終了だよ。最初は感覚がつかめないかもしれないけどうまく使って」


 クロウはそう言うとボクから距離を取り、戦いの成り行きを眺められる場所に移動した。どうやらこれ以上干渉するつもりはないらしい。ボクは背中に意識を向けて翼を動かそうとする。

 少し力むと背中の翼はパタパタと動くが、それ以上の動きは見せない。しかし飛びたい方向を意識すると翼が意思を持ったように動き出し、ボクの身体を運んでくれた。ボクは竜から距離を取った正面に位置して、そのまま竜を睨む。


 竜は先程と変わって受けの構えを見せていた。しかしボクは攻撃手段を有していない。どうすることも出来ないまま、しばらく睨み合いの時間が続いた。

 しびれを切らしたのはボク、ではなくボクの中の魂だった。竜と対面し始めてから今まで、ボクの中で魂が声高々に主張を繰り返していたが、その声に違うものが混ざっているような気がするのだ。

 魂が自分の力を使えと言っているような気がした。ボクは竜に隙を見せないようにしながら胸の傷にそっと手を当てる。ボクは魂に従って胸元の傷口からそれを引き抜く。

 それは美しい紫紺の魔剣。その魔剣はボクを貫いた光の剣に酷似していた。光剣に刻まれていたように、紫の剣にも美しい文様が刻まれている。


 ボクは紫紺の魔剣を手にして、竜に向かって走り出す。竜はボクをからかうかのように前足を叩きつける。ボクは減速して攻撃を空かし、体の横に抱えていた剣を薙ぐ。しかしひ弱なボクの一撃は竜の鱗に阻まれ、肉を切ることはできなかった。

 反撃とばかりに、竜は全身を転回してボクを薙ぎ払おうとする。体を引こうとするも間に合わず、ボクは正面から手痛い一撃をもらい吹き飛ばされた。ボクは背中に来るであろう衝撃に備えるが、衝撃はいつになってもやってこない。翼がボクを衝撃から守ったのだろう。


「二殺」


 ボクが翼の性能に感謝しているうちに、竜は追い打ちをかけて来る。その手段は単純な体当たり。ボクより遥かに大きい図体による体当たりを貰えば、あっという間に死んでしまうだろう。


 しかしこれはボクにとってもチャンスなのだ。自分の力で魔剣を振るっても、ボクは竜に傷一つつけることが出来ない。だが、竜の突撃に合わせて魔剣を突き立てる事ができれば、竜の鱗を貫けるかもしれない。

 それにボクの体力も既に限界だ。戦い始めてからずっと限界だが、いつ本当に動けなくなっても不思議ではない。魔力の発現ということなら目的は達成しているが、できることならこの竜に一矢報いたいのだ。


 ボクは迫りくる竜の前足の付け根を狙い、剣を構える。剣の切っ先が揺れるのは恐怖なのか筋疲労なのかわからない。そしてボクは竜とぶつかる瞬間を逃さぬように両目を見開く。その時、眼球がないはずの右目でも何かが見える気がした。

 竜と衝突するその瞬間、ボクは極限の集中の中で紫紺の魔剣を突き刺し、背後に倒れるようにしながら竜の下に潜り込む。


 竜は手痛い反撃に悲鳴を上げ、全身をゆすり、暴れ始めた。竜は痛みを地面に分散するように尻尾を地面に打ち付ける。

 竜がそのままの勢いで通り抜けてくれることを期待していたボクは、巨大な鞭のようにしなる尻尾で地面に打ち付けられる。尻尾がボクに叩きつけられる瞬間、背中の翼が蠢きボクの全身を覆い隠した。


「三殺、死合終了だよ」


 黒はボクを内に入れたまま移動しているようだった。黒い膜が消えた時、気がつけばボクはクロウの隣にいた。


「待ってください! ボクはまだやれます!」

「何ができるっていうんだい? 君は俺の力を借りて竜に一撃入れただけじゃないか。言い方が悪くなるけど、俺の力がなければ君は機動力がない雑魚だよ。それでも奴に一撃を入れたことは素晴らしいことだと思うけどさ」


 ボクは思わず感情的になり、我を忘れてクロウに叫んだ。しかしクロウの冷静な言葉に、ボクは何も言えずに表情を歪める。戦いの興奮が途切れたせいだろうか、竜に刺さっていた魔剣は消えてしまっていた。


「君は瘴気の扱い方を知らないからあの魔剣の制御だって怪しい。元の目的は魔力の発現だから今回のことは上出来なんだけどさ。それにさ、あれを見て」


 クロウはそう言うと竜に向かって指差した。竜から流れた血は自身の傷を素早く再生し、ボクが命がけでつけた傷は何事もなかったかのように癒えていた。竜はボクたちに向かって突撃してくるが、クロウはボクの首元をつかんで宙に浮き、なんでもないように話しを続ける。


「君が魔力を使ったようにあの竜も魔力を持つ。君が感じたように、あの竜もアークの魂をもっているから当然だよ」

「……ボクは強くなれますか?」

「もちろんだよ。そんなに悔しいなら強くなってから奴と再戦すれば良いさ」


 ボクの心の中は、色々な感情で溢れかえっていた。

 生きていることへの安堵。強くなろうという向上心。次に竜と戦うときは勝ってやるという対抗心。だがボクの胸にある一番の感情は悔しさだった。

 クロウの、何ができるかという問いに答えられなかったこと。クロウの言葉を聞いてそのとおりだと思ってしまったこと。クロウの言葉は嫌というほどボクに突き刺さった。


「……はい」


 それが今のボクに出せる唯一の言葉だった。

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