IF95話 応援歌

 家に漂う薔薇の香りにも慣れた8月の中旬に県大会があり、俺は200mと400mの個人メドレーで全国の標準タイムを突破して全国大会に駒を進める事が出来た。記録もカオリにあと一歩及ばすというタイムだった。男女差があるから単純な比較は出来ないけれど、着実にカオリに追い上げた事が実感出来てとても嬉しかった。


 部活に注力した影響で、期末テストの追い込みがおろそかになってしまい、大会の前の週にあった期末テストで順位を下げ、学年81位と1年2学期の期末テストの結果とほぼ同じ順位になってしまったけれど、水泳の結果が伴ってくれたので気にしなかった。


 俺にとってインターハイ出場はゴールではなく通過点に過ぎないため、まだまだ精進するつもりだ。でも少しは喜んで良いだろうと思い、400m自由形で全国への切符を手に入れたケンタと2人で、部活帰りに、学校近くの商店街にあるお好み焼き屋で、ミックスモダン焼きスペシャルを食べながらお祝いする事にした。


「「乾杯〜」」


 ジュウジュウ音を立てて焼き上がりつつある鉄板の上のミックスモダン焼きスペシャルが焼き上がって行くのを見ながらケンタとコーラが注がれた小さなグラスをカチンと当てた。


「一度これを食べてみたかったんだよね」

「4000円はなかなか手が出ないもんな」

「うん、でも本当に美味しそうだね」

「あぁ」


 普段学校の連中と来た時に食べる1000円の豚玉大盛り比べても大きさは遜色なく、豚肉の他にもイカ、エビ、ホタテなどの魚介類が、これでもかと入っていて、満足感はかなり上だと分かる。オルカの話では生地に山芋がふんだんに使われているので濃厚なのに軽い口当たりらしい。

 ちなみに豚玉大盛は学生限定で出してくれる特別メニューで5人前の大きさがあったりする。


「さすがに、あぁ自慢されたら食いたくなるよな」

「うん」


 この店でお祝いをする事になったのは、オルカが、俺たちより先に100m走で全国行きを決めた依田とお祝いで食べたらしく、俺たちに「すっごくフワフワで美味しかったよ〜」と言って来たからだ。

 ちなみにカオリは、サクラと早乙女のショッピング街の2人の他、佐々木と篠塚という同じ中学校の出身の女生徒2人を加えた5人で食べた事があったらしく、「2人で楽しんで来て」と言い、オルカとケーキを食べに喫茶店に向かった。食が細いカオリはみんなに合わせて食べたそうだけどかなり苦しかったらしい。


「でも1500は惜しかったな」

「うん、でも400に出れるだけでも充分だよ。それにリレーやメドレーリレーで全国に行ける人が増えた事が嬉しいんだよ」


 ケンタは1500m自由形において、約2秒差で標準記録を超えられなかった。中長距離2種目に加え、リレーとメドレーリレーにも出るというスケジュールは、ケンタの体力をもってしても重かったようだ。

 大会2日目に400m自由形で全国行きを決めていたケンタは、4日目に行われた1500m自由形で、リレーに影響が無いよう後半のスパートをセーブしたのではと俺は思っていた。


 ケンタは中学校時代、中距離を得意としていたため、100mも自由形の短距離を専門としている後輩の秋山よりも早かった。しかも合計タイム的にケンタ無しにはリレーもメドレーリレーも全国標準記録を超える事は出来そうに無かったため、ケンタには厳しいスケジュールで試合に出て貰った。


「ケンタは長距離より中距離の方が向いているのかもな」

「うん、でもそれは現時点でだよ。高校に入ってからは、スピードより持久力の上がりが良いと実感してるんだ。それに、フリーの短距離は激戦だからね。200は開けておいた方が良いんだよ」

「先輩たちか・・・」

「うん・・・」


 確かに現在水泳部の男子生徒で、自由形の短距離を専門としているのは3年生に2人、1年生に2人の合計4人だ。しかし、俺やケンタの他、個人メドレーで中学校時代に県大会出場した海堂、バタフライを得意としている県大会出場者の部長、平泳ぎを得意としている同じく県大会出場者の副部長よりも遅いため、リレーにもメドレーリレーにも指名されなかった。そのため個人種目に出場しなければ出るものが無いという状態になっており、結局1年生の2人の方が部内の記録会で100mも200mも早かった事で、3年生の1人が400m自由形だけにエントリーして地方ブロック大会が引退試合になっていた。


