第119話 家族との思い出

 

「じゃあ出発するわよ」

「「「お願いしまーす」」」


 水泳部のマダムが乗る車は可愛らしいコンパクトカーという奴だ。けれど助手席に乗せて貰い、シートを1番後ろに下げさせて貰えたおかげか、意外と広々としていて無駄に手足が長い俺でも乗り込むことが出来た。

 俺がシートを後ろに下げたので後部座席が狭くないかと思ったけれど、細身の坂城や小柄な相良には問題ないらしかった。

 席次的に相良が俺の後ろに座ることになった。そして車酔いしないという坂城がマダムが用意した地図を見ながらナビ役をしていた。


 マダムは日焼け防止用として長袖に手袋にニット帽にグラサンを付けていて、何処かへ銀行強盗にでも行きそうな見た目をしていた。ユイみたく日焼け止めを塗れば良いのではと思ったけれど、長距離運転の時は油断しないらしい。「私の歳になれば分かるわよ」というので気にしないでおいた。


 途中の駿河県あたりでお昼時間にするらしく食事処を聞かれた。俺が産まれたのは遠州県だけれど、両親の実家は駿河県の山間部にある。親父が死んだ後駿河県の平野部に移り住んでいたので街中であれば地理には明るかった。

 けれど食事処と聞かれるとそこまで外食をする家では無いので詳しい訳ではなかった。今住んでいる場所とは箱根の山を越えた差ぐらいしかなく、食べた後に「ごちそう様」か「頂きましたと」と言う差程度しか違いが無いと思うからだ。

 俺は実家に帰省する時に必ず寄るようになっている、ユイが大好きな地元では比較的有名なハンバーグのチェーン店を紹介した。


「何でハンバーグなの?」

「美味しいからとしか言えないけど」

「駿河らしい名物は無いの?」

「おでんとか?」

「何でおでんなの・・・」

「黒いはんぺんが珍しいらしいぞ?」

「他には無いの?」

「桜えびやシラスは今は時期じゃ無いけど冷凍ものなら・・・」

「他には?」

「冷凍マグロの水揚げが多いとか?」

「他には?」

「お茶とみかんが良くとれる」

「他には?」

「山芋が有名な古い宿場町がある?」

「他には?」

「銘菓がきな粉餅」

「他には?」

「もう思いつかない・・・」

「分った」


 坂城の「他には?」攻撃で俺の駿河グルメ情報が全て吸い出されてしまったため、俺以外3人が喧々諤々話し合う事となった。結果、俺のオススメするハンバーグチェーン店に行くことに決まった。

 マダムを含め全員が肉食系だった事と、マグロと山芋とおでんはどうも食指が動かなかった事が3人の話しぶりから察する事が出来た。

 桜えびとシラスは帰りにマダムが有名な駿河県の観光市場に寄る予定だから、そこで楽しもうと言うことになった。


 江戸時代から続く東海道沿いの国道をひた走る4人乗りのコンパクトカー。小さいのにパワフルなようで、箱根越えの山道も特に息切れする様子もなくどんどん進んで行った。

 残念ながらこの世界では、箱根の山を歌った有名な曲を作った人は生まれ無かったらしい。けれど箱根の山は何故か天下の険と言われていた。

 巨大な富士山を横目に見ながら今度は下り道の急カーブをタイヤをキュルキュル言わせながら下り始めた。


「電車でしか通った事ないっすけど、すごいカーブっすね」

「電車はトンネル抜けるから早いけど、こっちは山越えだから時間かかるんだよ」

「でも景色は最高っすね」

「今日は富士山に雲がかかって無いし余計にね」

「本当っす」


 下りのクネクネした道を抜けると、海岸線の近くを走る道に変わる。

 いつの間にか駿河県に入っているけれど、俺の住んでたのはもっと県庁所在地の駿府寄りだ。


 高速道路も並走するけどゆっくりと海を見ながら走ろうということになり一般道を進んでいった。


「なんか外が臭いな」

「ここら辺は製紙工場が多いんだよ、その匂いだと思うよ」

「こんな匂いなんか・・・」


 昔、このあたりの製紙工場から出る廃液が海をヘドロまみれにしたという事があったそうだけど、今は改善しているらしい。それでもこの工場の煙突が見えるあたりは匂いを結構感じる。


