第138話 再生

 地震研究所への電話はコールがならずそのまま切れてしまった。研究所の固定電話の回線は4つある筈だけど全部塞がってしまっているらしい。今日は日曜日なので普段なら警備員しかいない筈だ。回線が全て塞がるという事は職員が出て対応しているのだろう。


 携帯から電話をかけてきていた研究所の原先輩のところにかけるとすぐに繋がった。


「梶原か!? 帰省させたのは分かっとるんやが、急いで戻って来れへんか!?」

「何があったんです?」

「梶原はニュースは見れる場所におるんか?」

「今は外に出ています」

「当たったんやっ! あの地震予測が当たったんやでっ!」

「そうですか・・・」


 当たった事自体は嬉しいけれど、被害の事を考えると複雑な気持ちになった。地震研究は、予測が出来ても、それによって被害を減らせる事が出来たという実感が無いと達成感が得られにくい仕事だ。データの解析や観測機器の設置など小さな達成感はあっても、実際に地震が起きて被害者が出たという話を聞くたびに、もっとちゃんと伝えられていたらと思わされてしまうからだ。


 以前カオリにこの事を話したら、「タカシも傲慢になったのね」と言われた。カオリは免疫不全系の病気の研究をしていて、既に画期的な治療法を発表していた。けれど世間に認めらず大規模な臨床試験に進めない事に、早く世に出さないと多くの人が助からないと葛藤をしたそうだ。けれどそんな事を悩む暇があったら、別の治療法の開発や、自分の出来る範囲で臨床試験の結果を残そうと考え、葛藤を飲み込む事にしたらしい。


「そんでお偉いさんから詳しい説明してくれと矢の催促や。あと研究所の電話は各所からの問い合わせでパンク状態だから繋がりにくいで、外と調整しとるワイか今和泉の携帯なら繋がるさかい、そっちに頼むわ」

「わかりました、新幹線で京都の方に向かえば良いですか?」

「あぁ、最速で来てや。領収書があればキッチリ精算するで。あとグリーンでも良いから座って飯も食っとくんやで? こっちは戦場だと思いや」

「分かりました」

「奥さんの立ち合いさせられんで悪いな」

「いえ・・・大丈夫です」


 お偉いさんの中には、俺に色々言って来ていた連中も入っているのだろう。

 事業仕分けが必要だと言い政府与党を追及していた野党は、そのやり玉の中に地震研究所の予算を上げていた。実際に、多くの予算を使っても成果があげられない事が多いのが地震研究だったし、バブル時代には伊豆諸島の神津島に地震研究とは全く関係ない職員の為の福利厚生施設が作られていた。そのため、地震研究所自体が無駄な公共事業を行う組織の代表と思われてしまったのだ。

 そして地震予測を不可能と断じている古い文献を持ち出し、大規模な観測機器の設置についてムダ予算だと言っていた。実績をあげても文献をたてに捏造と断じたのだ。

 特に他国の企業から多くの献金を受けている議員が、国境付近の海域に観測機器を設置し続ける事は、周辺国に緊張を強いると言って国会で追及をしていた。

 そして研究所の所長や次長が中央省庁からの天下りで、地震に関しての素人で、議員の勉強会や国会の答弁の為の助言と称して呼ばれた際に、かなりの詳細な資料作成して渡していたのにも関わらず、ちゃと相手に理解して貰えるような説明が出来ず、質問に対してもしどろもどろの回答をして、不信感を抱かれてしまったのも、追及を強める要因になってしまっていた。


 俺は家に入り、シンジとシズカの相手をしているお袋に、地震研究所に呼ばれたから戻らないといけないと言ったあと、客間に置いてある京都から実家にやってきた時の旅行カバンを取り出した。


「お兄ちゃん出かけるの?」

「あぁ、俺が予測していた地震が今日起きてしまったらしい、研究所からすぐに戻るように言われたんだ」

「そうなんだ・・・」


 ユイが寂しそうな顔をして立っていたので俺はお腹に負担がないよう優しく抱きしめた。


「すぐに戻って来るから」

「うん・・・」


 ユイは京都の体育大学を卒業後に俺達の卒業した高校の教師として採用された。体育大学にいる時は、日本代表に選ばれ国際大会に出場したし、多くの実業団から声がかかっていたけれどそれには応じなかった。ユイの夢はバスケの楽しさを教える高校教師になっていたからだ。


 ユイは卒業後に、俺やオルカが暮らしている京都ではなく実家のある街で暮らす事を決めた。元々ユイは母親と同じ立花の姓にこだわりがあり、結婚後も水泳部顧問のマダムのように旧姓の立花を通名として使用していた。大学卒業後に実家に帰り、母親の思い出のある家で暮らす、それがユイの中では俺の妹であるための大事な部分だったのだろう。

 お袋も義父もユイが同居する事を喜んでいた。俺もユイがそれを望むなら問題無かった。むしろ俺が世界中を飛び回り始めていたし、オルカも育児をしながら現役復帰に向けた練習も初めていて、家を明ける事が増えて来たので、寂しく過ごさせるよりずっと良いとおもっていた。


 1年と10ヶ月前からユイとは別居夫婦のような状態になっていたけれど、関係が冷めた訳では無かった。俺も武蔵府の方に出張する際には実家に立ち寄り。そして盆や正月に帰省した時にはユイとなるべく過ごした。


 ユイが高校に採用された時、女子バスケ部顧問をしていた旧姓小西である小森先生が妊娠し産休に入るタイミングだった。ユイは体育教師をしながらバスケ部の顧問となって働いた。楽しみながらバスケをするという趣旨のまま、県大会ベスト4、ウィンターカップ予選準優勝という結果を得ていた。日本代表クラスの選手だったユイが、練習に加わりながら教える事で、かなりのレベルアップになったようだ。


