第115話 麒麟児と女傑(親分視点)
「やったぁ!」
「兄貴のスケはスゲェや」
「ここまでやるとは・・・」
儂らは坊の婚約者である水辺の嬢ちゃんの活躍をテレビの中継で見た。
身内びいきという事もあるが、ソファの背もたれに寄りかかりながら座っていたのに、いつの間にか前のめりになって手に汗握っていた。
こんな大舞台の本番にうまく力を発揮できない選手も多い中で、結果は800m自由形の世界新記録を塗り替えての優勝。400mの通過タイムも400m自由形のオリンピック記録を超えていたらしく、400m自由形でも金メダルが期待出来ると解説されていた。
日本人女子が五輪の自由形で優勝したのも、世界記録を達成そたのも戦後初の快挙だ。そして2種目以上の制覇となると初の快挙となる。
現時点で既に誰からも文句もつけられない完全なる優勝。400mも優勝となると、国、県、市それぞれ、メダリスト達の凱旋パレードと栄誉賞の授賞式への出席だけでなく、内閣から国民栄誉賞の授与と、皇家から紫綬褒章の授与も確実だろう。
今頃水辺のお嬢ちゃんを頼んでいるマネジメント会社の事務所は、企業からスポンサーの打診や、メディアから出演の依頼など、契約したい者共が電話回線をパンクさせている事だろう。
水辺の嬢ちゃんは、あの可愛らしい見た目と、時折抜けたような発言の通り天然の愛嬌があり、下手なアイドルより人気が出るとマネジメント会社から儂に報告がすでにあがっている。事前に各所に根回しをしないとメディアにいいようにされてしまう状態であるためかなり厳選した相手としか契約させていない。
実績を積む前に安価な契約を持ち掛けて来る相手は一切相手にせず、将来性を見越して水辺の嬢ちゃんを評価し、こちらの要望に沿える相手としか交渉すらさせていなかった。
最近、京都にある全国のキー局は、真面目に何かをしている相手を、お笑い芸人によって茶化す番組が流行っていた。そして半年ぐらい前から五輪出場候補の選手をターゲットにし始めた。
関西的にはそういうやり方の方が五輪を盛り上げられ、番組に広告も高値でつくらしい。けれどそういう冗談は、免疫の無い選手は本気で嫌がる事だ。そのため京都のキー局は最近多くの問題を起こしていた。
あるテレビ番組では陸奥出身の女子体操選手が、あるバラエティ番組に出て、司会をしていた芸人に方言をからかわれ続けた。その選手は出演後に試合会場で応援席からその司会者のからかった言葉を投げつけられるようになり、調子を落とす様になってしまった。
またある雑誌の記者は、女子テニス選手にセクハラまがいの取材をして訴訟を起こされるという問題を起こした。それだけならまだしも、他のスポーツ選手などにもセクハラまがいの取材をしていた事実が発覚し、別の週刊誌がもっと被害者がいると書きたて、多くの女子スポーツ選手がその記者に性的被害を受けたかのような噂が立てられる事になった。その結果無関係の女子スポーツ選手のイメージが棄損し、周囲から変な目で見られたり、五輪開幕直前に調子を落とす女子選手が続出してしまった。酷い話では、本人の落ち度が確認されていないのにも関わらず、婚約が解消されたり、スポンサーから外されたなんて事もあったそうだ。
多くの人の目にさらされる一流スポーツ選手は常に周囲からストレスに晒される。事実のある無しに関わらずそういうスキャンダルに該当する事が紙面に掲載されるだけでそのストレスが増大する。
水辺のお嬢ちゃんのように純情で赤面しやすい少女は、格好の餌食になる可能性が高い。だからマネジメント会社には決して生番組には出演させない事や、怪しい噂がある相手との共演や取材を受けたりしないよう、儂は念を押していた。
「それにしても坊の周りには人が集まるのぅ」
「そりゃあ兄貴の力です」
「儂も最近それを信じるようになって来たわい」
「親父は頭が硬ぇんだよ」
「儂も老いたかのぉ」
貫禄をつけるためこんな口調をしているけれど、儂はまだ40代で同業者の親分衆の中ではかなり若手なんだがのぅ。
