第64話 カレー臭

 イルカとアシカのショーの開始時間になったので、巨大な深海の虫の水槽からユイを引き剥がして会場に向かった。 最初は名残り惜しそうにしていたけれど、ユイもこういう可愛い生き物のショーは大好きなので、始まってしまえば最前列の水しぶきがかかるような場所で目を輝かせたオルカと共に歓声をあげていた。

 ショーを見たあとユイがまた深海コーナーに行きたがったので向かった。 俺には全く動かないように見えるけれど、ユイからすると僅かに動いて見えるらしい。

 そういえばダンゴムシは尻から水を飲むそうだけど、この巨大な虫はどうなのだろう?


 30分程でユイが満足したらしく、近くのベンチに座る俺とオルカの方を向いたのでその場を離れた。

 そのあとは、海外の珍しい魚や幻想的なクラゲの水槽のコーナーをゆっくり見たあと、出口近くのお土産コーナーでに行った。

 ユイはあの虫の一番大きなヌイグルミを欲しがった。 しかしユイの手持ちでは足りなかったため俺とオルカがお金を貸す事になった。 残金が帰りの交通費を出すとギリギリなってしまったので寄り道せずそのまま帰る事になった。 弁当と麦茶の水筒を持って来ずに、買い食いをしていたら電車を降りた後にバスに乗れず、駅から家まで徒歩でかえらなければならない所だった。


 文化祭2日目は学校に行かず午前中は公園で1on1をして遊び、お昼は3人で買い物に行ってサンドイッチを作って食べた。 オルカのお祖母さんにおすそ分けしたら、お返しに煮物を貰ったけれど、夕飯に予定しているカレーには合いそうに無いので、冷蔵庫に保存して、翌日の朝食のおかずにする事にした。


「ユイのカレーはいつも牛肉なんだね」

「うちは欧州風だからね、オルカちゃんちでは違うの?」

「うちはいつも和風だね」

「今度そっちのカレーも食べてみたいな」

「うん、今度作るよ」


 この世界の日本は、江戸時代にオランダではなく英国と国交していたためか、カレーの肉を牛肉にする事を英国風や欧州風と呼ぶようになっていた。 けれど琉球県の様に豚肉を好む所ではカレーの肉は豚肉が標準だったようで、何故か今ではそれを和風という名で呼ぶ事が多くなっていた。

 ちなみに鶏肉のカレーは印度風と呼ぶ。ただし家族でインド料理店に行った時にメニューを見たら、標準的なカレーの肉が山羊肉だったので、鶏肉のカレーを印度風と表現するのは違うのではと思う。


 料理はユイとオルカにお任せしている。 うちのキッチンは3人入って快適に作業出来るほど広くは無いからだ。 特に俺は体が大きいので邪魔になってしまうのだ。


 食卓に食器を並べて後はカンターに置かれたら料理を並べるぐらいしかする事が無い。

 俺は、リビングで洗濯物を取り込み畳み終わるとする事が無くなり、テレビを点けて時代劇を見ながら、ダンベルやハンドグリップで手首や握力を鍛えて時間を潰した。

 単純な運動の繰り返しになりがちな水泳では鍛えきれない部分があると思っている。 バスケの練習などである程度はカバーできているとは思うけれど、それで完全にカバーしているとは言えないと思うのだ。


「水の量を正確に測るんだねぇ」

「その方が美味しくなるよってお兄ちゃんが教えてくれたからね」

「へぇ・・・」


 カレーの箱の裏に書かれて居る分量は、メーカーの人が試行錯誤して最も良い分量に調整されているものだと思っている。 多少の好みはあるのだろうけれど、万人受けする加減なのだから、大勢が食べる前提で作る時のカレーで冒険はするべきではないと思っている。 調整は付け合わせや調味料でしても良いのだしね。


