IF77話 船酔い

「はい」

「俺だが」

「田中か・・・」


 権田の部屋をノックをして声をかけると、中から扉が開かれ権田が顔を見せた。


「何か用か?」

「少し話す事があってな」

「そうか・・・入ってくれ」


 権田に招き入れられたので部屋に入った。権田の部屋は、俺達が泊まる二人部屋より広くて立派だった。もしシオリが泊まりに来ても、狭いという事は多分無いだろう。


「それで何だ?」

「まずは、シオリが俺と同じ高校を受験するよう言ってくれてありがとう」

「あぁ?いつの話だよ」


 シオリが願書を出す前だから2ヶ月ぐらい前になるのか。たしかに権田にしたらいつの話だって感じだな。


「俺はさっきシオリから聞いたんだよ」

「そうか・・・、まぁ頭が良いならうちに入るのは勿体ねぇ事だからな」


 あれだけ盲目になっていたシオリを説得するのは、勿体ないだけでは聞き分けなかったんじゃないかと思うが、まぁ特に追及すべき事では無いので聞き流す事にした。俺が権田の部屋に来た本来の目的は次の質問をするためだからな。


「それとは別に、シオリの事をどう思っているのか、ちゃんと兄として聞こうと思って来たんだよ」

「それが本題だろ」

「まぁな・・・」


 権田は少し戸惑っていた。まぁ惚れた腫れたをハッキリ言うのは日本人の感性に合わないらしいからな。


「別に干渉しようと思ってないぞ、シオリが傷つけられようがそれも社会勉強だしな」

「そんな事はしねぇよ」

「あぁ、権田は女性の尊厳を傷つけるタイプじゃない事は分かってるよ。でもあまりにシオリは権田の前で油断しているからな。兄としては不安になる」

「兄か・・・」


 木下達から権田は女性を大事にする奴だと聞いている。初心で免疫は無いとも言っていたけどな。


「・・・俺はシオリを愛おしいと思っている」

「ちゃんと言ってくれたな」


 権田は顔を赤くしながらもハッキリとシオリに思いがある事を俺に言ってくれた。


「でも、出会ってそんなに経っていないと思うんだが何故だ?」

「分からない、何故かそう思っている」

「一目惚れって奴か?」

「田中達を最初に家に招いた時はそう思っていなかった」

「一目惚れでは無いと?」

「あの時は田中と綾瀬の方に注目していた。シオリの方はおまけ程度って感じだったな」


 なるほど・・・見ていなかった訳か。まぁあの時は殆ど俺が喋ってたしそうなるのかな。という事は、権田がシオリに惚れたには、シオリが権田に助けられた時って事か?


「まずはシオリが絡まれた男を一蹴したとき、随分と強ぇ女がいるなと思った、そして俺の見た目にも物怖じしない変わった女だとも思った」

「確かに権田は見た目が厳ついしな」

「あぁ、女は俺を怖がる」


 女だけじゃなく男もだろと思ったけどそれは言わなかった。


「その後、「竜頭」に来た時、笑顔が可愛いと思った。そして気がついたら惚れていた」

「将来の事も考えてたりするのか?権田は名家の御曹司だし、ただの平民の女なんて合わないって言われたりするだろ」

「だから親父にシオリを会わせた。そして一目で親父はシオリを気に入った」

「シオリは耐えられたのか?」

「あぁ」


 権田の親分さんは非常に貫禄があって眼光鋭く威圧感がある。気の弱い人は睨まれただけで失神する奴もいるんじゃないかと思う。

 初対面の人をひと睨みする癖があるのか、俺も最初はギロリとやられた。前世では、そういった職業の人も俺が務めていたスーパーに来ていたし、時折無茶な注文をしてくることがあおり、それに対し。きちんとにこやかに対処をしていたので多少免疫があった事と、田宮道場で格上の相手でも臆さない訓練をしていたため耐えられた。

 権田が、「耐えられた?」という俺の質問に対して「あぁ」と答えたという事は、シオリは問題なく権田の親分の合格が出たのだろう。


「家の格の事は親父が考えてくれている。俺に嫁ぐ前に一時的にどこかの家の養女に入ったという形を取る感じで考えているらしい。権田と縁を持ちたいと思っている家は多いからな。それは難しい事じゃねぇ」

「なるほど・・・」


 シオリは田中家の娘じゃなく、どこかの良家の子女になってから権田に嫁ぐ訳か。わざわざ他人を一時的にせよ娘にするなんて外聞を気にしそうな良家は嫌がりそうだけど、権田家に縁が持てるというメリットがあれば歓迎する事になる訳か。