国際競技大会で日本の選手が世界記録を叩き出して優勝するのは久しぶりだ。こういった日本人選手が大活躍をする事は非常に経済的な波及効果がある。子供に水泳をさせたいと思う親が増え、プールが盛況になり、スポーツウェアが売れたりする。
今頃日本水泳連盟や日本オリンピック委員会の上層部が算盤を弾いている事だろう。
それにしても坊の周りには驚かされっぱなしだ。
この前も総体の優勝報告にユイの嬢ちゃんと一緒に来た時も爆弾を落としてきおった。なんと京都の大学に合格したら田宮の道場に通っても良いかと儂に聞いてきおった。儂は思わず坊に「何処で知った?」と聞いてしまった。
坊は「男子バスケ部の後輩である田宮ジュンに聞きました」と答えた。
儂が聞きたかったのは、坊に何かしらの諜報能力があるのかと問いかけたつもりだったのだが、それは儂の早とちりの質問だったと分かった。
坊は田宮ジュンとは高校の部活の縁で偶然知りあっただけだった。儂の質問の意図とはズレた回答だったが、坊が独自の情報網を得ている訳では無いことが分かったので追求をやめた。
坊はいろいろ先を見通してるのかと思う時があるので、儂は思わず情報組織でも持っているのかと勘ぐってしまっていたのだ。
儂が勘ぐったのには理由があった。実は、儂が坊が京都の大学に行った時に、京都での世話を頼んでいたのが田宮家だったからだ。
田宮家は権田家にとっての西日本での最大の盟友だ。当主ゲンサイの息子であるソウジは、儂の親父の仲介で兄妹盃を交わしている。
田宮家の家格は権田より低くはあるが、門下生の質と数において日本有数で、権田家は遠く及ばない。儂にとっては最も太い皇族や公家とのパイプは、田宮家を経由したものだったりする。家格以上に強い力があるのが田宮家なのだ。
将軍家と繋がりについては権田家の方が圧倒的に上であるため軍指導部への影響力は儂の方があるが、田宮家は軍部に門下生を多数送り込んでいるため、顔の広さという意味では儂よりずっとあったりする。儂の親父が、儂と田宮ゲンサイの倅であるソウジに五分の兄弟盃を交わさせたのは、田宮家にそれだけの力があったからだ。権田家がいくら家格が高くとも、将軍家との強い繋がりを維持していなければ五分の盃にはならなかっただろう。
リュウタが産まれたばかりの頃、この街が大陸側の仮想敵国の支援を受けた勢力に執拗に狙われ、結果として儂の両親と妻が殺されてしまった。その時、田宮家から派遣された兵隊がいなければ儂やリュウタもただではすまなかった。
あの時まだ若造だった儂には動揺する配下を統制する力は無かった。けれどゲンサイ殿による大号令で招集した兵隊と、皇族や公家の工作機関への根回しがあったおかげで、大きな破壊活動を事前に察知し食い止める事が出来た。
それがあったから、親父が死ぬ前に繋いでくれていた軍や警察の上層部や、大陸のマフィアとのパイプによって街から相手組織の構成員を排除し、さらに手を伸ばして相手国の上層部に圧力をかけた事で、儂の縄張から手を引かせる事が出来た。
この国にとって重要な貿易港や空港や軍基地がある儂の縄張りが荒らされれば、国自体の治安がかなり悪化する事になる。その時は、儂は幼いリュウタを残し、白装束を着て公方の前に向かわねばならくなっていただろう。
田宮の本家の敷地には大きな離れがある。そして坊が志望している大学から非常に近い。あの家は、セキュリティという意味でも警備会社と契約している程度のマンションよりも格段に高く。坊を任せるのに最も適している。坊が頭角を現したとき、周囲を嗅ぎまわったり工作を仕掛けてくる輩は必ず出て来るので、そういった防衛は必要だ。
綾瀬の嬢ちゃんの母親は当主田宮ゲンサイの娘だ。現在直系の男子がおらず血が絶えそうなため、綾瀬の嬢ちゃんを叔父である田宮ソウジの養女にし、分家から優秀な婿を選んで迎えるという計画が進められている。
綾瀬の嬢ちゃんの婿候補筆頭として上がっていた名前が田宮ジュンだった。儂はそいつがどこにいる奴なのか兄弟分から知らされて無かった。それがまさかこの街の田宮道場の小僧で、既に坊の知り合いだったとは思わなかった。
けれど、いったいどこをどうつながれば、坊と儂の兄弟分の家が、儂を通じずつながるのか意味が分からなかった。
