第65話 色気(エリカ視点)
「今年は倒れる人は出なかったね」
「フラフラはさせちゃったけど・・・」
「なんでなんだろう? こんなに綺麗な絵なのに」
「私にも分からない・・・」
文化祭に出した絵は見た人の中に目を回したように座り込んでしまう人が続出してした。 校舎の窓から見える風景を描いているだけなのにね。
去年は倒れたり吐いたりする人が続出しパトカーや救急車が来たので、それに比べたら随分と改善したと言える。
「でも最後まで展示できたし、気になると言って見てくれた人もいたよね」
「うん・・・でも綺麗な絵って言ってくれるのは坂城君だけだよ」
「僕は素直に感想を言っているだけだよ、ここの窓から見える景色をこんなに綺麗に描けるのは今井さんだけだよ」
坂城君の言葉に照れくさくなり赤面していくのが良く分かる。 絵の事を褒めていると分かっているけれど、私の事を綺麗と言ってくれているようでとても嬉しくなる。
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坂城君という存在を認識したのは丁度1年前の文化祭だった。 何故か私の描いた彫刻のデッサンを見た人たちの中から倒れて吐いてしまう人が続出したのだ。 そのため救急車が呼ばれて警察による現場検証が行われた。
原因は私の描いた絵には錯覚を起こす要素があって、それを見た人が目を回したと結論付けられた。 そのため私の絵には布が被せられてしまい、誰にも見れないようにされてしまった。
「勿体ないね、あんなに綺麗な絵だったのに」
「えっ?」
そんな事を渡しに言って来たのは、倒れた生徒達を積極的に介抱してくれていた、同級生の男の子だった。 すごい日焼けをしていて真っ黒い肌になっているけれど目の周囲は日に焼けていなくて白い肌がある顔をしていた。 中学の時に水泳部の人や冬山スキーをする人が、こういう感じに日焼けしていた事を思い出した。 スキーシーズンはまだなのでこの人は水泳部の人なんだと思った。
私のパパは有名な洋画家だ。 パパは私が描く絵には魂が宿っていると言う。 私もそうじゃないかと思っている。 何故なら私は絵を見ておかしくなる人は、私が絵を描いている時の気持ちが伝わったかのような事を言うからだ。 中にはそうならない人もいる。 私が描いた気持ちを共感できる人だ。 でも私がそれを見た瞬間の気持ちである綺麗という感想を言った人は初めてだった。
私は基本的に綺麗なものを綺麗になるように描いているつもりだ。 だから絵を見たら綺麗だなと感想を述べて欲しいと思っている。
絵を描く時はどうしても無心ではいられない。 小さい頃はただ絵を描く事が楽しかった。 だから相手には楽しいという気持ちが伝わっていた。 けれど中学校に入り思春期を迎えた時から私は変わってしまった。
私は容姿が良いらしく、男子から告白を受ける事が多かった。 そしてその時に描いた絵を告白して来た男子に見せた。 その結果、全員私の書いた絵を見て気分を害した。
落書きのようにグチャグチャだと言って来たり、見ていると気持ち悪くなると言って来たり、なんかムカついたと言って来るのだ。
私はただ綺麗だと思っているものを描いただけだけど、告白して来た男子の、その舐めつけるように見てくる視線に対しての不快感が相手に伝わってしまったんだと分かった。
そんな相手と交際する気にはならなかったので当然のように交際は断った。
しかし、そんな事が続くうちに段々と私は相手に不快感を与えるような絵しか描けなくなってしまっていった。
私は絵を描くという事が分からなくなった。 混乱した気持ちで描いた絵はやはりその気持ちが伝わってしまうようで、文化祭で沢山の人を気持ち悪い気分にさせてしまった。 だから綺麗な絵だねと言われた事には驚いた。 なぜなら私のパパですら、私が綺麗だと思っているものを書いている事を説明しないと分かってくれなかったからだ。
また告白を受ける頃から同級生と同じ様に薄く化粧をするようになった。 けれどその化粧も絵と同じ効果があったらしく、化粧をした時の気分が相手に伝わってしまっていた。 朝の目覚めが良い日は明るい顔を、体調が悪い日は不快な顔を、ただ一番自分が綺麗にと思ってした化粧なのにそういう効果が出てしまった。 そして私は誰にも告白されなくなっていった。 混乱した気持ちが化粧に入って私が綺麗に見えなくなっていったからだろう。
文化祭の日から坂城君は時々部活前に寄ったと言って美術室に来るようになった。 そして私の描いている絵を見て、綺麗だと言って笑顔を向けてくれた。
私は坂城君を目で追うようになっていた。 美術部室は最上階の最奥にあって、廊下に出て突き当りの窓から下を見るとプールを上から見る事が出来る。
