IF74話 急峻
山頂にあるという展望台近くの駐車場は山道に入って10分もかからず到着できた。そこまで山は高く無いのだろう。
「あちらの階段を上がっていくと富士山が綺麗に見える展望台があります」
「あっちの方にロープウェイ乗り場って書いてあるけど、麓からロープウェイで上がって来れるの?」
「いえ、隣にある久能山の方と往復するためのロープウェイです」
「久能山?」
「えぇ、日本平には元々1つだった兄弟のような山が隣にありまして、こちらから中腹までロープウェイでいけるんです。その山には東照宮がありますので、どうせなので行きませんか?お宮の塗り替えが行われたばかりなので、とても綺麗ですよ」
「行きたいっ!」
富士山を見るだけでなく、隣の山の東照宮にも行くようだ。権田にとっては自身のルーツになるような場所だから連れて来たい場所の1つだったのだろう。だから料亭にも1時間も遅れると伝えたのだろう。
「ねぇロープウェイに乗ろうよ~」
「せっかくここまで来たんだし行きましょうか」
「代金はかかりませんよ」
「それなら行こうか・・・」
無料のロープウェイなんてあるんだな。スキー場のリフトに乗るのにもお金はかかるのにな。
「おぉ!」
「凄く綺麗!」
「さすが駿河県は富士山の本場だな」
「あはは、甲斐県の人が怒るよ」
「ここは駿河県だから良いだろう」
「これはカメラで撮りがいがあるな」
日本平から見える富士山はとても見事だった。
清水という港街が眼下に広がり、その先にキラキラ輝く駿河湾が見え、その先になだらかに広がる富士山がそびえているという、全てのバランスが整った風景だった。通過するのに10分もかからない低い山に有料道路が通されていて、大きな観光バス用の駐車場が整備されているのもちゃんと理由があったという事なのだろう。
「ここに来れて良かったわ、もし時間があるなら絵を描きたいぐらいよ」
「確かにいい絵が描けそうだね」
どうやらカオリは見事な風景に自身の絵心がくすぐられているようだ。絵画教室にはもう通ってはいいないけれど、今でも時々絵を描いているからな。
俺はその景色を眺めながら、前世で好きだった富士山の麓で凧あげをする線香のテレビCMを思い出していた。小さい頃、そのCMの中であがっていく連凧が欲しくて、兄貴と和紙と竹ひごを買って作り、海岸に行ってあげた事が何度もあった。
その数十年後にその海岸で一人寂しく散歩して溺れて死ぬとは思わなかったけれど、俺が死ぬまで兄貴との縁をつなぐ大切な思い出として残っていたし、生まれ変わってもこうやって時々思い出す事がある。
「さすがに日本一の山って感じだね」
「右側に見えるのが愛鷹山だそうよ、1,200mを超える山なのに、富士山に比べると小さい丘に見えてしまうわね」
「遠近感が狂ってしまいそうな山だ・・・」
「えぇ・・・」
大戦中、アメリカの爆撃機は富士山を目印にしていたらしい。雲の上に出れば富士山の山頂だけポコッと飛び出ているので迷わなかったそうだ。
「ここから見える富士山は、海から続く末広がりな山体の様子が分かるので、とても綺麗に見えます」
「あそこの真ん中の右側のポコッと尖がっている部分は何?」
「あれは江戸に幕府があった時代の噴火口がある場所です」
「えっ?噴火って山頂からするんじゃないの?」
「えぇ、山の側面から噴火したようです。その当時の浮世絵にも描かれていますよ」
「そうなんだ~」
シオリは江戸時代の富士山の噴火口を知らないらしい。江戸時代におきた飢饉のきっかけとして歴史で触れられるけど噴火口がどことまでは教えられないから山頂から噴火したと思い込んでいたのだろう。
小学校の頃に、親父やお袋の実家に行くために新幹線に乗った時は、シオリははしゃぎながら車窓から富士山を見ていたけど、横にある噴火口は気にならなかったのだろう。
他にも学校の行事で何度か富士山の近くには行った筈だけど、全て駿河県と反対側にある甲斐県にの方に行ったので、江戸時代の噴火口について認識したのは初めてだったのかもしれない。
「そろそろあちらのロープウェイ乗り場に行きましょうか」
「はーい」
展望台で15分ほど富士山鑑賞をしたあと、旅行会社の添乗員のようになっている権田に案内され、展望台から少し離れた所にあるロープウェイ乗り場に行った。
春休みという事もあり、観光客が多いらしくロープウェイの乗るために2回待つことになった。
ロープウェイのチケットは久能山東照宮に参拝するチケットが一緒になっていた。値段は600円と書かれていたけれど権田がいると顔パスらしく、売り場で「11名だ」と言うだけで、権田はチケットを受け取っていた。
「結構急な階段だね」
「日本平と久能山は、平坦な土地が斜めに持ち上がるように出来た1つの山だったそうです。そして長年の浸食で山頂部分が崩れ、北側にあるなだらかな日本平と、南側の急峻な久能山になったようです、皆さんがお乗りになったロープウェイの下の渓谷がその浸食された痕跡なんです」
「へぇ・・・」
「だからあの渓谷は浸食によって昔の海の地層が露出していまして、掘ると貝の化石が沢山出て来るんですよ」
