IF69話 ノーコメントだ

 新学期に入ってすぐに席替えがあり、俺は教卓の真ん前から開放されて、教卓の真ん前の1つ後ろの席になった。たった1つの差だけど、教卓とほぼゼロ距離の状態から離れた事は、とても大きな事だった。真ん前の席は黒板を微妙に見上げる事になるので首が微妙に疲れるし、教師の唾が時々飛んでくるのだ。


 ちなみにカオリは窓際の席に一番後ろという誰もが羨む席に座っていた、カオリは神社のおみくじと同じように、こういうくじ運は昔から非常に良かった。


 学校では、カオリとサクラが俺を巡って神社でのキャットファイトをしたという噂が出回っていた。そして、下駄箱に入れられる不幸の手紙は、年末の頃の3倍になっていた。

 俺とカオリと婚約した事で諦めた奴がいたり、オルカ関連のものが無くなっていた事でかなり減っていた不幸の手紙だけど、それが元の数に戻ってしまった感じだ。


 最近は、俺宛てのラブレターを装った不幸の手紙が最近の流行っていた。どうやら俺が不幸の手紙を読まずに捨てている事がバレたようで、送り主が工夫したらしかった。

 その方法はかなり有効だった。たまにしか入ってないけれど、俺宛てのラブレターは時々あったためだ。俺はそれに対してちゃんと読み断りの返事をしていた。それを知った誰かがその工夫を思いついたのだと思う。とりあえず卑怯な事だと思うので俺は気にせず丸めてゴミ箱に放り込んでいる。


 ちなみに手紙の中に書かれている俺を示す名は殆どが「二股クソ野郎」だった。真田がお昼休み中の校内放送で「最近特定の男子を二股クソ野郎と呼ぶ人がいますがやめて下さい」と言った事で定着してしまったようだ。

 あの放送をされた昼休み、クラス中の奴が一斉に俺に視線を向けてきた。真田は本当に余計な事を言ってくれたものだと思う。


 カオリの下駄箱に投函されるラブレターは、俺とカオリが婚約したあと減っていたけれど激増していた。「そんな二股クソ野郎と一緒にいるな」とか「僕は綾瀬さんを悲しませる事は決してしない」とかそういう感じの事が書かれているらしい。

 勢いづくのは勝手だけれど、そんな事を書いてカオリに好かれると思っているのだろうか。他人をけなす事で、その人のイメージを下げると同時に、自身のイメージも損なわれている事に気が付かないのだろうか。


 始業式のあと、珍しく教室に今和泉が来ていて、俺の顔を見たあとで去っていった。襟のバッジがあるので文句は言えないけれど、言いたいことはあると伝えたかったのだろう。


「それで噂の事は本当にあったの?」

「ノーコメントだ」

「それってもう答えだよね?」

「ノーコメントだ」


 放課後の部活時間。始業式のあと、雨が降ったため俺とケンタだけが校舎でトレーニングをしていたのだけれど、そこでカオリとサクラの事を聞かれた。嘘は言いたくないけどあったとも言いたくなかったのでそう答えておいた。


 ちなみに依田から「田中君モテるねぇ」と言われていたし、丹波から「何でお前ばかり・・・」と言われていたし、田村から「爆発しちゃったかぁ」と言われていたし、早乙女から「予想外だった」と言われていたし、八重樫から「1人の方が良いぞ?」と言われていたし、望月から「どうやったらモテるか教えてくれ!」と言われていた。

 どうやら俺の友人たちには、俺が答えを言おうが言うまいが既に事実であると認識されているようだった。


△△△


 県営プールが水替えするとかで、冬季はそこで練習している強化選手のカオリとオルカが放課後に学校に残った日、学級委員の用事があって遅れているカオリと、美術室に寄っていて遅れているケンタがいないため、俺とオルカだけが先にグラウンドで準備運動をしていた。


「この前ユイと深海に住む大きな虫を見に行ったんだけど、私には可愛く見えなかったよ」

「オルカはやっぱりオルカだなぁ!」

「えっ! 何!?」

「オルカはずっとそのままのオルカでいてくれ」

「えっ? えっ?」


 最近、学校で俺に話しかけて来る奴は、カオリとサクラの話題をしてくることが多い。けれどオルカは1度もその事を聞いて来る事は無かった。俺はオルカの周りだけが日常になっているようでそれが結構嬉しくて、つい喜びの声をあげてしまった。


