IF58話 手打ち
「おじさんすごーい!」
「ははは、そうだろうそうだろう」
大晦日の午後、親父が食卓の上で蕎麦を打っていて、それをユイが称賛していた。
「親父持ってくよ」
「あぁ、やっぱ打ち立てを茹でた方が美味しいからな」
「あら、結構白いのね」
親父はそば打ちにハマっていた時期があり、今でも年越しそばは親父が手打ちで蕎麦を作りそれを食べている。
「これは結構良いそば粉だな、すごく香りが良い」
「何か違うの?」
「あぁ、飛騨に行った時に買った、水車で挽いてたそば粉なんだよ。低速でゆっくり轢いてるから熱で蕎麦本来の香りが逃げて無いんだろうな」
「水車があるの!?」
シオリ驚くように、確かに水車を使っているなんてかなりめずらしい所だ。一体どんな田舎で親父は買ってきたんだろう。
「あぁ、観光客向けに再生した水車小屋があってな。そこで挽いたそば粉が売ってたんだ。そばの実も地元で作ったものらしいぞ」
「見てみた〜い」
もしかして世界遺産の村か?確かにあの村だったら水車で蕎麦を挽いてても違和感無いな。
「旅行の時にちょっと逸れるが寄ってみるか?」
「わーい!」
確かに春休みに田中家と綾瀬家の合同で家族旅行しようとしている飛騨県は、東海道回りで越中県に行く際の通り道にある。ただ世界遺産の村はかなり山奥にあるとかで寄るのが大変じゃないだろうか。それとも道路の整備とかされて行きやすくなってたりするのかな?
「いいな〜」
「ユイちゃんも来るかい?」
「えっ!?」
親父がユイを越中への家族旅行に誘った。
「ユイちゃんももう家族みたいなもんだし、卒業旅行代わりに良いんじゃないか?」
「わー! 一緒に行こうよ!」
マサヨシさんが服の配達用にも使ってるミニバンは、普段折りたたんでいる席を戻せば9人乗りになり、その1台の車で親父とマサヨシさんが交互に運転して行こうという話になっていた。田中家と綾瀬家を合わせた人数は7人なので、2人分の空席がある状態だった。
「良いんですか?」
「ほら、春休みにお兄さんが家に戻って来るんだろ?うちも隣も旅行に行っちゃうし避難できないから、一緒に旅行に行ったら良いんじゃないかと思ってね」
「嬉しいですっ!」
どうやら家族旅行にユイも行くことになったらしい。男3女5というかなりアンバランスな割合だ。これは防衛的な観点からも男を1人召喚した方が良いのではないだろうか。
「卒業旅行ならジュンも呼ぼう」
「田宮君かい?」
「ほら、こんなに綺麗どころが集まり過ぎると絡まれる可能性があるだろ?マサヨシさんはハルカさんにかかりっきりになるし、俺と親父で4人をガードするって大変だろ?」
「あー・・・確かにそうかもな」
親父は中学と高校で柔道をやっていて腕っぷしには覚えがある方だったらしい。だけどブランクがあるので、いざという時はお袋をガードするのが限界だろう。
シオリは自身の身を守る事は充分できる。だが暴力的な事に耐性が無い事が分かったカオリや、格闘を学んだことの無いユイは無防備になってしまう。
ジュンは腕っぷしは充分だしユイとも仲が良い。かなり適任な人材じゃないかと思う。
「オルカちゃんだけ仲間外れになっちゃう・・・」
「オルカは依田と一緒だし大丈夫じゃ無いか?初詣で合流するし聞いてみたらいいだろ」
さすがにさらに警護対象が増えたら大変だぞ。
「それならうちのセダンも出すか?5人乗れるぞ?」
「それってもう家族旅行じゃ無くなってない?」
「別に良いじゃないか、沢山で楽しんだ方が良いだろ」
祭りの時のメンバーだとケンタになるが、そうなると仲の良い今井もという事になる。でもそこまでいくと際限なく呼ばなければならなくなりそうだ。
単純にボディガードという事だと思い浮かんだのは権田達だった。だけどあいつらは家族旅行について来させて大丈夫な奴だろうか。見た目が厳つくて親父が卒倒してしまいそうだ。
「リュウタさん来てくれないかな・・・」
「誰だ?リュウタって」
