IF63話 慌ただしい
サクラについて行く形で神社にもう一度お参りに行ったのだけど、サクラが「カオリからミノルを奪えますように!」と声をあげて祈り、周囲の人をギョッとさせてしまった。さらに周囲の人は、サクラの隣にいる俺とシオリの方を見てヒソヒソと話をし始めた。さすがにそういうのはやめてほしいと思った。
この神社は本当に御利益があるので、効いてしまったら困ると思っていたら、カオリがサクラに対抗したのか大声で「サクラにミノルが誘惑されませんように!」と祈ったため、いたたまれない状況がさらに悪化してしまった。一年の計は元旦にありというのにあまりにひどくないだろうか。俺が一体何をしたというのだろうか。
その後ギャーギャーとキャットファイトを始めたカオリとサクラの口を押えて黙らせたあと、2人を両脇に抱えて走った。火事場の馬鹿力というのは本当にあるらしく、神社の長い階段を駆け下りて家まで全力ダッシュで帰る事が出来た。
「婚約したばかりなのに浮気?さすがにお母さんも庇えないわよ?」
「おいは貴様をそげん男に育てた覚えは無かっ!」
昨夜の続きでイチャイチャしながらお節を肴に熱燗で一杯をしていた親父とお袋の邪魔をしたのは悪いと思うけど、息も絶え絶えにリビングの床に倒れている息子にその言い方は無いんじゃないかと思う。
「あと胸を強く掴むのは良く無いわよ? カオリちゃんが少し着崩れちゃってるじゃない」
「何そげん羨ましかことしよーったい!」
カオリの振袖が着崩れたのは、サクラとキャットファイトをしたからなんだが俺のせいにされてしまった。
「・・・明けましておめでとうございます」
「・・・明けましておめでとうございます」
「これはこれはご丁寧に、明けましておめでとうございます」
「カオリちゃんの振袖綺麗ねぇ、サクラちゃんもその服素敵よ?」
「母に着付けして貰ったんです」
「こっちの方に来ればミノルに会えるかもと思ってお洒落したんです」
「ミーノールーっ!!」
「まぁ! この子ったらこんな素敵な子に思われて幸せものね」
俺はどうやら逃げ込んだ所を間違えたらしい。ショッピング街の地面ほどじゃないけれど、リビングの床も結構冷たいと思った。
△△△
「おじさんそれ本当ですか?」
「そうだよ、ミノルは風呂のあと鏡の前でポージングなんかしてるんだよ」
「確かに最近ミノルの体はすごくなったものね、鍛えられた男の子って感じよ」
「・・・そうなの?」
別に筋肉に目覚めた訳じゃないんだけど前世に比べて見事に仕上がっている肉体の様子に、色々見たくなってしまっただけなんだ。女性が衣装を試着したり、化粧の具合を見る様なものだと思って欲しい。別にナルシストに目覚めた訳じゃないんだ。
「まぁ俺の若い頃の方が凄かったがな!」
「確かにおじさんって腕とか結構逞しいですよね」
「確かにおじさんに比べるとミノルはヒョロっとしてるわ」
「ふふふ・・・男に大事なのはパワーだよな」
「わっ!すごい筋肉!」
「えっ!男の人の腕ってこんな風になるもんなの?」
「そうだろうそうだろう! これでも俺は柔道で全国に行った事あるんだからな!パワーだけならミノルにだって負けないぞ?」
「おじさんの方がミノルより凄かったのね」
「堅い・・・」
俺は一体何を見せられているんだろう。
息子を好きだと言っている女子高生二人に酌をさせ、陽気に酒を飲んで筋肉を自慢している親父と、食卓から少し離れたテレビ前にあるソファに座って漫才を見ている筈なのに青筋を立てているお袋。ほんと今年の先行きに不安が残る正月になっている。俺が一体何をしたって言うんだ?末吉っていっても最初が悪すぎないか?
「そうだ!カオリちゃんにお年玉があったんだ、カオリちゃんだけじゃ不公平だからおじさんサクラちゃんにも奮発してあげような」
「ありがとうございます」
「わー! おじさんありがとう!」
お袋のこめかみの青筋がさらに増えたような気がする。親父はそろそろ自重しないと新年早々灰皿ライスになるぞ?
「俺軽く走って来るよ・・・明日大会だし・・・」
朝寝坊して走れなかったから鈍らない程度に走っておかないとないけない。神社からここまでダッシュはしているけれど、ランニングとは違い無酸素運動だ。むしろそれで固くなった筋肉を解す意味でも軽い負荷のランニングを少ししておいた方が良い。
俺が自室でトレーニングウェアに着替えて玄関に行くと、カオリとサクラが玄関にやってきて見送りをしてくれた。リビングの方から「調子に乗りました!」と言う親父の声と、「パシン!」と親父がビンタされたらしい音や聞えて来るけれど、まぁあの2人なら大丈夫だろう。
△△△
ロードワークを終え家に戻ると、カマボコや伊達巻が入った灰皿を前に手酌で酒を飲んでいる親父だけがリビングにいた。頬が少し青あざになってるのはお袋に叩かれたからだと思うけれど、あんなに青くなるなんてパーではなくグーで殴られたのだろうか。音は「パシン!」だったよな?