「田子の浦? どこかで聞いたことがあるな」

「百人一首じゃない?」

「あぁっ! それだっ!」


 ゆっくりとカーブした砂浜と、その先に見える富士山の対比が勇壮なため、昔の人がそれを歌ったらしい。

 相良も思い出したようで「田子の浦に〜」と一首そらんじていた。


 周囲の匂いがおさまったあたりの国道沿いに、俺達の家族が帰省の時に立ち寄るハンバーグ屋があったのでそこに寄った。


「平日の1時過ぎなのに結構並んでるんだな」

「国道沿いだし立ち寄る人が多いんだろ、夕方だといつも長い行列出来てるぞ」

「期待できそうねっ!」


 肉食系マダムのテンションが爆上がりしていた。店の換気扇から流れてくると思われる、肉が焼ける香ばしい匂いに本能が刺激されているのかもしれない。


 オススメは俵型のハンバーグで、ソースはデミグラスとオニオンから選べる。俺はいつもの通りオニオンソースでライスを注文した。


「僕が知ってるハンバーグの形じゃ無いね」

「この形と焼き方が名物なんだよ、ハンバーグのタネを作ってる工場から遠いと味が落ちるとかで三河と遠州と駿河と伊豆の北部にしか出店してないんだよ」

「チェーン店にしてはすごいこだわりだね・・・」

「家の近くに出店して欲しいけど、こだわりを聞くと難しいのかもな」


 俺以外の3人は周囲の客が美味しそうに食べているのをキョロキョロしながら見ていた。どうやらかなり待ち遠しいようだ。


 全員注文したランチメニューの俵型のハンバーグがやってきた。ソースも全員同じオニオンソースでライスを頼んでいた。


「肉汁が跳ねますので紙のエプロンをつけてください」

「はい」


 全員があらかじめ用意されていた紙のエプロンをつけたのを確認した店員は俺達の前に加熱された鉄板皿に乗った俵型のハンバーグを置くと、ナイフで半分に切って「お好みでソースをかけて食べて下さい」と言った


「中が生っすね」

「お気に召さなければ今からじっくり焼きにも出来ますよ」

「あっ大丈夫っす」


 店員がみんなの前にハンバーグを並び終え、ライスとスープを置くと。伝票を斜めに切った透明のプラスチック製の筒に入れて「熱いうちにお召し上がり下さい」と言って去っていった。


「さぁ熱い内に食べましょう」

「「「いただきまーす」」」


 ソースをかけると熱々の鉄板に温められジュワ~っという音と香ばしい香りが広がった。


「まぁっ!」

「めちゃくちゃウマいっす!」

「とってもおいしい!」

「うん、この味だ」


 どうやらみんなが満足する味だったようだ。


「たかがハンバーグだろと侮ってたよ」

「ここはユイが好きで、必ず帰省の時寄るのさ」

「この味なら分かるっす」


 最初に食べたのは、親父がまだ死ぬ前で、今では遠い記憶の事だ。家族で外食となった時の3回に1回はこのハンバーグチェーンだったと思う。

 親父が死んで外食で遠出する事が無くなり、お袋が再婚した後の帰省で久しぶりにこのハンバーグを食べたっけ。


「何か遠い目をしてるわよ?」


 1人だけ無言で食事をしていたマダムが、食べ終わったためか、最後の一切れの状態で手が止まっている俺の様子を訝しんで聞いてきた。


「この近くに住んでいた頃の事を思い出しまして」

「家族との思い出かしら?」

「えぇ、そんなものです」

「そう・・・」


 マダムは、新学期で姓が俺だけ変わったり、ユイと婚約したりしたので、ある程度の事情は察しているようだ。


「いやぁ、美味かったっす」

「また来たいな」

「試合会場のある街の近くにも、このチェーン店はあると思うぞ?」

「こういうのは間を開けて食べるから美味しいのよ」

「確かに毎日食べたら重いっすね」

「僕は明日でも食べたいかも・・・」

「坂城はハマったんだな」

「ホテルは朝昼付くけどお昼は自由だわよ」

「俺は遠州の名物が食べたいっす」

「あそこはうなぎが名物だったな」

「うなぎかぁ・・・」

「とりあえず出発しましょう」

「了解っす」


 会計を済ませて車を走らせていった。途中で先の道で事故による渋滞の電光掲示板が流れていたので、高速道路に乗って会場のある街に向かった。

 高速に乗ると猛スピードで目的地に近づいていったけど、防音パネルが視界を遮り、景色を見ながら楽しむというドライブでは無くなってしまった。

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