IF30話 この責を共に負おう

 ハルカさんが検査入院している病室は、クリーンルームという病原菌の侵入を防いでいる部屋になっているらしく、見舞いの人が入るには病院内での体の洗浄と、病院が用意する清潔な衣類を着用する必要がある部屋だった。また大人数で訪れる事は出来ないらしく、すぐにはハルカさんに面会する事は出来ないと言われた。

 家族からの伝言だったら病室と見舞いに訪れている家族にも伝える事が出来ると言われたため、カオリの名前でマサヨシさんに「ハルカさんの見舞いが終わったら待合室に寄って欲しい」と伝えてもらう事にした。


「カオリの隣で歩くってどうしたらいいんだろう?」

「ミノルは水泳は楽しいか?」

「えっ?」


 俺はタクシーを待つまでの間に親父に聞いたけど、何を言われているのか分からなかった。スイミングスクールに通ったのは、前世のよう溺れて死にたくなかったからだ。楽しいとかそういう理由で水泳をしていなかった。


「何で毎日早朝走っている?」

「それはもっと体を鍛えないとと思って」

「カオリちゃんを助けられるようになるためか?」

「うん・・・」


 あの時、俺が時間稼ぎをしている間に別の人が通りかかったおかげで誘拐犯の目的を阻む事はできた。しかし俺は既に昏倒していて俺の力で守れた訳ではなかった。


「今度は走って逃げられるようカオリちゃんと一緒に走り出したのなら褒めるべき事だ。だがなぜ一人で走る?次は戦って勝とうとしているのか?なぜあの時逃げて助けを呼ばなかった?なぜ子供のミノルが大人2人に向かっていった?」

「それは・・・女の子は守らねばならんから・・・、親父も俺に強い男になれって・・・」


 俺は最近まで、そのために田宮銃剣術道場に通っているんだと思っていた。だから思わずそう口に出てしまったけれどけれど、カオリの心の傷を知ってしまったため、間違っているかもと思い、言葉が尻つぼみになってしまった。


「俺の言葉はそういう意味じゃない。守ったシオリとカオリちゃんはあの時なぜ病室で泣いていた?」

「それは俺が意識を戻したから・・・」

「そうだ、それほどミノルが倒れた事が辛かったんだ。それは俺や母さんだって同じだ。やった事は立派だが、母さんは、何故シオリとカオリちゃんの手を引いて逃げなかったと思ってたんだ。そして俺は強くあれなんて言ったから無謀な相手にかかって行ったんだと自分を責めた」

「・・・そうなんだ・・・でも分からない、ただカオリを助けたかっただけだよ・・・」

「その考え方は正しい・・・、でも心も守ってやらなければ本当の強さじゃ無いんだ。俺も現場にいた訳じゃ無いから、状況は刑事やシオリやカオリさんから聞いた程度しか分からない、でもシオリからミノルが最後までその場にいたから「逃げろ」と言われても遠くには逃げられ無かったし、カオリさんも近くにいたらしい」

「えっ!?」


 俺は少しでも足止めするために懸命だたので構う余裕が無かったのだけど、2人はその場に残ってたのか・・・。


「結果として2人は無事だし、ミノルも意識を取り戻して今では元気だ。だが、あの時その場にいた2人は、誘拐は無理だと思い撤収しようと始めた犯人にまでミノルは邪魔をしようとし、運転手席から出て来た3人目に後ろから一撃食らったように見えたそうだ」

「そうだったんだ・・・」


 背後から大人の人の声が聞こえ、犯人が諦めて車のに乗り込もうとしていた事は覚えている。だから俺は欲を出して、一人でも足止めして車に乗り込ませ無かったら置き去りにされて捕まえられるのではと思ってしまった。その結果、背後から頭部に一撃を貰い昏倒してしまった。


「どうやら心当たりがあるようだな」

「うん、逃げようとしていた犯を足止めして1人だけでも捕まえられたらと思ってしまった」

「そんな事は守るべきものを背負っている状況では余計だ。まずミノルが気にすべきは犯人の確保ではなく自身を含めた身の安全だ。犯人は車で誘拐していようとしていたんだから、車が入れない場所まで逃げれば勝ちだった。ミノルのおかげで抵抗されて誘拐が容易で無い事も犯人には分かっただろう。他人の家ではあるが、少しだけ離れた家の門の中に入ってしまえば、犯人も無理には追わなかった筈だ。実際にカオリとシオリはそこでミノルの様子を見ていた」

