IF76話 落ち着くなぁ
朝、いつもの時間に起きて布団から出ると、物凄く空気が冷え込んでいた。古い建物は通気性が良いようで、立派な建物でもかなりの隙間風を感じた。
俺は集落を散策がてらロードワークをした。日がまだ山間から登る前だというのに既に活動している人が多くいた。水田に水がまだ張られていないどころか蓮華すら咲いてない様子なのでまだ田植えには遠いようだけど、蚕の世話や稲の苗作りなどすることはあるのだろう。
「おはようございます、せいがでますね」
「おはやいこって、お散歩ですか?」
「えぇ、朝のジョギングが日課なんです」
「そうですか」
昨日、旅館まで案内してくれた人がいたので声をかけてみた。
「何をなさっているところですか?」
「田んぼの水張り前の点検です」
「田植えは近いんですか?」
「植えるのは6月頃ですな」
「結構前に水を張るんですね」
「水を張ってしばらく置いてから植えないと稲の生育にバラつきが出るんでさぁ」
「生育にバラつきですか?」
「収穫時期がズレると一斉に刈り取り出来なくなるでしょう?」
「なるほど・・・」
水、土、風、虫、太陽、雲、作り手。お米に七人の神様いると聞くけれど、筆頭とされる水が特に重要だって分かる言葉だな。
「昨日夕餉に頂いたお米がとてもふっくらと甘みがあって美味しかったです。作っている人がいるから美味しく食べれるんだと今の言葉で実感しました」
「そういっていただけると作りがいがあります」
案内人だった男性は俺の言葉に笑顔を見せてくれた。もしかしたら宿にお米を卸している本人なのかのしれない。
「それにしてもさすが権田様の縁者だ、若いのにしっかりしてなさる」
「時々お父さんよりお父さんっぽいって妹に言われてはいますね」
「それはお父上がお若いのでしょう」
それは確かにあるかもしれない。正月にカオリとサクラに筋肉自慢した事でお袋に嫉妬され、灰皿お節を食べていた翌朝には、ツヤツヤしたお袋とイチャイチャしていた。
元日の翌日もお袋をツヤツヤさせてたし二晩連続でしたって事だろう。前世の俺の経験からも親父の年齢からすると若いなと思う。
ロードワークから戻るとみんなが起きていた。朝食の支度が出来ているそうなので、俺も軽く汗を内風呂で流したあと頂いた。春菜の麻の実和え、ヤマメの甘露煮、筍の土佐煮、キノコの味噌汁と、つやつやの白米と非常に相性の良いおかずが盛られていた。
「麻の実和えって初めてだけどコクがあって美味しいわ」
「あぁ、白川では大麻を栽培しているそうだ」
「大麻って麻薬の?」
「麻薬じゃなく繊維を取るためだな」
大麻を栽培しているなんて聞いたら、街での権田家のイメージもあるし、危ない事のように思われそうだな。
「大麻の繊維って何に使うの?」
「麻の繊維は色々なもの使われているんだぞ?海外から輸入される穀物なんかは結構麻袋を使っている事が結構あるな。他にも神社のしめ縄や引き出物を結ぶ熨斗なんかも麻の繊維だぞ」
「へぇ・・・」
食事が終わると、案内役が来てくれ、説明を受けながら集落の中の観光を行った。
白川には、目ざとい観光客は結構訪れているそうだ。ただ、白川の人たちは日常を暮らしているだけで、人を招く準備が全然できていないそうだ。
多くの不動産業者が訪れ、札束で頬を叩くように土地を手に入れようとしているけれど、幕府直轄地に住む人としての誇りから、取引に応じる人は少ないらしい。
地元市から、もっと開かれた村にしてくれと要望が来ているらしいけど、今までの暮らしを変えられない老人世帯が、無分別に人が侵入して来る事を不安がっていて、開かれた村にする事に抵抗しているそうだ。
現在集落手前に駐車場を作り、それより先は関係者以外の車両の乗り入れ禁止にするつもりでいるそうだ。
「あそこ、お寺なのに屋根が茅葺きだ」
「維持してるのがすごいな」
「大変なの?」
「茅葺は定期的に葺き替えなければならないらしいぞ」
「そうなんだ・・・」
しばらくいくと重要文化財に指定されたという現田家の屋敷に到着した。
現田家は権田家の分家の家だが、現在は誰もいないらしい。集落の人達が共同で管理しつつ、建物内を資料館として開放しているそうだ。
「世界遺産に登録されたというのは喜ばしい事なのですが、村に来た人が見るものが他にもないかと勝手に家に入って来るなんて事が起きましてな。それで権田様に許可を頂き、この無人となってしまった現田のお屋敷を外の人向けに開放しているのです」
「なるほど・・・」