水着になっている坂城君の体はすごく均整が取れていて綺麗だった。 坂城君は水泳部仲間である立花君が凄い体をしていると言っていたけれど、立花君の体は胴体の長さの割に手足が長すぎてバランスが悪く、私には綺麗なものに見えなかった。
「あれ? 白の顔料と油が切れてるね」
「うん、他の色も切れそうだし、他の画材も足りないから明日買いに行く」
「一人で行くの?」
「そうだけど・・・」
「1人で持つのは重いでしょ? 明日の部活は自主練だし僕も付き合うよ」
「えっ? 良いの?」
「うん、だって今井さんの手はこんなに綺麗なものを産みだすものだからね、重い荷物で手を痛めたら大変だよ」
「ありがとう・・・」
ニカっと笑う坂城君は色黒であるため、並びの良い歯が白く輝いていて綺麗だと思った。
まだ夕日にはなっていないけれど、日が傾き始め窓から坂城くんの方に向かって日が差している。 それを正面から見ている私の顔は逆光なので影がさしているし、薄く化粧もしているので顔が真っ赤になっている事はバレていない筈だ。
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「商店街のシャッターに絵ですか?」
「姉妹校の美術部が、駅前のショッピング街のシャッターに絵を書いてね、それがとても評判になってるんだ。 それでうちの高校の近くの商店街にもして欲しいって自治会から要望があってね、近隣の小中高校と丘の上の大学に声がかかったんだよ」
珍しく顧問が美術室に現れたと思ったら、高校の近くの商店街のシャッターの1枚に絵を描いてくれと言われた。 他の部員全員で1枚なのに、私だけ1人で1枚を担当させるつもりらしい。
「私だけ1人で1枚なんですか?」
「真面目に部の活動しているのは3年生以外は今井さんだけでしょ? さすがに受験を控えた3年生にはお願いが出来ないからね。 他の部員達に共同で1枚お願いする感じで考えているんだ。先生も手伝えるなら手伝うが、今回は学生限定イベントのような企画らしくて大人は遠慮してくれと言われてるんだよ」
「わかりました・・・」
他の部員が積極的に活動しないからこそ、美術室で坂城君と二人っきりでいる時間が作れている。 他の部員にもっと積極的に部活に参加しろなんて話にならない方が私にとっては好都合なので、顧問の依頼をそのまま受ける事にした。
「今週の日曜の朝6時にシャッターに絵を描く人たちが集まって、誰が何処を担当するか決めていくそうだから、出て来て欲しい」
「はい・・・」
受けはしたけど気乗りはしていなかった。混乱した気持ちでシャッターに絵を描いて大丈夫なのだろうかという気もしていた。
でも好きなシャッターを選べるなら、せめて学校で使う画材を買うのにお世話になっている文房具店のシャッターを担当したいなと思っていた。そうすれば感謝の気持ちが込められるかもしれないと思ったからだ。
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「酷い・・・」
「こんなに落書きされてるんだ・・・」
「こんな事になってるなんて知らなかった」
「この時間に来ることなんて無いからなぁ」
「僕はここが通学路だからこの光景を朝に見ながら学校に行くんだ」
「それは嫌だね・・・」
早朝の商店街にやって来た、近隣の中学校や高校や大学の美術部や美術サークルの人たちが、シャッターが開いていない状態のシャッターを見て驚いていた。
イタズラ書きがあるとは聞いていたので、「○○参上!」とか書かれている程度だと思ったけれど、卑猥なものや汚物が描かれたり、「死ね」とか「殺す」とか「ちんこ」とか「SEX」とか「FACK」とか、店に恨みでもあるのかと思うような言葉が殴り書きされていた。
「壁なんかへの落書きはすぐに塗り直すんですが、シャッターはあげてしまえば見えなくなるので後回しになるんです、塗り直すにも費用がかかりますしね」
「シャッターを下ろすの忘れて帰った日に窓ガラスにやられてたね・・・」
「人が寝静まった時間に来るのか、いつの間にか落書きされているんだよ」
「あいつらシャッターだとすぐに塗り直されないと知ってて、綺麗にすると真っ先にイタズラしやがるんだ」
「防犯カメラの設置も考えたんですが、店内はともかく、カメラを外に向けるのはプライバシーの侵害だと言って来る方もいましてね・・・」
「それってあそこの議員さんの事だろ?」
「しっ・・・下手な事言うと、怒鳴り込んで来るぞ」
どうやらこの商店街にはイタズラ書きをする人だけではなく、厄介なご近所さんもいるようだ。