 けれどユイは教員2年目に差し掛かる春ごろに妊娠が発覚した。

 先にオルカが子供を授かった事と、俺と会える頻度が減った事で積極的に夜に迫ってくるようになり授かった感じだ。


「オルカ、ユイとタケルとサクラの事をお願い」

「うん、任せて、権田さんの所への挨拶もしておくから安心して」

「頼むな」


 初産のユイは色々心配が多いと思う。けれど実家にいるので周囲のサポートはバッチリだ。かかりつけ医となっているリュウタの家の息のかかった闇医者の所にもしっかりと根回しをしているし、そこには研修医としてカオリもいて、ユイに対して良く気を使ってくれている。オルカもユイの近くにいてくれているし。妊婦仲間であるシオリとも励ましあっている。サクラは無事に産まれてくれるだろう。


『大丈夫です』

(ありがとうな)


 スミスの憑依体の言葉に安心しながらシャワーを浴びて汗を流したあとスーツに着替えた。

 家の外まで送ろうとしてきたユイを制止して、もう一度優しく抱きしめて家を出た。オルカがタケルを抱き上げながら見送ってくれるなか、呼ばれて来たタクシーに乗って駅に向かった。


「兄さん背が高いね、何かスポーツしてるの?」

「えぇ、あの高校のバスケ部が全国優勝した時に選手してました」

「なんだ地元の英雄さんかい! 今日リーグ優勝をかけて試合をするんだろ? 兄さんも出るのかい?」

「俺はしたい事があったのでバスケは引退したんです。そっちは八重樫に任せて応援しています」

「そうかい・・・兄さんのガタイなら今でも現役に戻れそうだけどね?」

「仕事がオフィスワークなんです。今日休みだったんで少しバスケで遊びましたが、体が鈍って動かなかったです」

「あはは歳には勝てないってか?」

「そんな感じです」


 今日は今年開幕した男子バスケのプロリーグで、この街を本拠地とするエイリアンズが優勝を賭けて試合をする日だ。

 エイリアンズは、元々スミスケミカルコーポレーション日本法人の企業チームだった。しかし日本での男子バスケリーグが発足した事でプロリーグチームに昇格した。

 元々資金力が豊富だった事もあり、国内のプロバスケチームの中では一番選手の平均年俸が高いらしい。


 哀川が監督をしていて海野と大石がコーチをしている。キャプテン八重樫を中心にして地元出身の選手を多く抱えた編成をしていてかなり人気だ。

 俺と高校時代に一緒に全国で戦ったメンバーの中では、築地と望月と柚木と渡辺が選手として在籍している。現在リーグ首位を走り、今日の1戦を勝てばリーグ優勝が決定する所まで来ている。

 望月からチケットが送られて来たのだけど、こんな状況なので行く事が出来なかった。望月に電話で謝罪をしたあと、たまたま公園にベビーカーを押して遊びに来ていた旧姓佐々木の丹波夫人と旧姓篠塚の田村夫人の2人にプレゼントをして応援をお願いした。旧姓早乙女の八重樫夫人と仲が良く、高校の時も県内で開催される女子バスケの試合を観に来ていたし、行ってくれるだろう。


「運転手さん、ラジオつけて貰って良いですか?」

「はいよ」


 ラジオを点けると、競馬の中継が流れていた。そうえいば今和泉が重賞レースを楽しみにしていたな。親が馬主をしていて目をかけていた馬が出るらしい。時間があったら会場に行くと言っていたけど、原先輩の口ぶりだと京都にいるのだろう。


「ニュースをやってる局ないですか?海外で大きな地震が起きたでしょ?」

「地震?そんなものが起きたのかい?」


 運転手さんは赤信号で停車した時に、ラジオのボタンを押して局を変えてくれた。けれど地震の事を報じている局はなかった。


「やってないみたいだねぇ・・・」

「ありがとうございます、ラジオ消して大丈夫です」


 世界で酷い地震災害が起きていても、国内の事では無いためあまり真剣に受け取られないらしい。

 東日本大震災の時はテレビもラジオも津波の事を警告を流し続けていたし。翌日も震災に関する特別編性番組を続けていた。けれど今回東南アジアで起きた地震津波は、日本には影響ないものなので通常の1日が続くようだ。


 駅前につきタクシーから降りると、ラジオの無反応さと対照的に、クリスマスのイルミネーションの名残りがある駅前広場で、地元の新聞社が大地震に関する号外を配っていた。


「どうしてこうなった!」


 遠くから誰かが叫んでいるのが聞えてきた。津波の被害があった場所に縁がある人が号外を見たのだろうか。


 俺は仕事の関係で海外の震災が起きた場所に何度も行った事がある。瓦礫をかき分けながら「どうして見つからないんだ!」と叫ぶ男性を見た事がある。棺桶にすがりつきながら「どうして罪の無いこの子が死んだの!」と叫ぶ女性を見た事がある。

 こういう時は、どうしてとかそういうもので片付けられるものではない。けれどその理不尽な規模の被害について何かのせいにしたくなり、そういう言葉を叫んでしまうものなのだと知っていた。

 前世で起きた東日本大震災の時も多くの被災者も、どうしてと叫んだり心の中で自問をし続けたのではないかと思う。


 あんな大きな犠牲は起こしてはいけない。人が死なず、土地が汚染されなければ街は再生できる。近しい人が亡くならず、生まれ育った街が復興すれば「あの時は大変だった」と笑って言えるようになる筈だ。

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