「うんそうだね、もう2人は逃げられたと思って、さらに犯人が誰か暴いてやろうと欲をかいてしまった」

「そんなのは大人に任せれば良い事だ」

「分かった」


 前世では成人年齢が18歳に下げられていたけれど、この世界ではまだ20歳が成人だった。あと5年は親父の言う通り、無理をせず大人を頼る事を考えて行動しようと思った。


「でも何でそれを今まで黙ってたの?」

「ミノルがさらに努力するようになってるのに、止めるような事は言わんさ」

「そっか・・・ありがとう・・・」

「よせやい・・・」


 今世の俺の親は、こうやってちゃんと子供の成長を考えて自由にさせ、時々こうやって助言をしてくる人だ。こういうのを何にでもなれるゲーム主人公の親らしいと言ったら失礼だろうが、とっても立派な親だとしみじみと思った。


△△△


 待合室のベンチで待っていると、暗い表情をしたマサヨシさんがやってきた。今は外来の受付時間を過ぎている時間でありほぼ無人の状態だけど、話し合いができるような場所では無いので、病院内の喫茶コーナーに行って話をする事にした。軽食や飲み物の供給時間も過ぎているのでそこも無人ではあったけれど、自動販売機があり、席は解放されていたので4人掛けの席に向かい合って座る事ができた。

 俺の隣が親父で、斜め向かいがマサヨシさんで、正面にカオリが座った。


「少しやつれましたか」

「あはは・・・申し訳ない、少し気持ちがヤラれてしまっているようだ」

「ハルカさんの事は気にしていましたが、カオリさんに聞くまでここまでの事になっているとは知りませんでした」

「カオリが話したんだね・・・」

「えぇ・・・自分だけでは抱えきれなかったようでミノルに話したようです」

「それは申し訳ない・・・本来は私が聞いてあげるべき事だ」

「いえ・・・カオリさんは、そんな様子のマサヨシさんに負担はかけたくなかったのでしょう」

「本当に自分が情けない・・・私がもっと気を張らなければならないのに・・・」


 マサヨシさんは相当切羽詰まっているようだ。1億円というハードルはとても高いものだからだろう。


「マサヨシさん・・・1億円を作ってハルカさんを助けませんか?」

「どうやって作れというんだい?家のローンはもう無いけど、届かない。店は借家だし、店のものを全て換金してもとうてい届かないよ?」

「以前我が家の査定をお願いした際に6000万円の価値があると言われました」

「うちも似たようなものだった。それで足りない分をなんとかしようと親戚を駆けまわったがダメだったよ。元々ハルカとの結婚は歓迎されていなかったしね・・・。あとは私を贔屓にしてくれる人に相談してみたけど、残りの金額には到底足りなかったよ」