「俺は、あんたやシオリを育てた親御さんに敬意を持っている」

「もしかしてずっと丁寧な口調だったのはそれが理由か?」

「あぁ。それに俺はあの人達からシオリを貰いたい訳だしな、失礼があっちゃならねぇだろ」

「なるほど・・・」


 どうやら権田はシオリにベタ惚れだった。親父は権田にビビっている事に気が付いているだろうに、侮る様な態度はしないようだ。

 まぁ、親父はビビってようがシオリが「助けて」と言えば、権田に殴りかかるぐらい家族愛が強いと思うけどな。


「これで答えになってるか?」

「あぁ」


 充分な答えは貰った。あとは当人同士の問題だと俺は判断する事にした。


「シオリは権田と出会って少し浮かれている、その辺をフォローして貰えるか?」

「浮かれている?」

「そうか・・・、権田は今のシオリしか知らないんだな」

「シオリは何か変わっているのか?」


 女性が好きな男性の前だけ態度が変わるのは当然だろうと思ったけれど、女性に免疫がない権田は知る機会がなかったのだと思い直す事にした。


「あぁ、ちょっと周囲が見えていないな。権田が親父に敬意を払い丁寧な態度を心がけていたのに、普段のままだっただろ?」

「別に俺は構わねぇと思うが・・・」

「権田はそうかもしれないが、権田と同じ世界にいる奴らは、そんなシオリを許してしまう権田を軽く見るんじゃないか?」

「シオリはまだ俺のもんじゃねぇし、親の前で娘っていうのはそういうもんだろ」

「シオリがまだ娘だって言うなら良いんだ。だがシオリは今夜、この部屋に泊まりに来たがっていた」

「なっ!」


 権田は驚いた顔をしたあと、そのまま顔が赤くなっていった。


「今回の旅行は、親父がシオリに楽しんで貰いたくて計画していた旅行でもあったんだ。ただ、シオリは頭からそれが抜け落ちててな。権田の事ばかりになってて少し親父にそっけなくなってたんだ。シオリの気持ちは、既に親父の娘ではなく権田の女になっているんじゃないかと思うぞ」

「それは・・・良くねぇな」

「今のシオリを周りがどう見るか考えた方が良いぞと言ったら察したようでな。だが自らの軽率さを恥じて泣いてしまったんだ」

「なるほどな・・・」


 権田は赤面したままではあるけれど、話はちゃんと聞き取れているようだ。


「権田が真面目にシオリの事を考えてくれている事に安心した。だから頭が一度冷えたシオリが自ら選択して権田の部屋に来ると言うなら、それはそれで良いと思っている」

「なっ!」

「一応親父に「シオリを頼む」と言われているが、権田との仲を邪魔しろとは言われて無いしな」

「えっ?」


 権田はさらに顔が真っ赤になってしまった。厳つい顔なので怒っているようにも見えるけれど、違う事は俺にでも分かった。


「じゃ俺は行くからな」

「おっ・・・おいっ!」


 俺は赤面して俺を呼び留めようとしている権田に背を向け部屋を出ていった。


 さて、あとはどうするかな。ホタルイカ漁を見学するため観光船を予約していて真夜中に出発だから早く寝ないといけない。とはいえまだ日が落ちてもいないのに寝るのは結構大変だ。


△△△


 ホタルイカは3月から5月頃が旬となる小型のイカだ。足を青白く発光させる器官を持つためホタルイカと呼ばれている。

 4月から国営放送で始まる連続ドラマの主人公とヒロインの家が越中県で漁師をしていて、この時期はホタルイカ漁をしていて、初回の放送で、高校生の主人公やヒロインが漁や水揚げを手伝う様子が描写されるらしい。


 ホタルイカ漁の様子を見れる観光船があるそうだけど、今年は連続ドラマを盛り上げようと3月から観光船を出していて、俺達もそれを予約していた。


「信号機が縦なのはやはり見慣れないな」

「やっぱ変だよね〜」


 越中県は前世では日本海と呼ばれていた北海沿岸にある豪雪地帯でもあるので、信号機が雪の重さで壊れないよう。信号機が横に青黄赤と並んでいるのではなく、縦に青黄赤と並んでいる。

 同じく前世では太平洋と呼ばれていた大東洋沿岸に住んでいる俺たちには、違和感を感じる風景だったりする。


「あの沖合に見える光が全部イカ漁の船なの?」

「そうらしいな」


 観光船の停泊している船着場から沖合を見ると、既にホタルイカ漁が始まっているらしく、いくつもの光が浮かんでいるのが見えた。


「ミノル達は酔い止めの薬をちゃんと飲んだ?」

「うちは全員乗り物酔いとかしないから大丈夫だよ」

「そうなのね・・・」


 前世では俺は車酔いをしたけれど、親父もお袋も乗り物酔いをしない体質らしく、俺やシオリも受け継いでいて、中学生の時に学校行事で遊覧船に乗った際に海が荒れて、生徒の殆どが船酔いに苦しんだ時も、俺は平気だった。


 観光船は深夜2時に出発して4時過ぎに戻って来るスケジュールだ。

 ホタルイカというのは結構陸の近くで捕れるものらしい。


「私夕飯は控え目にしたけど大丈夫かしら?」

「私も心配・・・」

「そんな事をしてたのか?」

「えぇ」

「中学校の時はみんな大変だったのよ?」


 確かにみんなゲロゲロしていて大変そうだったな。カオリは吐いてはいなかったけど目を瞑って気持ち悪そうにしていた。サクラは他のクラスだったから見かけなかったけれど、同じように辛かったようだ。


「湾内だしそこまで沖合じゃないみたいだから大丈夫じゃないか?」

「そうだといいのだけど・・・」

「冬の北海は荒れるっていうし警戒した方が良いわ」


 どうやら、カオリとサクラは中学校の時の船酔いが、かなりのトラウマになっているようだった。

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