第140話 鎮魂
地震研究のために大規模に観測機器を設置する事は多くの障害に見舞われた。
まず圧倒的に資金が足りなかった。バブル崩壊後過剰な公共事業は削減される傾向にあった。そのため効果が不明な観測機器の設置には大きな予算が付かなかった。
企業にスポンサーを頼もうとしても不景気に見舞われたため財布の紐はきつかった。
このままでは東日本大震災間に合わないと思いスミスの憑依体に協力要請した。スミスの憑依体にアドバイスを貰いながら自身の小遣いを運用して投資で稼ぎ、スミスの会社にスポンサーになって貰って最初の資金を作った。
また観測機器の設置を計画していた東北沖のプレート境界の辺りは日本の好漁場が点在している事も問題だった。各地の漁業者から抗議が来たのだ。
漁業者は戦後の食糧難を支えたという誇りがあり議員の多くもそれに賛同していた。内々に説得にあたり、良い返事が貰えるようになり始めていたのだけれど、急に野党が支援する活動家が介入するようになって過剰な要求をするなどエスカレートし始めてしまった。
活動家は、まだ装置の設置すらしていないのに、不漁の原因をこちらの事前調査のせいだと言ってきて補償を求める裁判を起こすと恫喝し始めた。不漁の傾向は戦後の復興期から始まっている事と統計上も出ているのに、不漁との因果関係が無い事を証明しろと、漁業者にしては日に焼けていない大漁旗を掲げた集団が、国会前でシュプレヒコールを上げたのだ。
政府与党は、バブル崩壊後に大幅に支持率を下げていて、議員たちがその声を無視できなかった。そのため、東北沖に計画していた大規模観測装置を設置する計画が延期される事になってしまった。
スミスの会社に仲介してもらったアメリカの大学と企業との共同研究という形でアメリカ大陸西海岸の沈み込み断層地帯周辺に設置したものが、俺が最初に作った大規模観測網になってしまった。
アメリカ大陸の西海岸の地震予測は成功し学会でも喝采を受ける事になった。日本が世界で初めて地震予測に成功したという栄誉は得られなかったけど、地震学者の間で大きく認知されるようになった。
そこで栄誉を大事にする華族の当主たちを権田の親分が説得して回った事で、世界初という栄誉を漁業者の活動によって取られたという世論が作られていった。陛下から「個の利の追求も国難を防ぐという大義がなされてこそ」という玉音を賜る事も出来た事で、漁業者を語る活動家の活動がおさまっていき、日本近海への観測機器の設置の正式な認可が下りる事になった。
次に起きたのは日本に対し批判的な行動をとる国の妨害工作だった。公海上であるにも関わらず設置する活動を妨害され始めたのだ。そのため海防艦隊による護衛が無ければ設置を続けられられなくなった。
また、地震があまり無い国は地震予測に対して無関心であるくせに、利権欲しさに 地震観測に関する国際研究団体を作って、日本の参画と出資を要求して来た。計画を見ると観測データは殆ど日本が出すのに、考察と研究は自分達の名前で出すというのだ。日本が参画しないと発表すると、批判している国々に同調する姿勢を見せて圧力を強めてきた。経済力の減った日本は外圧にも弱くなり、そのため大規模地震を予測を一般化して被害を軽減するという目標は当初よりも遅延気味に進んでいた。
また俺はプレート境界で起こる地震の予測を専門にしているため、別のタイプの地震の予測までは出来ていなかった。だからか適当に言ってたまたま当たっただけと揶揄される事が結構あり、実際にそういった批判的なネット動画を作られて拡散され、それを信じている人が俺のSNSは批判コメントで埋め尽くしていた。
先進国をうたい経済力がそれなりに高いのに、無償での観測機器の設置と技術供与を求めて来る国があるのも頭の痛い問題だった。
日本はバブル崩壊後に経済力を落とした結果、国際的な政治力が弱くなっていた。今まで友好的な顔をしていた国が、手のひらを反すように非友好国な態度をし始める事があった。
酷い国は借款の返済を滞らせたり、その国の裁判所で無効という判決を出して来たりした。地震予測の観測機器を無償で提供しないと、同盟関係を解消すると言ってくる国まで存在した。