「あれ?カオリとサクラは?」
「あぁ、隣の家に行ったぞ」
灰皿から手づかみで伊達巻を取って口に入れたあと酒を飲んでいるけど、繊細な味の伊達巻にタバコの匂いとかついていそうで不味そうに見えるよな。
「お袋は?」
「あぁ、一緒に隣に挨拶にいったよ」
「シオリとユイはまだ帰って来てないの?」
「さっき一緒に隣の家にいるって連絡あったぞ」
「なるほど・・・」
女性がいなくなるだけでこの家はこんなに静かになるのか・・・。
「それでサクラちゃんの事はどうするんだ?」
「どうって、カオリと婚約しているんだし、どうしようもないだろ」
「まぁそうだな・・・」
親父はとっくりからお酒を注いたけれど空になったようなので、俺はとっくりを持ってキッチンに行き、そこに日本酒を注いで電子レンジで温めた。
「今温めているから」
「おう、気が利くな」
熱燗は湯煎で温めた方が良いのだろうけれど、電子レンジの方が手早いため、うちではそうする事が多かった。
「女の子は守らねばならんのは分かるけど、これもどうにかしないといけないの?」
「いいや、恋愛は違うな。大事な女だけを守るものだ」
「そっか・・・」
親父も俺も平民だから重婚は出来ない立場だしな。それに俺はサクラの事を意識した事が無かった。
「ちゃんと振ってやれよ?」
「あぁ」
なんかサクラとは、今までの付き合いが長くて、振るとか振られるとか言われてもしっくりこない。だから少しだけ心の準備が欲しいと思った。
「俺はサクラを恋愛対象として見た事は無いよ」
「ミノルはずっとカオリちゃんだったな」
「だけどサクラを振ろうと思うと今までの付き合いまで全て消えるみたいで心が痛いな」
「そうか・・・、でもしなければならない事だ」
「うん」
男女での友情は成立しないと聞いた事があるけどそうなのかな?俺とオルカは友達としてずっと付き合えるような気がするのだけど、サクラだと出来ないのかな。
「俺は母さんとは大学時代からの付き合いなんだが、付き合い始めた頃に母さんの友達から告白されてな」
「うん・・・振ったの?」
「あぁ・・・俺は母さんだけと決めていたからな」
「そっか・・・」
親父は自身の体験をもってサクラを振れといっている訳か。
「そのお袋の友達は今どうなっているの?」
「3度結婚して離婚して、この前4回目の結婚をしたみたいだな」
「・・・もしかして、お袋が年賀状見ながら「また姓が変わった」って言ってた人?」
「あぁその人だ」
「その人は親父とも親しかったの?」
「あぁ・・・その人の方が母さんより先に知り合いだったからな。母さんとはその人伝で仲良くなったんだよ」
「そうなんだ・・・」
「あぁ・・・」
なんか複雑な三角関係でもしていたのかな。でも親父はちゃんとその女性を振ったのか・・・。
「その人と父さんは会ったりする事があるの?」
「ずっと無いな。1回目の結婚式に呼ばれて以来だ。母さんもな」
「そうなんだ・・・」
それでも年賀状が来るのか。なんか分からないけど、悲しい関係だな。
「友達として付き合い続けられ無かったの?」
「俺には無理だったな。母さんが悲しむと思ったら出来なかった」
「そうなんだ・・・」
親父から話を聞けばきくほど色々な感情が渦巻くな。サクラが沢山の結婚と離婚を繰り返す女性になると想像すると少し胸が苦しくなって来てしまう。
「ふぅ・・・そうか・・・まぁ・・・そうなるかもな・・・」
「何?」
「ミノルが鈍感だと言われている気持ちが分かったんだよ」
「あぁ・・・確かに俺は長い間サクラの気持ちに気が付いて無かったよ」
「ミノルは自分の気持ちにも鈍感みたいだぞ?」
「自分の気持ち?」
「胸が苦しくなってるだろ?」
「うん」
「その苦しさの理由も考えておいた方がいいぞ?・・・いや考えない方がいいのか?」
「何だよそれ」
「その内分かる事だ・・・青春ばいっ!」
電子レンジからピピっという出来上がりの音がしたので、俺はキッチンに行き、熱くなって手で持てなくなったとっくりをお盆に乗せて親父の所に持っていった。
「俺は明日のために風呂に入って寝るよ。今日みたいに寝坊しちゃうと困るしさ」
「あぁ、俺や母さんも応援に行くからな」
「あまり飲み過ぎないでよ?将来、親父から片方の腎臓が欲しいなんて言われたく無いからね?」
「嫌な例えをするな・・・」
風呂に入りながら足を揉んでいると、「ただいま~」というお袋とシオリとユイの声が玄関から聞えて来た。お袋の声が明るいので親父への怒りはおさまったのかもしれない。
それにしても何と慌ただしい正月だろうか。
例年の正月は、カオリとシオリの3人で初詣に行ったあと、お節を食べながらつまらないテレビを見て過ごすという感じだった。サクラと正月に会うのも小学校の時以来だと思う。
今年は慌ただしい1年になるという暗示なのだろうか。何もない平坦な1年より良さそうだけど、慌ただしすぎるのも困りものだ。
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