シオリは権田に庇われた日以来、権田に恋愛感情を抱いている。「竜頭」に連れて行った時に、俺がドン引きするぐらい権田に自身をアピールしていた。さすがにユイと行こうと言い合っている進路を変えてしまうという選択はしていないようだけど、それが無かったら姉妹校の方を受験するのではないかと思う。
「ユイが思いを寄せてる相手だよ」
「何!?そんなのは許さんぞっ!」
「思春期なんだし許さないと言われても無理だろ」
「そいつを連れて来い!俺が殴り倒してやる!」
「それは無理じゃないかな・・・」
「何!?」
どう考えても権田は親父より強いからな。精悍な顔つきをしているアルバムの中の親父だったら分からないけど、少し腹がプヨって来ていて、うちの大掃除を半日しただけで「よっこいしょ」なんて言ってソファに座って起き上がれなくなる今の親父では、ボディブロー一発で足に来て一方的な試合になるだけだろう。
「相手、かなり強いよ?高校生最強と言ってもおかしくないぐらい」
「マジ?」
「うん」
「マジ」とは現代的な言い回しに聞こえるけれど、実は親父の故郷である筑豊の方の方言らしい。
「蕎麦あがったわよ〜って何でまだ蕎麦打ちの道具が出てるの?早く片付けなさいよ」
「とっ・・・とりあえず片づけるから、蕎麦を食べようじゃないか」
「粉を部屋に飛ばさないでよ、折角大掃除したんだし」
「分かった」
権田の正体を知ったら驚くんだろうな。一応一般には教えてはいけないらしいので言わないけどさ。でも相手がヤクザの家と思ってる家の息子だと言ったら卒倒するかもな。でもいつか親父の前に「娘を貰いてぇ」と言いながら現れるかもしれないからな。父親としての試練だと思って諦めて貰おう。
△△△
年越しの海老天ザル蕎麦を食べたあと、みんなで紅白を見ながらまったりと過ごした。
「権田って・・・」
「あなた・・・」
絶望的な顔をしている親父と、それを寄り添って慰めるお袋。灰皿マッチ添えカレーの件で最近距離が空いていたのに今やゼロ距離だ。
「まだシオリが一方的に好きってだけだよ」
「そうなのか?」
実際の権田はシオリのアプローチに真っ赤に赤面していて、結構脈ありそうな感じだったけどな。
「なぁ・・・ミノルとシオリが制服につけてるバッジって・・・」
「知ってるの?」
「そういう家にも仕事で出入りしてるしな・・・」
「なるほど・・・一応身内でも、あまり言わないように言われてるんだ」
「そうか・・・」
親父はそれなりに大きな会社の営業職の中間管理職をしている。だから、世間に広まらないような情報を知っていてもおかしくなかった。
親父は天井を見上げたあとため息をついて「寝る」と言って夫婦の寝室に向かった。お袋も何かを思ったのか親父について行ったので、推定13cm程マイナス距離になるコミュニケーションをするのかもしれない。まだ30代だからな2人とも。
しばらくは夫婦の寝室の前には近づかない方が良いだろう。俺とシオリは顔を見合わせて頷き合った。
「おじさんどうしたんです?」
「シオリが好きになった相手が親父にとってはショックだったみたいで気分が悪くなったらしい」
「格闘の高校生チャンピオンって所がですか?」
なるほど、ユイにはそういう風に聞こえていたのか。
「シオリが連れて来た男に、「娘が欲しければ私を倒しなさい」って言いたかったんじゃないかな」
「高校生チャンピオンだと倒されちゃいますね」
「うんそうだね」
権田は家柄的にも高校生チャンピオンみたいな奴だしな。身内としても微妙なユイに言うわけにいかないし、勘違いしていて貰うしか無いかな。
俺は、シオリとユイに付き合って紅白を最後まで見てから自室にあがった。
そのまま眠ろうとしたら、窓ガラスに銀玉鉄砲の弾が当たる音がしたので、カーテンを開けたら、カオリが向いの窓から「明けましておめでとう」と口パクで伝えて来た。
俺もカオリに口パクで「明けましておめでとう」と伝えたあとベッドに横になり、昼間より強まった風の音を聞きながら眠りについた。
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