IF89話 少しだけ長くなっていた

 GW前に新入生の部活の勧誘期間があり、水泳部にも6人の入部があった。男子3名、女子3名で、その中に同じ中学校の後輩である秋山もいた。県大会に出場した経験がある生徒が3名おり、部長曰く豊作の年になるそうだ。


 俺達の高校は長水路のプールは持っているけれど、姉妹校に比べてスポーツに力を入れておらず、一定以上の学力が無ければ入学は出来ないという方針であるため。県大会以上に出場した経験を持つ有力選手がうちの高校に入学する割合はかなり低いため、去年の様な年は特別だったようだ。


「俺っ! 綾瀬選手のファンですっ!」

「私もっ!」

「これからよろしくね」


 どうやら海堂という男子生徒と松山という女子生徒の2人はカオリに憧れてこの高校に入ったようだ。


「私も長距離を得意にしています! アドバイスして貰えると嬉しいです!」

「そうなんだ~、一緒に練習しようね」

「はいっ!」


 加賀美という女子生徒はオルカに憧れてこの高校に入ったらしい。


「さすが綾瀬先輩は人気者ですね」

「お前も混ざらなくて良いのか?」

「僕はどちらかというと田中さんの方を慕っていますから」

「そうだったのか?」


 秋山は随分と物好きなんだな。


 残りの吉原という男子生徒と高橋という女子生徒の2名はケンタの後輩らしく3人で話し込んでいた。その2名もケンタを慕って入部したのかもしれない。


 カオリに憧れて入部したという海堂と、オルカに憧れて入部したという加賀美の2人は県大会出場経験があった。海堂はカオリに憧れていただけあって個人メドレーを得意としており、加賀美はオルカに憧れていただけあって長距離を得意としていた。タイム的にも俺達と同じメニューがこなせるだろうという事になり、プール開き以降は俺達が泳ぐ1コース入る事が決まった。出場種目も俺とオルカと被っているけれど。1学校2名出場出来るため出場を争う事にはならなそうだった。

 ただ、海堂はどの型も県大会出場クラスに届きそうなぐらい早いため、リレーやメドレーリレーでも活躍してくれそうな感じであるため、新人戦の時と入替が行われるだろう。加賀美も長距離選手とはいえ短距離が遅い訳では無いため女子のフリーリレーも入替が起こりそうだった。


「田中先輩って綾瀬先輩の婚約者なんですよね?」

「あぁそうだよ」

「羨ましいですね」

「やらんぞ?」

「そんな事考えていませんよ」

「文句があったら俺の下駄箱に不幸の手紙を入れたら良いぞ」

「何ですかそれ」

「カオリと付き合うと、男子生徒からいっぱい恨みを買うんだよ」

「そういう事ですか」


 海堂はなんとなく俺の境遇を察したようだ。


「じゃあ田中先輩に言いたい事があったら手紙を書いて下駄箱に投函しますよ」

「宛名が無いと読まずに捨てるからな」

「わかりました」


 海堂は爽やかに笑顔を見せて俺に握手を求めて来た。どうやら海堂も握力はある方らしい。それでも佐野程は強くないので、手が痛くなる事はなく握り返す事が出来ていた。


△△△


 GW期間に部員全員でプール掃除をした。濁ったプールの水の底には泥が溜まっており、その中にはヤゴなどの水生昆虫が多く生息していた。プールの壁に生えた青い苔をデッキブラシでこすり落とし、その昆虫混ざりの泥と一緒にホースの水とスクレーパーで排水溝に寄せて流していく。


「海堂君、バケツに何集めてるの?」

「虫だよ」

「流されるのが可愛そうだから集めてるの?」

「ううん、釣り餌にするんだよ」

「流されるより可哀想な事してるっ!」


 排水溝の近くで固まってしまう泥を崩しながら排水溝に流す作業を担当していた海堂と加賀美が蹲まりながら話をしていた。どうやら海堂は泥の中でウゾウゾしている虫を手で捕まえてバケツの中にいれているらしい。