田宮道場は全国の主要都市に1つ以上あり、大政奉還の際にも田宮の分家は6つ認められていた。全国に多くの田宮の名を持つものが分散していたため、大戦の折にも田宮家は多くの後継者を残していた。そのため権田の分家である現田の様に、断絶した家がなかったそうだ。そのためソウジから田宮家の跡取り候補は日本中に数多くいると聞いていた。
儂は配下に命令し田宮ジュンの事を調べさせたのだがとても驚いてしまった。
田宮ジュンは半年前に行われた田宮流一門の内輪の腕試し大会で、空気銃を使った遠距離狙撃で歴代最高記録を出したそうだ。その結果、田宮家は分家としては家格が低く、さらに母親が側室で家格が低い家の出だったのにも関わらず、田宮宗家への入り婿候補となったらしい。
しかし田宮ジュンは学力はあの上位30位前後までは最難関大学の合格圏内という進学校で学年20位前後という坊並みの秀才だった。さらにこの夏の総体で2年生ながら得点王とMVPを取った事で、文武共に最も優れた婿候補と見られ並みいる他の候補者を押しのけ始めた。
兄弟分のソウジに聞いてみたところ、田宮ジュンは銃撃以外ではまだまだ未熟らしいが、銃撃の特に狙撃に関しては天賦の才があるそうで、既に婿養子にならずとも宗家の重要ポストに席が用意されるそうだ。
何でそんな好待遇なのかと尋ねたら、「分かるだろ」と言われた。「坊か?」と聞いたら「そうだ」と言われた。
ソウジは坊と面識がある。ソウジが儂の街の祭りに来ていた時に儂自身が坊を紹介したからだ。ソウジはその時に坊が只者では無いと見抜いていたそうで、ゲンサイ殿に報告していたそうだ。そしてその中に現れた自身の一門の中にいる高い才能を持つ坊の知人。田宮ジュンが婿養子筆頭になった決定打は、坊との繋がりだった訳だ。
この街の田宮銃剣術道場は儂の家から徒歩10分もかからない、この街の田宮道場の倅がこんな麒麟児だった事を儂は知らなかった。知っていれば田宮家が唾を付ける前に儂が田宮ジュンの確保に走っていただろう。
リュウタに聞いたら中学校が同じで、1つ下にいた後輩として覚えていた。成績上位の張り紙でいつも3位以内に入っていたそうだ。ただ他は目立たない小男という印象しか無かったらしい。リュウタはかなり人を見る目があるが、田宮ジュンは見逃されていた。
儂は田宮ジュンの才能は最近開花したのかと思い、田宮道場に通っている門下生相手への聞き取りをさせたら、その通りだった。そして「立花さんを真似したら1年でレギュラーになれた」とか「立花さんみたいなスピードとスタミナが欲しい」と言っていた事が分かった。
田宮ジュンは本人の才能も高いようだが、坊の影響によって才能を開花させた可能性が高い事がわかり、坊とは何者なのかと考えてしまう種が1つ増えた。
テレビで流れる水辺の嬢ちゃんのインタビューを見ているリュウタとシオリを見る。この2人も坊にいい影響を受けた2人だ。
テレビに映る水辺の嬢ちゃんを見ると、坊の婚約指輪を愛おしそうに、そして周りに見て欲しいとでも言うように胸の前に掲げている。この嬢ちゃんも坊によって力づけられ世界最高位の称号を手にしたように思った。
「リュウタ、坊の周りを急ぐぞ」
「周りって何をすんだよ」
「まずは坊と嬢ちゃんの関係者の保護だ」
「分かった」
坊の両親と妹、それと嬢ちゃんの祖母を確保しないといけない。嬢ちゃんの父親は海外だし、坊の祖父母までは結婚前だし取材はしないだろう。
あとは、ご近所さんに迷惑かけないように、報道関係者への釘刺しだな。
「それと坊に下駄を履かせる」
「あぁ?」
「坊はすげぇが家格も実績も足りねぇ、国家の英雄になった水辺の嬢ちゃんの相手には世間体が悪い」
「兄貴は既にスゲェでしょ」
「そんな事はわーってるんだよ! ただ世間は知らねぇし聞いても理解出来ん」
「見る目ねぇなぁ・・・」
「お前の見る目が良すぎんだよ!」
これは本当にそう思っている。何であの日の坊を見てリュウタがあそこまで慕ったのか、儂でも不思議に思っているからだ。
リュウタの周りにいたチンピラ共と思っていた奴らは、いつの間にか儂好みの義の厚い奴らばかりに育っていた。中には今どき見かけねぇ程気合の入った奴もいやがる。