 個人の信用だけで4000万円借りるなんて無理なんだろう。それでも足りなかったという言い方をするって事は、援助しようとした人自体はいたのだろう。


「うちには3000万円のローンが残っていますが売れば差額が作れます」

「・・・とても助かるけど、よそ様であるケンジ君達の生活を壊すような頼り方は出来ないよ」

「えぇ・・・だからよそ様では無くなれば良いと思っています」

「・・・どういう事だい?」

「お宅のカオリさんを、うちのミノルの婚約者にします」

「・・・ははは・・・そう来たか・・・」


 マサヨシさんは自身の横に座っているカオリの方をチラッと見たあと俺の方を見た。


「本人たちの腹は決まっていそうだね・・・」

「えぇ・・・元々ミノルはカオリさんとの交際を望んでいましたから」

「あれで交際していないというんだから、変な2人だね・・・」

「それはミノルがカオリさんに届いておらず、カオリさんもミノルに足りないと思っていたからです」

「それは難儀な事だね、うちのカオリは私の血が入っていると思えない程出来が良い娘だから・・・」

「ハルカさんの血かもしれません」

「ははは・・・そうかもしれないね・・・」


 ハルカさんは天涯孤独という事だし血がどうとかそういうのは不明だ。けれど佇まいからして良い血筋の人だと言われてもおかしくない雰囲気をしている。

 だけどマサヨシさんも凄い職人らしいから、カオリは良い所取りの突然変異かもと思ってしまう。


「ミノル君には小さい頃、カオリを嫁に欲しかったら私を倒してからだと言ったが覚えているかい?」

「えぇ、昨日のことのように覚えています」


 実際には、「嫁に欲しかったらワイを倒してからやっ!」と関西弁だったけど、そういう事を言われた記憶は残っていた。


「今の私はこんなに弱っている、今なら簡単にミノル君に倒されてしまいそうだよ」

「そんな勝ち方してもカオリは喜びませんから」

「そうか・・・うん・・・」


 マサヨシさんは少し天井を見上げてから親父の方を向いて話を続けた。


「うん・・・まだ倒されてはやれないな。このままではそちらに迷惑をかけるだけだからね」

「これからそうならないようにする話をします。今はとりあえず最低でも1億円は作れるからハルカさんに早く治療を開始するよう言いに来たのです」

「なるほど・・・、確かに最低の保証があればハルカに手術を受けさせる事が出来るね」


 その後、親父がマサヨシさんに話したのは所謂ビジネスの事だった。


 マサヨシさんはかなり腕の良い仕立て屋で、デザインの才能もあるからか、一部の金持ちの顧客からとても支持を受けていた。親父が務める今井物産は金持ち向けの衣類のブランドを立ち上げようとしていて、その顧問役としてマサヨシさんの才能に目を付けていた。しかし、マサヨシさんが京都の老舗の呉服屋と因縁があるという情報と、マサヨシさんの顧客に今井物産と因縁のある企業の会長がいて、手を出すと業界に悪名が広がると思って声をかけるのを躊躇していたらしい。

 他にも、カオリを親父が務める会社の五輪後援企業としての広告塔にしたいという話もした。今井物産はオリンピックの応援企業として名乗りをあげており、五輪出場が確実視されている選手から、そのイメージを広めるための人物と契約を考えていた。

 若くて綺麗なカオリは、そのイメージとして最適で、契約金だけでも1千万円はいくだろうと言っていた。もちろん五輪でメダリストになるなど活躍すれば、会社から褒賞金が出るし、次々回に日本の京都で開催が決定しているオリンピックの出場選手になれば、五輪の組織委員会からの報奨金もあるので1億円を返すのも難しく無いだろうと話していた。


「あそこの会長ね・・・カオリを寄こすならハルカの治療費を出すと言ったんだよ。ハルカは助かって、カオリも金持ちの家に貰われて、店も畳まずに済む・・・とね」

「えぇ、カオリさんから聞きました、だから別に相手の顔を立てる必要は無いと思ったのです」

「そうか・・・そうだね・・・その通りだ・・・」


 もしかしたらマサヨシさんの心は少し揺らいでいたのかもしれない。その金持ちの事は知らないけれど、マサヨシさんの言葉からは嫌な印象を受けている感じはしなかった。


「マサヨシさんが決断すれば、私は会社にその話を持っていきます。嫌な話になりますがハルカさんの治療の件も美談として取り上げさせて頂ければ、さらにカオリさんの価値はあがり、資金援助という話も会社から引き出せるでしょう」

「すごいね・・・本当に1億円出来そうな話だ・・・」

「それだけ、マサヨシさんにもカオリさんにも価値はあります。あまり言いたくはありませんがカオリさんを、金持ちのコレクションとして売るにしてもあまりにも早計です。カオリさんの未来をお金に例えるべきでは無いと思いますが、オリンピックで実績を上げたあとなら、最低でもその数倍という話になります。人を惹き付ける外見を持っていますし頭も良い。無条件で1億円集められる様な女性にだってなれると思いますよ」

「ははは・・・凄い娘を持って鼻が高いよ・・・。それでその条件としてカオリとミノル君との婚約なのかい?」

「田中家と綾瀬家は家族になり、この責を共に負おうという覚悟でいるのです。でもそうですね、これにはミノルの為という意味を大いに含んでいます」

「ミノル君のため?」


 親父は俺はカオリと共に歩こうとしていないと言っていた。今回鎖ではなく楔という言葉を使ったけれど、何か違いがあるのだろうか。


「これからカオリさんは全力で自身を磨くでしょう。そしてミノルはそれを全力で追いかけると思います。親バカかもしれませんが、ミノルは時間がかかろうと何かの道でカオリさんに追いつき見直させると思っています。ただ楔が無いとカオリさんの進む速度が早すぎて見失ってしまいそうです。それはとても悲しいすれ違いになってしまう気がするんです」

「そのための楔という事かい・・・」

「はい」

「そうか・・・私にとってのカオリが、ケンジ君にとってのミノル君か」

「その通りです」


 マサヨシさんは眼光鋭く親父を見ると、「良いでしょう」と言って頷いた。


「ミノル君、婚約は認めるが結婚する時は私を倒してからだからね?」

「はい」


 弱っていると言いつつこれだけの威圧感を出すのか。職人って格闘家か何かなのだろうか・・・。

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