「いいな~」
化石堀りと聞いて、シオリが興味深そうにしていた。シオリは小学生の頃、虫採りとかどんぐり収集とかそういうものが好きな子供だった。化石というロマン溢れる単語を聞いて、その頃の血が騒いでしまっているのだろう。
「久能山東照宮の表参道は海側から続いています。急で段数が多い階段なのでここまで登るだけでも結構大変です」
「それで凄い疲れている人がいるんだ」
「えぇ、時間がない方や体力に自身がない方は、日本平側からロープウェイに乗った方が賢明ですね」
東照宮自体も傾斜地にへばりつくように建てられてるし、体力がない人には参拝は大変そうだな。
「斜面にある白い奴は何かしら?」
「あれは苺用のビニールハウスですね」
「苺?」
「えぇ、南側の斜面は冬場になると丁度太陽が真っすぐ当たるそうです。石がとても暖かくなるので、冬場でも苺が育てられるそうです」
「あっ! クリスマスの時期に、ケーキ用に売られていた苺が駿河県産だったわ!」
そういえば、お袋はクリスマスの後に、安売りされた苺を大量に買って来てジャムを作っていたな。
「えぇ、年末はクリスマスケーキ用にフルーツの需要があるのですが、本来は寒くて栽培には向か無いのでハウス栽培が必要です。しかしこの久能山ではビニールハウスが無い時代から温まった石を使い苺を栽培して来たそうです」
「へぇ・・・ここで作られた苺だったのね・・・」
斜面を使って石を温め苺を栽培か・・・、前世では山の南側の斜面に太陽光パネルを敷き詰めて景観を壊す事が問題視されていたな。木が伐採したため保水力が落ちてしまい土砂災害が起こしたところもあったし、海外製の太陽光パネルに使用された有害な金属が溶け出して土壌汚染が発覚した所もあったし、設備の劣化による放電により火災を起こしたところもあったし、処分するのにお金がかかるからと危険なパネルが放置されたり不法投棄されたりと様々な問題を起こしてた。
太陽光を推進していた議員は利権を散々貪り、官僚は問題を解決すると称して天下り組織を新たに作っていた。地球に優しいと一時期もてはやされた旧世代の太陽光発電は、俺が死ぬ直前辺りでは後世まで禍根を残す負の遺産でだと叩かれるだけのものになっていた。
それに対して綺麗に並んだ苺のハウスは、農家の人が出入りをして綺麗に管理しているのだろうし、そういった事は起きにくそうに思う。
日本平の展望台から見えていた景色には、色づく桜の他、柑橘類の果樹園や茶畑もちらほら見えていた。
メガソーラー発電所を作るより、ああいった人の目を楽しませる根をしっかりと張る広葉樹木を大切にしたり、斜面に適した農産物を生産する事に使った方が、環境に優しそうだなと思う。
「東照宮って、近所の神社の奥にある建物と屋根の感じが似てるね」
「あそこも東照権現を祀る宮です。本宮は浅間と海神ですけど、稲荷大神も祀っていますし、奥の宮には東照権現もあるんです」
「海から遠いのに海神も祀ってるの?」
「えぇ、昔は駅南の方は海岸だったらしいですよ。だから鯨塚もありますよ」
「えっ?鯨が神様なの?」
「えぇ、富士山の噴火で飢饉に見舞われた時に大量の鯨が浜に打ちあがったそうです。それで近隣の村々の飢えが凌げたそうです」
「あれ?それってプロ野球団がホエールズになった理由?」
「えぇ、それに初夏に行われる港の祭りも、その鯨の御霊を祀る行事が由来なんですよ」
「へぇ・・・知らなかった」
日本は多神教で非常に多様な神様がいる。だから神社では色んな神様を祀っている。浜に打ちあがった鯨だって人を飢餓から救った神様として祀られる。親父の実家の近くにある宗像大社も3柱の海の女神を祀っていたので、同じ様に鯨を祀っているかもしれない。
神社とお寺は色々混ざっていた時代があったらしく、海外の神様も神社で祀られていたりする。例えば七福神は恵比寿以外は日本以外の神様らしいけれど、神社で祀られている事も多い。カオリが好きなラッコがいる水族館の近くの神社で祀られている弁財天も、天竺の神様だ。
権現とは現世に神の化身が誕生した事をさすらしい。
東照権現も東日本を支配下におさめて戦乱に終止符を打ち、長い太平の時代の基礎を作った徳川家康を現人神にしたものだ。
昔の頭の良かった人を学問の神様として祀っている天神も、天から雷を落とした怨霊の御霊を鎮めるために祀ったものだったりする。
日本の宗教観は結構様々な国のものが混在している。そのため一神教の宗教観はあまり深く根付かない。けれど、宗教の儀式を娯楽として受け入れてしまう所がある。
クリスマス、バレンタイン、除夜の鐘、七夕祭、みんな海外からやってきたものが日本に定着したものだ。
海外の人からしたら信じられないらしいけれど、日本にとっては良いものは受け入れて嫌なものは受けれないという、当たり前の考え方だったんじゃないかと思う。
日本はキリストやアラーや仏陀だって神社に取り込んで一緒に祀ってしまえる国なんじゃないかと思うのだ。
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