「それで深海の大きな虫って、ダンゴムシみたいな奴か?」

「うん、全く動かないし可愛くないし、ユイが何であんなものが好きなのか理解できないよ」

「あれ?オルカってヒトデも好きだっただろ?あれも殆ど動かなかないだろ」

「ヒトデは可愛いから良いの!」


 結構毒々しい色だったりトゲトゲしていたりと可愛くない奴とか結構いただろ。

 結局オルカもユイもどっちもどっちだと思うけどな。


△△△


 冬場は短水路の室内プールでの大会がいくつかある。

 俺は冬季は駅前にあるスイミングクラブを経営している企業が主催する水泳大会にだけ出場する事にしている。

 その大会は、水泳連盟が主催していないため、非公式扱いの大会ではあったけれど、その記録は海外の同系列の水泳組織には公認され、国際的な短水路の大会の出場権を得ることも出来る事もあって、その他の冬季の非公式大会に比べて同世代の有力選手が多く参加する傾向にあるため、結構緊張感が持てる大会になっていた。


 俺はそこで、初めて200mの個人メドレーで、高校総体出場の標準記録を上回る事が出来た。とはいえ短水路は長水路より記録が早くなる傾向にある。水泳は壁を蹴って水中を伸びている時が一番早いし水中は造波抵抗を受けないため、水による抵抗はあったとしても、水に浮かんで泳いでいる時より浮き上がるまで泳いでいる時よりも早いからだ。だからか、平泳ぎと背泳でスタート時とターン後に長い距離で潜水し記録を伸ばす泳法が一世を風靡した時代があったそうだ。けれど、どちらもかき数や潜水距離に制限をつけるというルールがつけられるようになっていた。

 ただ最近、バタフライやクロールでもドルフィンキックで長く潜水する選手が好記録を出しているため、俺も練習をしていた。ただこれも潜水距離に制限をつけるという噂があったりするので。俺は背泳につけられた制限距離である10m以内で浮上するよう調整していた。


 潜水泳法をすると確かにタイムが早くなる事が実際にタイムを計測していて分かった。けれど無呼吸の時間が長くなるためスタミナの消費が激しい。そのため400m個人メドレーなどの持久力勝負となる試合では拘り過ぎると後半に失速してしまう諸刃の剣だった。心肺機能が高いのならカバーできるのだろうけれど、肺活量とか心臓の強靭さという天性のものは鍛えようがない。


 俺は10mの潜水泳法を普段の練習でも行い癖づけてしまうため、新人戦の後から練習中もそれを続けるようになっていた。けれど、どうしても疲れやすくなる事で後半バテてしまうようにもなっていた。

 今は冬場の2時間のスイミングスクールの練習だけなので持っているけれど、夏シーズンが始まると、毎日4時間以上泳ぐことになる。今のままでは後半カオリやオルカについていけなくなるような気がしている。


「浅く呼吸するのが癖になってると肺活量は下がっていくよ。だから普段の生活でも呼吸に気を付けるといいよ」

「泳いでいる時は普段より大きく吸って吐くって事をしていると思うけど、それでは足りないのか?」

「潜水の前は肺に思いっきり息を入れるって事はするけど、泳いでいる時は顔を上げる時間の中で息をしてるだけでしょ?思いっきり肺に空気を入れるよう心掛けている?」

「していないな」

「私は呼吸する充分な時間が欲しいからあのスピードのストロークにしているんだよ」

「なるほど・・・キックを重視した泳法だからってだけじゃないんだな」


 オルカは泳ぐとき他の選手と比べるとスローモーションじゃないかと錯覚するぐらいゆったりと泳ぐ。ただしキックはとてもはやいので白鳥の水かきみたいだと言った事がある。

 クロールで泳ぐ際に、右手と左手をかく間に何回キックをするかで何ビートで泳ぐと言われたりする。俺は4ビートで泳いでいるのに対し、オルカは8ビートと倍の量のキックをしながら泳いでいる。

 足は筋肉量が多いのでキックを増やすと疲労物質が沢山生成されるし、酸素消費量も多いのでスタミナ消費が格段に増える。だからその泳ぎ方はスタミナお化けであるオルカだからこそできるものだと思っていた。


「多くの空気を体内に多く取り込み続けると後半のスタミナが持ちやすいからね」

「オルカでもスタミナは気にするんだな。ずっと落ちないかと思ってた」

「私だって呼吸の時に顔に波をかぶって型を崩してしまったり、スパートをかければスタミナは落ちていくよ、だからどれだけスタミナに余裕をもって後半に突入するかでラストスパートのタイミングを変えているんだよ」

「なるほど、それでオルカは後半早くなったりしてるのか、結構頭脳派なんだな」

「うん、考えていた方が独走で寂しくなった時に気がまぎれるし、寂しくなったあとに早くゴールしちゃえばその時間を短く出来るからね」

「なるほど・・・」


 随分とオルカらしい理由で頭脳派になったんだな。けれどそれがさらに記録の向上につながりさらに独走していくんだから皮肉なものだ。

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