「シャッターの大きさにはそれぞれ違いがあります。 また店の雰囲気もありますのでそれに合わせて選んで貰いたいと思います」
「わかりました」
「入口近くの店に派手なの書こうぜ」
「私、あの店のラーメン好き」
「あぁ美味いよな、じゃあその店を希望しようか」
「ひまわりの絵が書きたいな・・・似合うのは・・・」
「隣同士にしてどっちが上手いか勝負しようぜ」
参加者は、各々自分の希望するシャッターを探しに散っていった。
私は犯人達を許せないという気持ちを感じてた。 私の絵が相手に気持ちが伝わるのなら、思いっきり恨みを込めて描いてやろうと思った。
「ペンキなどは商店街で用意します。 図案を出して頂ければ、それに合わせた量のペンキや刷毛など必要なものは支給します。 担当のシャッターが決まりましたら。その店のシャッターに合わせた図案を出して下さい」
「はい」
「わかりました!」
私は1人で描くからか、商店街の中で比較的小さいシャッターである、お世話になっている文房具屋の担当になる事ができた。
早速図案を作ろうと張り切っていた。
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「へぇ・・・商店街のシャッター用の絵の図案か・・・綺麗なクローバー畑だね、それと女の子に花の冠を被せられようとしている男の子か・・・」
「うん、四葉のクローバーは幸運の象徴でしょ? それを消すような人には不幸がありますようにって願いを込めているんだよ」
一般にはクローバーと言われているシロツメクサの花は、私が綺麗だと思うものの1つだ。 昔、近所にあった空き地にはシロツメクサがいっぱい生えていて、ママの体が治りますようにと願掛けをしながら四葉を探していた。
女の子のモデルは小学校の時の私で、男の子のモデルは小さい頃の坂城君の想像した姿だ。 今見せているのは図案だし顔をぼかしているからわからないと思うけどね。
「今週末にでも図案を持って行くつもり」
「そうなんだ・・・きっと喜んで貰えるよ」
「うんっ!」
坂城君に褒められて、自信を持って商店街の代表者さんの所に図案を持って行ったけれど、ダメ出しされてしまった。 見ていると気分が悪くなってしまうそうだ。 商店街の代表者さんは私の絵を見ておかしくなるタイプの人らしい。
坂城君の様に私の絵を理解してくれる人は本当に少ない。
けれど図案が却下された数日後に、何故かその絵で良いと返事があった。 文房具店の店主さんが引き込まれる絵だと言って描いて欲しいと言ったからだそうだ。
もしかしたら文房具店に対する感謝の気持ちが伝わったのかもしれない。 それなら本番では、犯人に対する怒りだけではなく、商店街全体に感謝する気持ちも込めて描いてみようと思った。
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少し揉めたけど図案が認められたので、その日から放課後に商店街で1時間だけシャッターに絵を描いて帰る日を繰り返して過ごした。 時々坂城君もやってきて手伝ってくれた。 同じ水泳部員の立花君の家が近いらしく、時々この辺に寄る事があるらしい。
坂城君が手伝ってくれた日は、自宅にある私専用のアトリエで楽しい気分で絵を描けた。
そんなある日、いつの間にかパパが私のアトリエに入って来て、イーゼルに向かっている私の後ろから急に声をかけてきた。
「絵に色気が出て来たな」
「っ! ってパパか・・・後ろから急に話しかけないでよ」
「30分以上前からいたんだがな・・・部屋に入る時にも声をかけたしな・・・エリカも「どうぞ」って返事をしたんだぞ?」
「えっ? そうなの?」
描く事が楽しすぎて周囲が見えていなかったらしい。
「エリカ、恋をしているのかい?」
「えっ?」
パパにそう言われ、すぐに坂城君の顔が頭に浮かび、顔が熱くなってしまった。
「そうか・・・強い感情は描くものを1段深いものに変える。 エリカは今まで恋をしてこなかったら絵が楽しいというだけで色気は無かった。 最近はスランプになって迷いだけになっていた。 けれど今描いているものには迷いと楽しさの次に色気が出ている。 迷いでも良い、楽しいでも良い、憎いでも良い、愛しいでも良い、それを表に出しながら描けばエリカの絵は一皮むけて素晴らしいものになるよ」
「そうなんだ・・・」
「激しい恋をしなさい、もっと深く相手を見て愛しなさい、駄目になったら思いっきり憎しみなさい、そしてそれを相手にではなく絵にぶつけてみなさい、そうすれば絵はエリカに答えをくれるようになるよ」
「うん・・・」
最近120号の大作を描き上げて、それを1千万円超えの値段で売ったパパの言葉には説得力があった。