観光客が他人の家に勝手に入ってくるのか。そこに住むの老人たちが不安になるのも当然だな。
「ごみのポイ捨てや、タバコの火の不始末など、訪れる人の中には、この村のルールを守れない方が多いですな。市長は、年間100万人の観光客をこの村に呼び込むつもりのようですが。人口300人に満たない小さな集落に出来るものではありませんよ」
「かなり無謀な計画を立てるものですね」
「近隣の市、山間の小さな温泉地にゴルフ場とスキー場とホテルを作り、年間50万人の客を呼び込んだそうです。どうやら市は、世界遺産ならその2倍は呼べると考えているようです」
「リゾート化するつもりなのですか・・・」
前世のバブル時代に乱立したリゾート地みたいだな。バブル崩壊と共に一気に廃墟化する未来しか見えない気がする。
「人がいなくても火を炊いているんだ・・・」
「えぇ、無人でも常に焚いておかないと、隙間から色んな虫が入って来るんです」
「なるほど・・・」
柱とか床が煤で真っ黒に変色していた。ただ掃除が行き届いているようで、床板は非常に艶があった。
「上にも部屋があるんですね」
「えぇ、屋根裏も含めると5階まであります」
「そんなにあるんですか!」
「えぇ、外の方には平屋に見えるそうですが、それは雪が屋根に積もらないよう傾斜がつけられていて、屋根が1階部分まで被っているからなんです」
「そうなんですね・・・」
「養蚕は、上の階でおこなっています。屋根裏部屋の煙抜きの窓を空けているため鳥が侵入してきます。鳥は養蚕の天敵なので燕の渡ってくる季節は躍起になって追い払います」
「煙抜きの窓?」
「えぇ、そうしないと煙が下の階まで充満してしまいますから」
「そうなんですか・・・」
「扉は定期的にあけて煙が居住区間にたまらないよう換気するんです。家の通気性は良いので火を焚いても窒息まではしませんが、冬場は雪で塞がって家の通気性が悪くなりがちなので、寒くても時々全開にして煙を追い出したりします」
「なるほど・・・」
上の階にいくと煙の匂いが強くなった。確かに定期的に換気しないと煙が下の階まで充満しそうだと思った。
現田家を出ても、衣服に煙の匂いが残っていた。衣服が燻製されてしまったのだろう。用水路となっている場所で、先に家を出たらしいオルカとユイが何やら興奮していた。
「何か見つけたのか?」
「うん、大きな魚がいっぱいいるんだよ、ほらあそこ」
「確かに本当に大きいな・・・」
用水路の透き通った水の中を多くの魚が泳いでいた。大きい魚は1メートル近くあるかもしれない。
「あれはマスですね。特に大きいのはニジマスだと思います。近くでニジマスを養殖している業者がいるのですが、逃げ出した個体がこうやって水路に入って来るんですよ」
「そうなんですね・・・」
ニジマスの養殖か。前世の日本は鮭が良く食卓にあがったけれど、こちらの世界の日本は鱒の方が食卓にあがる。前世で務めていたスーパーでは、ノルウェー産やペルー産のサーモンが良く特売になっていた。こちらの日本は海外からの漁獲物の輸入が前世の日本に比べて少ないらしく、魚介類は基本的には国内産が多い。輸入が少ない分、養殖して維持していたりするのだろう。
△△△
「あ゛ぁぁぁ、落ち着くなぁぁぁ」
越中県内の鉄筋コンクリート製のホテルの部屋についた途端、親父がそのままベッドにダイブしながらそんな声をあげた。
「あらあら疲れてたのねぇ」
「白川のあの宿は高級過ぎて、俺には落ち着け無かったよ」
出張でこういったホテルに泊まることが多い親父にとっては、こういった狭い部屋で泊まるほうが落ち着くようだ。
旅行する機会が少ない俺にとっては、落ち着いた雰囲気の白川の旅館の方がゆったりできそうに思うけど、親父には違うらしい。
「あら、ユニットバスじゃないのね」
「家族じゃ無い相手が同室になるかもと思って、別れてる部屋か確認しておいた。ホテルは古いけど、老舗だし綺麗に手入れもされてるって聞いてたからだ」
お袋は水回りが気になるのか、部屋に入ったあとすぐに風呂場らしい部屋のドアをあけて確認していた。
「あら?誰に聞いてたの?」
「会社の後輩だよっ!」
「女性男性?」
「男に決まってるじゃないか!」
どうやら荒れそうなので俺は親父にヘルプをする事にした。
「ほら、旅先で夫婦喧嘩なんてよくないよ」
「えっ?」
「そっ・・・そうだぞ!」
親父は運転でお疲れなんだから早めに休ませてあげてよね。
「じゃあ荷物はここに置くからね」
「えぇ」