リュウタの人を見抜く才能と、慕われる才能は天性だと儂は思っておる。人の繋がりを大事にする儂らの世界でこの才能は非常に大事だ。
それが悪い方向に向かいそうだった所を坊と深く接する事で修正できたのは、親のひいき目抜きでリュウタの才能だと思っておる。
「坊の実績はこれからついてくる、だがやっかみで潰される可能性はある、だから作るんだよ、家格という防壁をな」
「分かった・・・」
「幸い坊の実家は駿府の松井と遠州の梶原だ、どうとでもなる」
「確かに・・・」
駿府で松井といえば三河の松平に縁があり、幕府の弓術指南役を排出した事もある家柄だ。今では銃の発達により弓兵は無くなってしまったが、精神修行のための武道として残り続けている。
梶原は源氏の頭領に真っ先に臣従した名家で伊豆の宇津木が認めれば、源氏の頭領に従った梶原家の末裔だと言える。梶原家は鎌倉に幕府が置かれた時期の勢力争いの結果駿府で族滅したというのが定説だが、遠州まで落ち延び山岳部で生き残ったという説がある。まさにその山間部で梶原の姓を持っていたのが坊の実家で。家格を創作するのに充分過ぎる状況を持っていた。
「まずはアラがねぇように下調べだ、そして戸籍の修正、伊豆の宇津木と三河の松平への根回しだ」
「了解」
儂はもう一度リュウタをギロっと見つめて告げる。
「この前聞いた田宮ジュンの事は覚えているよな?」
「あぁ」
「奴は田宮本家に婿入りする、お前と坊と3人で盃を交わせ、坊が長兄でも良いが今度は5厘下りまでだ、異論は許さんぞ」
「っ!?」
儂の眼力も最近はリュウタに効きづらくなっていたが、今回はかなり気を込めたのでなんとか効いたようだ。だが儂の腹心たちでも屋外だろうとその場で失禁するぐらいに込めたが、目を見開き肩が震える程度か・・・。そしてシオリが少しリュウタに寄っただけで落ち着きやがった。
「お前のシオリも綾瀬の嬢ちゃんと姉妹の関係になる、それが良いだろう・・・」
「ありがとうございますっ!」
儂にプレッシャーをかけてくるか、既に中々良い眼力を持っていやがる、女にしておくのが勿体ないぐらいだ。シオリもいつの間にか末恐ろしい嬢ちゃんになったものだ。
シオリの姉貴分でもある綾瀬の嬢ちゃんは、自身の能力が周囲から飛びぬけていた事もあり、自身に見合う何かを常に欲していた。だから儂は母親が出奔により捨てた田宮家という家格を綾瀬の嬢ちゃんに与える事が出来ると伝えた。
この話はかなり前にソウジから話は来ていた。ただのお嬢ちゃんには荷が重いか、それとも力を得て暴君になる可能性があると思い、儂は綾瀬の嬢ちゃんを見定めていた。そして充分家格に耐えられる品格を持つ女傑だと分かったので提案をした。
綾瀬の嬢ちゃんはすぐには受けなかった。受けると回答があったのは儂が提案してから約2月後である去年の正月の日事だった。受けた理由は自身の夢と坊の進む道を手助けする道の両方を欲したためだとリュウタから聞いた。儂は兄弟への義理を果たせたという気持ちと、あの女傑をそこまで心酔させる坊を恐ろしく思ってしまった。
儂は親の贔屓目抜きにしてもリュウタは麒麟児だと思う。頭の出来は儂に似てそこまで良くないが、カリスマという点では儂より上だ。権田流の腕前でもまだ負けんが若い頃の儂よりはずっと上だ。
そして坊は間違いなく麒麟児だ、学業の成績だけでなく、先見性があり、儂が気を抜くと失禁しそうになるほどの迫力を纏う時がある。
そして今回、田宮ジュンという麒麟児が坊の周りにいる事が分かった。
リュウタの婚約者であるシオリは儂でも底が見えない女傑になっている。
坊の婚約者である水辺の嬢ちゃんは世界最高位の称号を獲得した女傑だ。
そして田宮ジュンを婿として迎える綾瀬の嬢ちゃんも底が見えない女傑だ。
麒麟児と女傑が坊を中心にして結ばれている。儂はこれを偶然だと思わない。これは必然。坊達は日本の神風で、水辺の嬢ちゃんの快挙はその始まりでしかないのだと儂は確信していた。
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