「姉妹校だと、県大会出場者クラスでも得意種目に拘ると出れないらしいし、こっちの方が恵まれているのかもな」

「うん・・・」


 姉妹校はスポーツ推薦がある事や設備が充実しているため水泳部の部員数がとても多い。冬場行われた室内の短水路の大会で見かけた姉妹校の生徒が、市の大会の時点でエントリーされておらず、客席から声援を送っているのを見かけただけだった。


「そういえば樺太県ってどんな気候なんだろうね」

「30度を超える事は稀で、平均気温は20度を下回るらしいぞ」

「それはかなり涼しそうだね」


 ケンタが急に話題を変えてきた気がした。1500mで後半伸びなかった理由に言及されたくないのかもしれない。優しいケンタは全国に進んで喜ぶリレーとメドレーリレーの他の出場者に気を使っている。


「会場は室内プールだけど、外に出ることも考えて厚着にすべきだろうな」

「確かに風邪引いたらたまんないね」


 樺太県の気候については出張で行くことがある親父から聞いていた事があった。だからきっちりと気候対策して向かおうと考えていた。


「そういえば、部長から俺とケンタのどちらが部長になるんだって聞かれたぞ」

「僕よりミノルの方が向いてると思うよ。でも対外的な知名度を考えるとオルカやカオリって線もあるんじゃないかな」

「なるほど・・・」


 水泳部は伝統的に男子生徒から部長を出し、男子と女子生徒から1人ずつ副部長を出していた。けれど圧倒的に選手としての知名度があるのはカオリやオルカだ。


「4人で相談してから決めるか」

「そうだね」


 リレーとメドレーリレーに出場する選手以外の3年生は既に引退しており、出場する3年生もインターハイ終了時点で引退する。

 インターハイ直後にある夏合宿は新部長と副部長が責任を持って計画を立てないといけないと言われている。


△△△


「なんかペロっと食べれてしまったな」

「うん、さすがにもう入らないけどね」


 豚玉より生地に山芋がふんだんに使われているのか口当たりがフワッとしていて軽く感じた。話しながら食べていたらいつの間にか完食していたけれど、豚玉大盛りと変わらない大きさはさすがの量で、店を出たときにはかなりお腹が張っていた。


「カオリやオルカはまだ喫茶店かな?」

「女性は長話するからいるかもね」

「邪魔しちゃ悪いな」

「それもそうだね」


 俺は最近持ち歩くようになった携帯電話で、カオリに「壱銭を出たけどそっちはまだケーキ中?」とメールした。

 すぐに「ジャンボパフェを食べてるけど無くならない」と返事が返って来た。


 カオリはまた見たくないというメニューを増やすつもりだろうか。カオリにしては珍しい失敗のように感じた。


△△△


 終業式中に行われたインターハイ出場者の壮行会で壇上に上がった。

 主役は今年も優勝だと思われているカオリとオルカの他、2年連続でインターハイ出場を決めたサッカー部と、3年連続でインターハイ出場したという、男子テニス部ダブルスと男子砲丸投げの先輩たちだろう。

 けれど去年見上げていた壇上に登り、見上げられているという事が、とても感慨深かった。


「ほんのちょっとだけカオリに並んだ気分がするよ」

「えぇ、私もミノルがやっと隣に来てくれたという気持ちがするわ」


 俺とケンタがお好み焼きでお祝いをした日に、カオリが喫茶店でジャンボパフェを注文したのは、俺が追いついて来た事が嬉しくて、浮かれてしまい、オルカと同じものを良く考えず頼んでしまったかららしい。

 様子を見にケンタと喫茶店に入って同席した瞬間に恥ずかしそうに言われて、俺はとても顔が熱くなってしまった。

 俺はニヤニヤしているオルカとケンタにデコピンをしたあと、カオリが残したパフェをスペシャルモダン焼きスペシャルによって殆ど隙間がない胃袋に無理矢理押し込み、カオリの手を取って店を出た。

 オルカから携帯に「払っておいたからね〜」とメールが入っていたけれど、はち切れんばかりになったお腹を抱えてしまった状態でバスに乗って揺らされていたので、それどころでは無くなってしまい、色々湧き上がる感情が流されてしまった。

 けれど、今の言葉でカオリが俺がカオリの隣に立ったと思ってくれていると実感出来た。

 目が涙で濡れて視界がボヤけていくのを感じながら、応援団の音頭によって全校生徒が伝統の応援歌を斉唱するのを聞いていた。

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