白川を出る時、「お土産です」と言われて沢山のものを頂いていた。その中には生物もあったので、ホテルの部屋にある冷蔵庫にいれるため持ち出していたのだ。
俺が男性にお米を褒めたからか、お米が30kgほど渡されていた。まだ中越県観光が出来ていないけど、現時点でお土産の量は充分な気がする。
「シオリを頼むな」
「分かってるよ」
2人で1部屋で借りるのが1番安いプランだったらしく、部屋割りは親父とお袋、マサヨシさんとハルカさん、俺とシオリ、カオリとサクラ、オルカとユイ、依田とジュンがペアになっていた。そして権田だけ少しいい1人部屋が割り当てられた。権田の参加を聞いて、グレードの高い1人部屋を親父が急遽予約したかららしい。
先にシオリを向かわせていた部屋をノックすると、シオリが扉を開けて俺を迎えてくれた。
「お兄ちゃんかぁ」
「リュウタじゃなくて悪かったな」
「リュウタさんと同じ部屋が良かったよ」
「そんな事出来る訳ないだろ?」
「分かるけどさ〜」
「まぁ俺はシオリが権田の部屋に行こうとするのを止めないよ。親父から「シオリを頼む」と言われているけどな」
「本当!?」
「あぁ、だが部屋に行くなら良く考えるんだぞ?それは責任の取れる行動なのか、周囲にどう思われるか、相手にどう思われるかってな」
「どういう意味?」
シオリはただ単に遊びに行く感覚なんだろな。ただこの年齢の女子にしてはかなり軽率な行動ではある。
「権田は、ずっと御曹司の名に恥じない、礼節を持った態度をしていたよな?親父とお袋に敬意を払い、真面目にシオリとお付き合いしていると訴えるための態度だと思うぞ?シオリは浮かれてはしゃいで権田の思いを踏みにじって無かったか?」
「えっ?」
「白川に寄ったのも、元々シオリが蕎麦を挽く水車を見たいと言ったから親父が計画を変更してくれたんだぞ?覚えているか?」
「えっ?うん」
「親父から水車小屋はあれだと言われた時に親父に素っ気なかっただろ?他にも何かにつけ親父はシオリを喜ばそうと話をしていたぞ?分かっているか?」
「うん・・・」
「今回の旅行はちゃんと中学校を卒業したシオリを楽しませるために親父が計画したものだぞ?あんなに仕事で忙しそうにしてたのにだぞ?ありがとうって思っているか?」
「・・・」
シオリはどうやら俺の言いたい事が分かったようだ。
「シオリは権田に助けられて以来、少し周りが見えて無いだろ」
「・・・何で言ってくれなかったの?」
「シオリは受験生だったし負担をかけたくなかったんだよ。権田の高校に志望を変えるなんて事も言わなかったしな」
「それはリュウタさんに止められたから・・・」
「そうか・・・」
暴走するシオリを留めてくれたのは権田だったらしい。感謝しておかないといけないな。
「泣くならシャワーを浴びながら泣いたほうが良いぞ?目が真っ赤になるし、腫れ上がるからな。夕飯の時に泣いたってバレちゃうぞ?」
「うん・・・お風呂に入る・・・」
シオリがフラフラと着替えも持たず脱衣所の中に入ったので、俺はシオリのバッグから下着類を入れていた袋と着替えを適当に取り出して、シャワーの音がしだした後に脱衣所に入り洗面台の上に置いた。
「着替えを洗面台の上に置いておくからな」
「う゛ん」
シオリは本当の兄妹だからか殆ど俺の目を気にしない。前世では兄がいたけど姉や妹はおらず異性の兄弟がどういうものか良く分からない。ただ俺はシオリに対して立花がユイに感じていたようなものは全く感じていない。
シオリは風呂に入っている俺のために、俺の部屋から着替えを取って持ってくる事が平気だし、バスタオルだけ体にまいた状態で俺の前をうろちょろしたり、リビングで旅行カバンに荷物を詰める際に、お気に入りの下着を選びながら袋に入れている事を俺がいても平気でしてしまう。
姉妹がいる同級生からは、思春期に入った頃から態度が変わったと聞いた事があったので、権田に恋をしたあと変わるかと思ったけれど、いまだに変化していない。
シスコンだという中学生の妹がいる水泳部の部長にどうなのか聞いてみたいけれど、妹の話題になると話題を変えようとするので聞けていない。
「ちょと部屋を出るからな、もし部屋を出るなら鍵はフロントに預けてくれ」
「う゛ん」
荷物を軽く整理したあと、俺は権田に話すため部屋を出る事にした。シャワーを浴び終わったシオリが権田の部屋に来て気まずい思いをするかもしれないけれど、少しぐらいは話す時間が取れるだろう。
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