第109話 クリームシチュー(オルカ視点)
「頑張って来いな」
「そっちも頑張ってね、あとユイの応援もお願い」
総体の期間は続くけど、水泳のプログラムが終了しているため水泳部員はマイクロバスで先に戻ることになった。けれどタカシは男子バスケ部に合流するため残る事になっている。
「坂城も部を頼むな」
「うん、合宿でね」
坂城君は総体終了で部を引退する予定だったけれど、1500mの入賞した事で調子をあげたのか400mで国体の標準記録を超えた。「受験に影響出ちゃうなぁ」と言っているけれど顔はとても嬉しそうだった。国体では1500m自由形の種目は無いけれど、もしあったらそちらでも国体に出れたと思う。坂城君は現在伸び盛りだ。競技者として未練があるように見える。タカシのようにココまでと決めている訳では無いので、大学にいっても選手として頑張るのではないかと思う。
水泳部の総体での成績は、私が400mと800m自由形で優勝。タカシが100m自由形で優勝、100mバタフライで7位入賞。坂城君が400mで4位と1500m自由形で8位だ。相良君も100m自由形で4位に入賞し国体の標準記録を超えていた。けれど200mは予選でフライングしてしまい失格していた。
他にも男子はフリーリレーで5位入賞。メドレーリレーで予選15位という結果を出した。
私は家に戻ったあと、翌日にはオリンピックの日本選手団と合流する事になっている。
タカシと坂城君が言っていた「頑張れ日本」をやるためにキエフ・ルーシー国の選手村に入るためだ。時差が7時間もあるそうなので競技前に体を慣らしておく必要があるし、会場となるプールにも慣れておかなければならない。国際大会というのは、総体や国体のように前日に入って即試合みたいなものでは無いからだ。
「頑張れ!日本の水辺!」
「水辺先輩応援してますから!」
「テレビ越しだけど念を送るっす」
「日本では試合中が夜中だし、あまり夜更かししないようにね」
「大丈夫ですよ、夏休み中なんですから」
「こんなに肌焼いておいて、今更お肌の大敵とか無いぞ〜」
「君たち受験生じゃ無いからって余裕だよね」
「そうですよ、リアルタイムで応援するのは俺等に任せて下さい」
「坂城さんには、俺が朝一で結果報告するっす」
「坂城君だけ可哀想・・・」
学校ついたあと総体に出場した水泳部メンバーが私のオリンピック選手での活躍を応援すると言って見送ってくれた。
部を引退する予定だった坂城君は大変そうだ。彼は地元の国立志望でボーダーは超えているそうだけど油断は出来ないらしい。
共通1次試験の点数配分が結構高いそうなので、マークシート式の問題を解くことに慣れないといけないそうだけど、受験をしない事になった私にはもう永遠に分からない悩みになってしまった。
「水辺さん、立花君に夏休みの課題のコピーを渡すように言っておくから」
「うっ・・・」
こっちの悩みはまだ終わらないらしい。
例年水泳部のみんなで合宿で手伝って貰ったけど今年は合宿に参加できない。3年後で引退しないのはタカシと坂城君だけだ。そして二人はいつも合宿前に課題の殆どを終わらせている。
「今年は白紙で出しても仕方ないって許されそうだけどね」
「文武両道をうたってるしどうかな」
「日本の水辺を退学や留年にするような事はしないと思うよ」
「だ・・・だよねっ?」
「でも居残りで課題やらされたりとかはしそうかも」
「うっ・・・」
坂城君のツッコミは優しいけれどいつも的確だ。
みんなと別れる時に、あの楽しい合宿に参加出来ないんだと思ったら悲しくなった。みんな1日中泳いでクタクタなのに、夜は夏休みの課題を手伝ってくれ、終わったらその後の夜の花火をする。
去年はサッカー部も参加して、さらに校舎で肝試しをやった。
本気モードの脅かし役のサッカー部員に本気で腰を抜かす人が出てたっけ。確かトドのような体型の般若が出たと言いながらガタガタ震えて凄かった。私とタカシのグループには現れなくて残念だったけど是非見てみたかった。
「水辺さん、気を付けて行ってくるのよ」
「はい、相澤先生、合宿をお願いします」
「任されました」
私と立花君と坂城君は部長と副部長の座を既に2年生に渡している。3年生は女子が6人と多数だったけど、2年生と1年生は2人ずつと少数なので料理担当が大変だと思う。去年男子で料理が出来たのって立花君だけだったし、負担が大きくなるはずだ。
なんか合宿でみんなで作ったカレーが食べたくなったな・・・。
そんな事を考えていたのでお腹がグーっとなってしまった。
途中で高速のパーキングエリアで軽く肉うどんを食べただけなのでお腹が空いているようだ。
「じゃあ日本の水辺、行ってまいります!」
私はお腹の音を誤魔化すように、大きな声で言ったあと、家に向かって歩いた。
何故か5人の水泳部員たちが万歳三唱したあと敬礼で見送ってくれた。
文化祭に向けた練習帰りと思われるギターの入った容器を背負った軽音部員がギョッとした顔でその集団を見ているけど、怪しいものじゃ無いからね。
学校の門を曲がる時にみんなに手を振って、そのあと、家まで少し小走り気味にかけて帰った。旅行用の大きな肩掛けカバンが少し重いけど、なんとなくそんな気分だったのだ。
私はお婆ちゃんの家に近くで、タカシとユイの家の方を見てしまう癖がある。どちらかの部屋に人の居る気配がすると安心するのだ。