技術的な説明をしているのに、民族自決の精神をいきなり持ち出して、蝦夷地方や南西諸島地方で独立させるべきだという話を延々とされる事もあった。
日本政府から依頼を受けた部分の技術協力はするつもりだけど、公的な支援が得られない部分は、企業からの寄付金と俺の個人的な投資によって得た資金で賄われていて、どちらかといえば私費に近いものばかりなので、協力には限界があった。
観測機器も独自設計の少量生産品で無限に用意出来るものでも無かった。その設計図は既に研究論文で発表しているので、欲しい国はそれを参考に作ればいいだけなのに何故か無償で渡すのが当然の様に言って来る相手に対応しなければならない事には辟易とした。外務省に話を振ったらそちらで対応してと言われて相手にされなかった。
観測機器の設置に適した場所の事前調査や確保、観測機器の用意とその設置すらこちらに全てさせようとしながら、協力費としてさらに金を出せと言って来た国の交渉役が来た事があり、その場で怒鳴って追い返した事もあった。
自身の私腹を肥やす事しか考えていない官僚が多いと聞いた事があったけど、まさか国民の命がかかっている事業でも同じことをしてくるとは思っていなかった。
交渉役が偽物じゃないかと疑ったけれど、その国の大使か抗議文が来たので本物だ分かり、その国の担当者とのやり取りの議事録を送りつけて協力できない事を通告した。さらに揉めるようなら録画をネット上にアップしてやろうと考えていた。さすがにそこまで愚かでは無かったらしく、大使館員の入れ替えが行われ反応は無くなった。
けれどその件で俺は外務省と折り合いが悪くなってしまった。それでも近づいてくる役人は自身のポイント稼ぎのために俺を活用しようとしている奴だけだった。
日本に比肩する地震大国である東南アジアの国に観測網を設置出来たのは、その国の初代大統領の第二夫人が日本人で、その方から直接依頼を受けたからだ。
けれど、前世のスマトラ沖地震津波だと思われるものを予測してしまった結果、批判的な世論が沸き出してしまい、パフォーマンス重視の政治屋議員に目をつけられてしまった。
『資金はまだまだ出せますし、声も抑えられます』
(それはやめてくれ、本来は国自身が意識を変えてやる事なんだ)
『分かりました』
企業の寄付金や配当金はスミス関連の会社の割合が多い。電力会社や化学薬品会社や金属精錬会社など、津波被害が予測されている沿岸地域に大きな工場を持つ会社からの寄付金が寄せられるようになったけど、スミスの関連企業だけ飛び抜けて寄付金や投資による配当金が多かった。
俺は東北沖に最低限の観測網の設置を終えた後は、残ったお金を基金にして、私設の地震研究組織の外側を作った。公金は動かすのに承認が必要で、特に大きな金額を動かす時には時間がかりもどかしかったからだ。民間組織であればある程度即時性も持って物事に当たる事が出来た。俺は無報酬の役員をしている。国立地震研究所の所員以外のもう一つの肩書を持っている。将来的には観測システムの設置と運用のアドバイスをしながらを観測機器を販売する企業に出来たらと思っているけれど、それが軌道に乗るためには国家レベルの協力が必要だと思っている。
「もしもし坂城か?」
「あぁ梶原君?大変な事になってるね」
「地震の件で問い合わせはそっちにあるか?」
「各所から電話は来ているよ、言われた通り、今は連絡つきませんと返事してたけどね」
「俺は京都に向かっているから、聞かれたらそう答えてくれ」
「良いの?あんな酷い扱いしてきた連中だよ?」
「ムカつく奴らだけど、地震津波の被害を減らすためには、動いてもらわないとどうしようもないからな」
「そっか・・・梶原君は強いね」
「簡単に手のひら返しが出来る奴らの面の皮ほど強く無いさ」
「それもそうか、僕も少しは面の皮を厚くして、大人の対応するよう心がけるよ」
「頼むな」
「了解」
私設の地震研究所の唯一の社員である坂城に電話をした。まだ外側しか出来ていないので大っぴらに教えていないけれど、問い合わせは多いようだ。
坂城は大学で経済学を学んだあと、バブル崩壊後の就職難で希望通りの仕事に就けずWebデザインをする会社で働いていた。