「ニンジンを少し残してたのが不思議だったけどそれが理由なんだ」

「あとでジャガイモの残りと一緒にキンピラにしちゃうよ」

「ユイは良いお嫁さんになれるね」

「そういうオルカちゃんだって良い包丁さばきしてたよ?」

「お婆ちゃんの手伝いしてるしね」

「なるほどね」

「でもお婆ちゃんは分量は結構適当に入れちゃうよ」

「でもいつも美味しいよねぇ」

「そうだねぇ・・・不思議・・・」


 それは不思議でもなんでもなくて、長年の慣れもあるし、味見して調整とかしてると思うぞ。


「灰汁を取ったらルーを入れるだけだね、でも夕飯にはまだ早いかな」

「カレーは少し寝かせた方が美味しいって言うよ」

「それもそうか、じゃあ公園でバスケしに行こう?」

「うん」


 一度冷ましてまた加熱した時に具が煮崩れる事と味が具にしみ込む事が寝かせる効果だけど、そんな短時間寝かせたぐらいだとあまり効果はないと思うけどな。


「お兄ちゃんも公園行こう!」

「あぁ」


 換気扇のおかげでカレーの匂いの拡散は抑えられているだろうけれど、それでもリビングまで香りが漂って来る。 換気扇を通じて外に匂いが広がって、立花家の夕飯がカレーだと通りかかった人にはバレバレになる事だろう。

 前世の最後は家に帰っても無人で、調理の匂いが漂っているなんて事は皆無だった。だからこういった事は俺にとっては幸せを感じる時間そのものになっていた。


「街灯が付いたら帰ろうな」

「うん」

「分かった」


 外に出ると5時前だが既に太陽が山陰近くにあった。日が落ちるのが早い時期だし、この辺りは西側に小山があるのでさらに暗くなるのが早い。


 公園の前と通りの角には街灯があり、この時期には6時頃に自治会の人が電柱にあるスイッチを入れて点灯させるようにしている。 その内タイマー設定の該当に切り替えられていくのだろうけれど、今はまだアナログのままでいる。


 小学校や中学校では、6時には児童は帰宅するように指導している。 大通りに出れば9時頃まで学習塾がやっているので有名無実な部分はあるけれど、それでも何も無いのなら家に帰るべきだ。

 高校生になった俺達には関係ないけれど、俺達が遊んでいれば子供たちが真似をしかねない。 だから俺達はこの時期は6時の目安である街灯の点灯に合わせて帰るようにしている。


 街の方ではコンビニがどんどん増えているし、遅くまでやっているファミレスやチェーン店の居酒屋も増えている。

 この家の近くの商店街も、今は6時ぐらいには殆ど閉店し、蕎麦屋と寿司屋が8時ぐらいまでやっているぐらいだけど、その内コンビニがやドラッグストアや出前ピザの店などが進出して夜でも明るくなってしまうかもしれない。


 公園には学校が終わったあと遊びに来たと思われる子供が遊んでいた。 幸い遊具を使っていて、バスケットコートを使っている子供はいなかった。 もしいれば譲り合って遊ぶのだが、今日は独占状態で遊べそうだった。


「じゃあ時間も短いし、3人でやろうか」

「攻撃1守備2か」

「ハンデと順番はどうするの?」

「攻撃はオルカちゃん、お兄ちゃん、私の誕生日が早い順で、ハンデはオルカちゃんが10点、お兄ちゃんが5点でどう?」

「全国優勝者にしては弱気じゃないか?」

「前は15点と10点だったよね?」

「お兄ちゃんとオルカちゃん最近うますぎだからだよっ! お兄ちゃんはマークしても最近は結構3P入れて来るし、私の上のシュートは読んで叩き落として来るしさっつ! オルカちゃんも守備が粘り強くて大変だし、体柔らかいからどんなに体勢崩しても狙ってシュート打って来るしっ!」

「先生が良いからな」

「ユイちゃんに対抗しようと思ったらねぇ・・・」


 俺達はお互い2人の攻撃の癖を知って居るので先読みをして動く事が出来るようになっている。お互いがお互いの天敵になってきているとも言える。


「とりあえずやってみるか」

「なんかユイには負けたくない気分」

「遊びだからね? 本気でやらないでね?」

「ハンデ削ってまで勝とうとするなんてなぁ・・・」

「勝ったら何してもらおうかな?」

「2人とも目が本気だよ!」

「時間も無いしさっさとやるぞ!」

「おー、行くよっ!」

「ちょっとぉ! お兄ちゃんっ! オルカちゃんの守備の時に手を抜くのは無しだよっ!」

「ナイッシュー!」

「さぁタカシの番だよ」

「オルカちゃんもズルい~」

「さぁ守備だぞっ!」

「おー!」


 街灯が着いた時にはハンデの点差そのままで終わった。

 その日ユイが食後の楽しみに取っていたプリンはオルカのお腹に収まった。


「狡いよお兄ちゃん・・・酷いよオルカちゃん・・・」


 ユイの機嫌を直す為に俺の翌日のプリンがユイの手に渡る事になってしまった。

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