「これは人物画だよね・・・でも誰なんだい? 褐色だからアフリカ系の人物かい?」
「ううん、水泳部の同級生。 毎日ずっと泳いでいるから真っ黒に日焼けしているの」
「なるほど・・・でも・・・これは目かい? 白い縁取りに勢いがあるのは良いけど不思議な配色だね」
「うん」
あまり外を出歩かないパパは、水泳部の人は目の周りだけ日焼けせず白いことを知らないようだ。
私の絵は良く分からないものと言われる事がある。 私が見えている情景をそのまま素直に描いているつもりだけど、他の人にはこういう感じに見えていないからだ。
お父さんは私が描いているところを何度も見て、それが何であるかを説明した事で、私が何を描いているのか分かるようになってくれた。 そして、「エリカが見ているものは誰にも代えがたいものだから、そのまま描きなさい」と言って応援してくれるようになった。
「この男の子は、私の描いた絵が何かすぐに分かるし、綺麗だって言ってくれるの」
「それは凄い! その子はママみたく、絵を一番綺麗に見れる目を持っているのかもしれないね」
「一番綺麗に見れる目?」
「あぁ・・・ママは誰にも理解されなかった私の絵を綺麗だと言い続けてくれたんだ」
「うん・・・」
その話は何度もパパから聞いているので良く知っていた。
パパとママは駆け落ちで結ばれたそうだ。
私のお爺ちゃんは今井物産という会社の会長をしていて、お父さんは後継者候補として育てられたそうだ。 けれどお父さんは絵を描くのが好きで、絵を描くことを理解してくれる弟の婚約者だった高校生のママと駆け落ちたそうだ。
「私はエリカのママに励まされなければ筆を折っていた。 だけどずっと私の絵を綺麗だから辞めないでと言い続けてくれたんだ。 周囲から評価されなかった。私は絵を描くこと以外何もできない人間だ。 私は金銭的にだけでなく心もエリカのママに応援された。 だから描き続けられた。 みんなに反対される中で私達は愛し合いエリカが産まれた。 そして私は画家になった」
「うん・・・・」
パパが初めて外から評価を得た絵は、幼い私を抱くママの絵だ。
だけどそれはあり得ない光景だ。 何故ならママは私を産んだ日から意識不明だからだ。 陣痛の痛みを和らげる薬がママの体に合わず、その後遺症で植物状態になってしまったらしい。
パパはママが目覚めて私を抱き上げる姿を想像して絵を描いた。 ママに対する愛情と、病院に対する憎しみと、将来への希望や絶望。 そんな気持ちを込めて何枚も何枚も描いた。 そしてその絵が初めて世間に評価された。 絵に深みが出てパパは画家になったのだ。
「エリカのママにも報告しないとね、エリカに恋人が出来たよって」
「まだだよっ!」
「そうなのかい? この前デートしたんだろ?」
「何で知ってるの!?」
「だってあんなに念入りに化粧をしてお洒落もして出かけただろ? それに荷物を持って来てくれてたって事は相手もエリカの事が好きなんだろ?」
「っ!」
どうだろう? それだと嬉しいな。 でもただ単に私の絵が好きなだけかもしれない。 聞くのは怖いな・・・。
「不安そうな顔をしているね、それも絵にぶつけるのもありだよ。 でもエリカには幸せな絵を描いてもらいたいね」
「パパ・・・」
パパは私のような抽象的で幻想的なタッチの絵と違い写実的なタッチの絵を描く。 青や黒を多用するのが特徴で、幸せな情景や壮大な景色の絵でも、何故か切なさを感じる不思議な冷たさや陰があると評価されている。 私と同じ様にママが起き上がらない悲しさが込められているのだと思う。
「次は家に上がってもらいなさい」
「はい・・・」
坂城君と出かけるのは殆どが学校で使う画材を高校近くの商店街から高校まで運ぶぐらいだ。 だけどこの前、家で使うプロ用の画材を補充したくて一緒に駅近くの店まで出かけた。 坂城君は私のアトリエに入れたあとそろそろ夕飯の時間だねと言ってお茶も飲まず帰っていった。
私のアトリエの画材は殆ど補充されたので、次に坂城君が家に来るのは結構先になる。 その前に私は坂城君と恋人になれるだろうか?
「じゃあ先にエリカのママの所に行っているからね、エリカも切りが良い所まで描いたら挨拶に来なさい」
「うん・・・」
パパも私も、その日描いた絵の事をママに報告してから就寝している。 友達に話したらおかしいと言われたけれど、私はそうは思わない。 だってそれがパパとママと私の普通だからだ。
私は私と坂城君の普通を想像して鼓動が早くなり、なぜかお腹のあたりがムズムズとした。
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