IF36話 幻影(カオリ視点)

 「まだ絶望する段階じゃない! 出来る事はある!」とミノルに言われた事は私にとっては天啓だった。今まで頼りないと思っていたミノルがとても頼りがいのある男性に見えたのだ。

 あの日の私は追い込まれていた。お母さんの件で心の中はグチャグチャだったけれど、平然とした態度は出来ていると思っていた。けれど国体の結果でそれがまやかしだったとハッキリ出てしまっていた。私は藁にも縋る思いで、昔怖いテレビ番組を見た後していたように、引き出しの奥の銀玉鉄砲を取り出してミノルの部屋の窓に銀玉を当てた。

 その時は藁にも縋る気持ちだったけど、私が追い込まれた時に一番頼りたいと思う人はミノルなんだと後になって気が付いた。


 その後、ケンジおじさんからミノルとの婚約するよう言われた時に、私はハッキリとミノルが好きなんだと認識した。今までミノルに対して失っていた恋心が急に湧きだしていたからだ。


 ミノルは素敵な男性だと思う。そんな人が私に対してこんなに一生懸命になってくれているのだから惹かれない方がおかしい。まだ私に追いついていないと思っているけれど、あの最低だったどうしようもない心を救い出してくれたのはミノルのあの言葉だった。


 私はミノルから心が離れたあと初めて大きな挫折したのだと思う。幼い頃はそれなりに挫折したものだけど小さな問題だった。誘拐されそうになった時は怖かったけれど、ミノルやシオリを真似して護身術を覚えて克服した。

 私は、今までこうやって成功ばかり続けていたので、逆境に弱いという点があるのだと初めて知った。そしてそんな部分をミノルに心を支えらている事を、とても心地良いと感じていた。


 お父さんもお母さんも、ケンジおじさんからの話を理解し、受け入れる事で、無理なく助かる事が分かり、希望を持った目をするようになった。既にいくつかの入院先の候補が、現在お母さんが入院している病院から提示されていて、その中で最も成功率の高そうな転院先を探す段階に入っている。

 アメリカは元々の人口が多かった事や、ドナー制度を早くからスタートさせた事で、希望者に対して高い確率でドナーが見つかるそうだ。日本も早くこうなると良いのにと思うぐらいの余裕を持つ事が出来る程落ち着いてきた。


 ミノルに対する恋心を思い出すと、ミノルに対して思いを寄せている女の子の態度が気になるようになった。一番強い思いを寄せているのはサクラだけど、オルカやユイも仄かにミノルに心を惹かれていた事があるのを知っていたからだ。

 とはいえ今では私も大人なので、幼い頃にシオリにしていたような嫉妬を表に表す事は無かった。


 オルカは最近依田君に思いを寄せていた。そして文化祭の日に突然依田君に告白を受けて応じていた。

 ユイも田宮君と急接近中だ。シオリを通じて私に質問して来た勉強の分からない事を、最近は田宮君にしているそうだ。

 こうやってライバルが減ったと思ってしまうのは私の意地悪い部分だと思う。幼い頃にシオリがミノルの妹で結婚できないと知った時に感じた感情と全く同じ醜いものなので、ミノルにはあまり知られたくない。


 強力なライバルはやはりサクラだ、あの子は凄く手強いと思う。可愛さでは完全に私は負けている。今日ミノルがオルカの可愛いく照れている姿を見て「可愛い態度だな」と言った時、少し焦った。ミノルが可愛い子を好きになるのなら、私は負けてしまう可能性があるからだ。


「カオリも俺に嫉妬してくれるんだな」

「えぇ、私だって女の子だもの」

「そうか、嬉しいよ」


 胸の奥からジワッと歓喜の心が上がって来るのが分かった。そうだ、これが幼い頃に感じていた恋だ。何て世界は恋をすると色鮮やかになるのだろう。


 水族館に入ってハイテンションになったオルカと、それについて行っている依田君の後ろを歩きながら、私はミノルの右手を取った。私の左手の薬指に嵌っている婚約指輪をミノルの手に押し付けて、私のものだとアピールしたくなったのだ。


 ミノルは私の行動に驚いたものの、意味を察してくれたのか、私に自分の左手の薬指を見せて答えてくれた。胸の奥のジワッとした歓喜の心がさらに強くなるのを感じた。


「ペンギンのショーがすぐに始まるんだって! 平日は午前と午後の1回づつの開催だから逃すと大変だよ!」

「水辺さんはペンギン好きなんだねぇ」

「うんっ!」


 依田君とオルカはこれでかなり打ち解けただろう。オルカはたまに依田君の顔を見て少し挙動不審になるけれど、手で顔を覆う様な事にはなっていない。


「カオリはラッコが好きだったよな?」

「えぇ・・・でもこの水族館にはいないのよね・・・」

「今度ラッコがいる水族館に行こうか」

「えぇ・・・」


 私は動物ではコアラ、水生動物ではラッコが昔から好きだ。一日中見ていても多分飽きないと思う。


 ラッコのいる水族館というと、1時間ほど電車で揺られた場所にある水族館が一番近い。昔小さい頃にミノルの家族たちと車で行き、私はすぐにラッコが好きになって、他の水生生物そっちのけで見続けていた。


 けれど、その水族館に行く途中で、ミノルが何故か放心状態になり涙を流した事があった。確か、サクラのお爺さんの造園会社のビニールハウスはある街のあたりだったと思う。「車酔いをしたんだ」と言っていたけれど、違うと私は知っている。何故ならミノルはそれ以降、乗り物に酔った事が無かったからだ。中学校の修学旅行の際に遊覧船が揺れて、多くの生徒が吐き気に襲われていた時も、ミノルは平気な顔をして、みんなの介抱をしていたぐらいだ。


「あの街に寄って大丈夫なの?」

「えっ?何の事?」

「あのサクラのお爺さんのビニールハウスがある街に行くと、ミノルが悲しい気持ちになるのを私は知っているのよ?」

「えっと・・・うーん・・・デジャヴっていうのかな・・・、あそこ辺りが昔見た悲しい景色にそっくりなんだよ・・・」

「そうなの?」

「でも今は桃爺さんと一緒に、あの街のハウスに苗を取りに行ったりするからね、今更悲しい景色だと思う事は無いよ」

「そうなのね・・・」


 デジャブという事は、ミノルは昔そこで悲しい思いをした事があるのかな。あるとしたらサクラとの思い出という事になる。私の知らないところで、サクラとその街で思い出を作っていたのだろうか。何かムカムカとした気持ちが沸き上がって来るのを感じた。これは嫉妬だろう。


「何か気に障る事でも言った?」

「いいえ?そんな事は無いわよ?」


 やはりサクラは手強いわね。これは白黒ハッキリさせないといけない日が来ると思った方が良いわね。


「ほら二人とも! ペンギンの可愛い所を見逃しちゃうよ!」

「ほら、オルカも呼んでいるし早く行こう」

「えぇ」


 私はギュッとミノルの手を握ってサクラの幻影を頭から追い払った。

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