俺は坂城の労働時間の長さと給料の安さに驚き、すぐに引き抜いた。丁度、私設の地震研究所のホームページ立ち上げたかったし、坂城は頭が良く人当たりも良いので丁度いいと思ったからだ。
今は設置した地殻変動の観測装置の有用性が認知され始めたので、その装置を政府での観測装置の買い取りと、今後の東海や東南海、南西諸島沖の観測網の強化の受注について坂城に窓口になって貰って話を進めていた
駿河県と信濃県と越後県を貫く断層地帯にも設置をしようという動きも起き始めていた。日本の地震予知体制の充実はまだ長い先があったけれど着実に前に進み始めていた。
けれど今回の議員とのトラブルによって潰れかねないと地震研究所の所長と次長から注意を受けた。
管理職がすべき議員の相手を俺がさせられ、そこで研究者に対してデータの改ざんしろという無理筋の恫喝を受けたのに、俺が悪いという事にされたのだ。
けれど実際に予測した通りの地震が起きた事で手のひら返しがなされるだろう。
それが進歩的な話に繋がればいいのだけど、責任の押し付け合いと手柄の奪い合いの場になるような気がしている。
『あなた様の懸念されている大震災は現在の観測網でも発生の7日前で約84.7%の正答率を出せます』
(予兆は1月単位前から始まるしもっと早い段階で規模についても正確に出せるようになりたいけどね)
『私を使われたら良いのに』
(それはだめだよ)
スミスの憑依体なら完全なる予測が出来るだろう。でもそれじゃあ駄目だ。災害は人の力で克服しないといけない。俺は神になりたい訳ではない。ちゃんと誰にでも分かる形での記録を作る人でなければならない。
『世間はあなた様を地震予知の神様と言い始めています』
(でもあくまで人の枠を出ない神様だよ、俺はあくまでお助け人なんだ。けれどスミスの予測は本当の神様の予知なんだ。それを俺が聞いたまま伝える事は神様の代弁者になってしまう事だ。そしてスミスから確実な予知を聞いていたのに言わないでいるのは、俺が罪の意識で潰れてしまう事なんだよ)
『そうですか・・・私に頼ってしまえばそんなに思い悩まないのに・・・仕方ない方ですね』
(気を使ってくれてありがとうな)
『いえ・・・』
俺はスミスの憑依体との問答を終えると、ホームに流れ込んできた武蔵駅発京都駅着の上りの新幹線に乗り込んだ。
窓の外を流れる前世の故郷の近くの風景を眺めながら、お袋が急いで作ってくれた銀紙に包まれたおにぎりを取り出して食べた。
その後は箱根の山の下を通るトンネルを越えた時、携帯電話が鳴った。確認すると田宮が差出人の地震とは関係ない「2人目が出来ました」というタイトルのメールだった。
「そっか・・・カオリも2人目か・・・」
カオリは大学在学中に男の子を出産した。けれどちゃんと出産と育児と両立して主席のまま6年で医学部を卒業した。今は研修医としてこの街の病院でも働いているけれど、休日は研究医として国立医療研究センターに通っている。そして今年の4月から正規の研究医として京都の国立医療研究センターで働く事が決まっている。2人目が出来た大変な時期ではあるけれど、カオリはキャリアを傷付ける事無く出産と育児をこなしてしまうだろう。俺以上に優秀なのに、俺以上に頑張っているカオリの話を聞くと、理不尽な事に投げやりになりそうな気持ちがすっと収まる。本当に有難い友人だと思う。
祝福のメールの返事を出し終わり、窓の外を見ると、丁度今世の俺が生まれた街を流れている川にかかる鉄道橋を通過しているところだった。
鉄道橋の上流側に小さい頃に親父に肩車されなから夏の花火大会を見に行った特徴的な形の道路橋が見えたため、脳裏にあの時見上げた頭上の花火を思い出した。
この川で行われる花火大会は戦没者慰霊の鎮魂の花火だった。親父の親戚も多くが戦争で亡くなっているらしく、親父は花火大会の会場で手を合わせて黙祷していた。
俺は何となくあの時の親父と同じように震災の被害者を思い手を合わせて鎮魂を願った。
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