今日は当然誰もいないので気配を感じない。今の時間はユイ達が2回戦をしている時間だ。タカシも会場で応援しているだろう。
「ただいま」
「お帰り、楽しかったかい?」
「うん楽しかった」
「それは良かったねぇ」
お婆ちゃんは決して勝ったか負けたかを聞いてこない。楽しかったどうかだけを聞いてくるのだ。
「明日も出るんだろ?汚れ物は出しといてくれれば片付けとくから、ご飯を食べてゆっくりお休み」
「うん、お腹ペコペコだよ、今日は何?」
「肉じゃがとナスのお浸しを作ってあるよ、あとはいつものものが冷蔵庫にあるからね」
「肉じゃが楽しみ」
「それは良かったよ」
外が暑すぎるからか、公園で遊んで居る子供は居なかった。お婆ちゃんの店にもお客は居ない。でもお婆ちゃんはずっと店にいて誰かがやってくるかもしれないと待っている。
部屋に入るとムワッとした熱気が籠もっていた。ベッドの脇にいるぬいぐるみのペン太郎や机の横のドルフィーも心無しかへばって居るように見える。
「ほら金メダルだよ」
今回また2つのメダルを手に入れた。それをお母さんの写真に見せてから収納箱の奥に仕舞う。もうこういったものは沢山ありすぎて置き場所に困っているのだ。
私はお母さんを写真でしか知らない。私が物心つく前に死んでしまったからだ。だけどお婆ちゃんの子供だからとても優しい人だと思っている。
ユイのお母さんはとても優しい人だった、だからユイのお母さんが死んだ時ユイが泣いているのを見て私も一緒に泣いた。
ユイの新しいお母さんもとっても優しい人だ。どことなく前のお母さんに似ている気がする。そして私とタカシとユイの歪な関係を認めてくれた。
私の新しいお母さんだという人は良く分からない。言葉が通じないしなんか偉そうだった。お父さんはその人との生活の方が大事らしく2人でアメリカに行った。私と死んだお母さんより、その人をずっと前から選んでたんだと分かった。
アメリカの大学の話も私のためになる話とは思えなかった。今まで私は、お父さんの会社にいる人がお父さんを優しい人だと言っていたので、私もそうなのだと思っていた。けれど、タカシやユイの家族を見て、私をお婆ちゃんの家に置いて行ってしまうお父さんが優しい人だと思えなくなっていた。家族は身近にいて支え合うものだと思ったからだ。
お父さんは遠い所で、私に何も知らせず再婚してお母さんを捨てた。そしてお婆ちゃんの家に捨てた私を自分の都合でアメリカの大学に売ろうとした。
私はお父さんの写真を全部捨てている。お母さんと一緒に写った写真もお父さんの部分だけ切り捨てている。
私はタカシの婚約者だ。父親はタダシさんで母親はユイカさんで妹はユイになる。実の肉親はお婆ちゃんと写真のお母さんだけで良いのだとタカシと婚約した日に決めた。
お婆ちゃんは私がそんな事している事に対し、悲しそうな顔をしながらもそれを咎めては来なかった。お爺ちゃんの仏壇の上に掲げられているお母さんの遺影を時折見ながらお線香をあげて、そして元気な顔になったあと、お母さんが中学生の時から結婚するまで料理番組を見ながら書いていたというレシピノートの一冊を取り出して来て、それを見ながら私とクリームシチューを作った。
「あの子はどうやってあの味を作ったのかねぇ?」
「美味しいけど何か変なの?」
「あの子が私の料理がいつも同じでつまらないと言い出して最初に作ったのがクリームシチューだったのさ。最初は酷いものだったけど結婚前は上手に作っていたよ。でもあの子が作った味は、あの子の残したノートを見て作っても同じにならないんだ」
「そうなんだ・・・」
私はお母さんが中学校の時にクリームシチューを作った理由が少し分かる。お婆ちゃんの料理は基本的には似たような味付けをしていた。
遠足や運動会の時は給食が無いためお弁当を持参する事になったけれど、他の人のお弁当がブロッコリーやプチトマトや卵焼きや赤いウィンナーやチキンナゲットにケチャップやマヨネーズが添えられていて鮮やかなのに、お婆ちゃんのお弁当は昆布と海苔のご飯に焼いた魚の切り身に煮物という感じの、開けた瞬間に茶色いと思うお弁当で何か恥ずかしかった。
中学校の時にお父さんが一時的に日本にいたためお婆ちゃんの家から離れた時に無性に食べたくなるようになった。そして今は立花の家におすそ分けでお婆ちゃんの料理を持って行くと美味しいと言って褒めて貰える事もあって誇らしく思うようになっていた。
今日、お婆ちゃんはお母さんの味を私に教えようと思ったのだと思う。出来なくて落胆しているけど、私はそんな必要は無いと思った。
「私にとって思い出のクリームシチューはこの味だよ」
「そうかい・・・」
私にはお母さんの記憶が無いけれど別に良いのだ。私には、いつも優しいお婆ちゃんと、常に写真の中で笑って迎えてくれるお母さんがいるこの家が故郷で、既にお婆ちゃんの料理が私にとっての母の味だ。お婆ちゃんがお母さんを思いながらお母さんが作った料理を作ったのなら、実際のお母さんの味と違っても私には何も変わりはしない。
会う時だけ家族のフリをしてくる父親と、言葉も通じないくせに仕切ろうとして指さし命令してくる義母のいる家を私は故郷とは思わない。お婆ちゃんの料理は、あの人達が食べている、家政婦の作る冷凍食品ばかりの料理やケータリングを並べただけの料理とは違う、家族がギュッと詰まった暖かい料理だ。
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