「海堂君って釣りをするんだ」

「川釣り専門だけどね」

「海堂なのに海じゃないんだね」

「それよく言われるよ」


 釣りとは良い趣味を持っているな。前世ではお金と暇が無くて釣りなんて趣味を持とうとは思わなかったけれど、動画サイトで釣り関連の動画を見る事は結構好きだった。


「虫入りの泥が行くぞ」

「こっちの方に寄せてもらうと助かります」

「了解」


 スクレーパーで泥をそのまま排水溝に寄せようと思っていたけれど、水生昆虫ハンターになってる海堂には少し離れた場所に寄せた方が嬉しいらしい。


「あまり他の作業を遅らせないようにな」

「わかりました」

「はーい」


 排水溝が泥で詰まると汚れを流すのが遅れてしまうからな。


「釣りはいつ行くの?」

「明日行く予定」

「私も行って良い?」

「装備を整えないと危ないよ?」

「じゃあ帰りに釣具屋寄るから教えてよ」


 2人は既にデートの約束を交わすような関係になってるようだ。これから長く同じコースで練習しあう間柄になる2人の関係を邪魔するのは野暮ってものなので、温かく見守る事にした。


「50mプールは広いですね」

「あぁ、だが本番に近い長水路に慣れる事が出来るから、他の学校より有利だぞ」


 市内で長水路のプールを置いている中学校は無いと聞いた事がある。そして高校でも3カ所しかないらしい。姉妹校は室内プールがあるらしいけれど、長水路ではなく短水路のプールなんだそうだ。

 姉妹校は、以前はうちの高校と一緒に練習をしていたらしい。夏場はこちらで長水路の練習をして、冬場はあちらの温水プールを借りるといった感じだ。ただ、こちらの生徒が、あちらの生徒に絡まれて暴力沙汰になった事があったらしく、5年前から合同練習をしなくなってしまったそうだ。


△△△


「まだ水が冷たいわね・・・」

「さっさとアップして練習に入ろう、せっかくほぐした体が固まってしまいそうだ」

「そうね・・・」


 外気は結構暖かい日だけれど、張ったばかりの水はまだ冷たかった。けれどやっと訪れた夏シーズンなので、ここでプールから上がって走り込み練習に戻る気は無かった。


「じゃあ体を温めるためにも行くよ、スイムフリー100×8×4セット、1分20秒サイクル、5分の上からね」

「了解」

「最初から飛ばしますね」

「今日は初日だから抑えている方だよ」


 オルカの作った練習メニューは普段からするとかなり抑え目だった。自由形なら100mは1分10秒サイクルで回るし、15×4セットという感じに1500mに合わせた設定をしてくるからだ。オルカは新入生2人の具合を見るために調整しているのだろう。


「さすがって所ですか・・・」

「あぁ、辛いと思ったら2コースに行った方が良いぞ、あっちは1分15秒ぐらいが一番短いし、8×4まで長くはやらないからな」

「頑張ってついていきます」

「そうしてくれ、慣れる事が出来ればかなりのレベルアップになる」


 自由形のスイムのインターバルトレーニングでは、オルカ、ケンタ、カオリ、俺、海堂、加賀美の順でスタートする事になっている。ケンタのスタミナが向上した事で、後半はカオリを上回る速度で泳ぐようになって来たからだ。


 カオリがスタートした5秒後にプールサイドの壁を蹴り体を伸ばしたあと、ドルフィンキックで10m手前まで潜水したあと浮上して泳ぎ出した。カオリの後ろを泳ぐことは久しぶりだけど、まだカオリには追い付けないらしく、少しづつ離されていく。それでも去年に比べたら格段に近づいており、僅かな差におさまっていた。


「早くなったわね」

「走り込みの効果かな」


 インターバル練習中は、前を泳ぐ人がすぐに出発するので、話せる時間は短い。けれどほぼ同じ時間で泳ぎ続けられるようになった事で、カオリが出発するまでの時間が少しだけ長くなっていた。基本的には息を整える時間に費やすものだけど、今日は負荷が優し目なので少しだけ会話する余裕が出来ていた。


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