IF93話 変顔

「シオリは喜んだ?」

「えっ?シオリ?」


 シオリが権田から薔薇を貰った翌日の昼休みに、サクラが俺達の教室にやって来て話しかけて来た。普段ならカオリに話しかけて戻るので珍しい。クラスメイトが少しざわついているので悪い噂が流れて不幸の手紙が増えるかもしれない。


「薔薇の花束によ」

「あぁ、とても喜んでたよ。あれはサクラの所で買われたものだったんだな」

「えぇ、あの家はお得意様よ。店内にあるバラ全部で花束を作るよう注文が来て、急いで包んで配達したらしいわ」


 どうやら、あの薔薇はサクラの家からの買われたものだったらしい。


「随分と豪快な注文だったんだな・・・」

「えぇ、私が昨日家に帰ったら薔薇の無い花屋になってたわ」

「他のお客様に迷惑をかけたな」

「似た事は、時々ある事だから大丈夫よ。プロポーズするからホテルの部屋を赤い薔薇で埋め尽くしてくれとか、豪快なお客様は時々いるの」

「なるほど」


 日本の景気が良いから、こういった豪快な客は結構多いのかもな。


「もし保存するなら言ってね」

「保存?」

「ブリザーブドフラワーにするのよ」

「それはドライフラワーと違うのか?」

「違うわ、生花を薬剤で加工して保存する方法よ」

「造花みたいな感じか?」

「造花とは違うわ、本当に生きた花に見える状態で保存できるのよ」


 そういった花の加工法があるのか。でもサクラの店でそういった花を見たことは無いな・・・いや・・・もしかして・・・。


「祭りの時の花冠もその加工してたのか?」

「えぇ」

「それでシオリの奴が長持ちしてたのか・・・」

「1日しか持たない髪飾りなんて売るわけないじゃない」

「祭りだしそういう売り物もアリだと思ってた。でもそれなら1個500円は安すぎるんじゃ無いか?」


 使い捨て的な髪飾りなのに少し高いなとは思ってあの時値切りをした。でも長く使える髪飾りなら安いように思う。


「茎が折れて売り物にならなくなった花で作ってるから、原価は100円もかかってないのよ。保存加工した状態で貯めておいて、祭りの直前に花冠にしてるの。1時間で10個ぐらい作れるしいいお小遣い稼ぎになるのよ」

「それでも安過ぎる気がするが・・・」

「売れないと保存状態の花が溜まっていく一方なの。生きた状態に見える花なんて祭りで浮かれた時ぐらいしか買おうと思わないでしょ?だから手に取りやすい値段にして売り切るのよ」

「なるほど・・・」


 そういった事情があっての安さだったのか。


「でもあの量を全部加工するのはさすがに大変そうだな。それにシオリの部屋に置かれるんだと思うが、部屋の大きさの割に花の数が多すぎる。家中の花瓶に生けても余ってバケツに生けられてたからな」

 「花の形を気に入った物だけ選んで加工する感じで良いんじゃない?他はドライフラワーやポプリにしたり、お風呂や紅茶に花びらを浮べて香りを楽しんだりすると良いわよ」

「すごい贅沢でお洒落な楽しみ方だな」

「バケツに生けられ続けるより良いでしょ?」

「それもそうか」


 さすがサクラは花屋の娘だけあって、目で楽しむ以外の楽しみ方を色々知っているらしい。


△△△


 学校のプールで泳ぐようになり、冬場の長水路の泳ぎ込み不足も解消して、部内の記録会でもタイムが伸びて来た。手押し式のストップウォッチ上ではあるが400m個人メドレーで全国の標準タイムを突破しインターハイへの出場も見えて来た。

 潜水泳法についても、上唇で鼻を押さえるという事が出来ず苦手にしていた背泳でも、少しずつ鼻から息を出すという方法で8mまで距離を伸ばせるようになった。

 人は肺いっぱいに空気を吸うと浮かぶ事が出来るが、息を吐き過ぎると水より比重が下がって沈むようになる。

 特に継続して運動を続けた結果、体脂肪率が一桁台になっているため、体の比重が重いため、呼吸に失敗すると、体を若干前かがみ気味に屈曲させて浮上させる必要がある。

 それでは体がピンと伸びた状態で、体の自然な浮力で水面まで上がった時より失速するためタイムが落ちてしまう。


「今のターンはいい感じよ」

「あぁ、綺麗に浮上したのが俺にも分かったよ」


 今のところ、きっちりと肺に空気が入った状態でターンし、唇を尖らせ少しでも鼻の穴を小さくし、蹴伸びの間に鼻からの気泡を6つ,そのあと一蹴りの間に鼻から気泡を2つでるようにしながら4回蹴って浮上するのが最も綺麗に浮上出来る事が分かって来た。

 それが本番でも出来るよう体に染み込ませるため、自主練の間、反復練習をしていた。


「じゃあ次は私の番ね、顔をじっと見たら駄目よ?」

「あぁ分かってるよ」


 潜水泳法の練習はかなり呼吸が乱れて疲れるので、カオリと5回づつ交代で練習している。そして浮上の具合を確かめあっているのだけれど、唇が柔らかいらしくきちんと鼻が塞げる代わりに、かなり変顔になるカオリはそれを恥ずかしがっていた。

 

 小さい頃は睨めっこで変顔を見せあった仲なので、今更という気がするけれど、そういった恥じらいを感じ合うのは、かなり近しい幼馴染を続けて来た俺とカオリには大事だと思うので尊重していた。


「ミノルとカオリはまだ練習していくの?」

「あぁ」

「オルカは依田君と走りに行くの?」

「うん」


 大会前の調整期間なので、部活としての練習時間は少な目になっていた。ただし日が落ちるのが遅いため、下校時刻になってもまだ空は明るい。

 去年まではオルカは有り余る体力を、泳ぎ込みで費やしていたけれど、今年は依田と走ってから帰るようになっていた。


「じゃあ続けるか」

「えぇ」


 俺とカオリ以外で残っている部員はケンタだけだ。ケンタは形に気をつけながらゆっくり目に泳いでいる。ゆっくりなのに結構体が伸びているらしく速い。このバランスを保ったまま速度を上げていく事が出来れば全国に行けると信じているらしい。

 

△△△


「今日は結構良かったんじゃないか?」

「うん、今日少し感覚が掴めたよ。6割の力でも1分10秒ペースで泳げてたしね」

「あぁ、結構早かったな」

「でも8割にした時、1分5秒ペースを維持出来なかったからね」

「まだ完成では無いか」

「うん、もどかしいね」

「オルカから、焦ると崩すと言われてるだろ?」

「うん、でも大会目前だしね」

「県大会までに間に合えば良いんだよ」

「そうだね・・・」


 俺もケンタも、県大会出場を逃すようなタイムでは無くなっていた。この1年で全国に行けるかどうかという選手にまでなっていたのだ。

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