第96話 携帯電話

 ホワイトデーの日、俺は綾瀬にクッキーの詰め合わせを贈った。 カバンに入る程度の大きさだと思うけど、入らない可能性も考え、紙袋を付けておいた。


 俺に対する悪い噂は流れ続けたけど最近おさまりつつある。

 悪い噂を流していた主導者は、オルカの非公式ファンクラブの会長だった、隣のクラスの男子生徒だったそうだけれど、俺が全然気にする事なく無視を続けた事で業を煮やしたらしく、体育の授業中に親分から下賜された小刀を盗んでしまった。 その事がきっかけで大事になり、彼は学校から去ることになった。


 俺は体育の授業や部活の際は、学校指定の施錠の出来るロッカーに小刀を入れ保管していた。

 しかし俺が体育が終わりロッカーをみると、工具か何かで鍵を壊されていて小刀が持ち去られていた。

 俺はすぐに担任に連絡すると、担任はすぐ校長に報告。 さらに理事長から権田の家に連絡が行き、権田の若い衆達が学校にやってきた。


 権田の若い衆達は、何やら機械を取り出し調べ始めた。 俺は知らなかったけれど、実は小刀には小型の発信器のようなものが取り付けられていたらしい。

 小刀は定期的に専門家に預けて鞘やハバキなどの整備を受けていたのだけれど、その際にきっちりと発信機の部分もメンテナンスされていたらしく、すぐ信号をキャッチされて所在が判明した。


 信号の発信源は犯人の施錠出来るロッカーからだった。俺のロッカーから小刀を盗んで、すぐに自分のロッカーに入れたようだった。


 犯人は最後までロッカーを開けるのを拒絶していたけれど、元々ロッカーは学校からの貸与品だ。だから校長立会のもと合鍵によってすぐに解錠される事になった。


 ロッカーの中には、小刀だけじゃなく、俺のロッカーの鍵を壊すために使ったと思われる工具と、オルカに近づいた男達を脅迫するためのネタをメモしたらしいノートや、オルカの私物が数点見つかった。

 オルカの私物は鉛筆や消しゴムや髪を縛るヘアゴムやロッカーに貼り付けられている名前のタグや弁当の箸などの小物で、大した価値があるものではないけれど、愛着を持っていたものもあったので、無くなった際は俺も一緒になって探していた。だから見た瞬間にすぐにそうだと気が付く事になった。


 学校は犯人と確定した男子生徒の両親を呼び出し、自主退学を申し出てくれなければ警察沙汰にして強制的に退学にするしか無いと伝えた。

 俺はその場に被害者として立ち会っていた。

 俺は被害届を出さないつもりだったけれど、学校の部品が故意に壊された事と、親分から下賜された小刀が盗まれたという意味を知っているので、口を出す事はしなかった。


 犯人の両親は、子供の小さな出来心なのに処分が重いと最初は苦情を述べていたけれど、小刀の正体を聞いた瞬間に顔色を青くして平身低頭して犯人の男子生徒を自主退学させる事に同意した。


 犯人となった男子生徒の親は、校長が差し出す退学の同意書を受け取ったあと、俺達の前で犯人である息子を殴り飛ばし、その腕を引っ張って学校を出ていった。


 あの小刀を盗むというのは権田の家に泥を塗る行為だ。 だからあの家族はもうこの街で暮らす事は出来ない。 すぐに家を引き払って街から出て行く姿勢を見せないと命に関わるレベルの事だ。

 犯人の親がこの街で働いてなくても、近隣の企業なら影響を恐れて間違いなく解雇してしまう。

 そして家族は街に居る間は常に見張られている様な状態にされる。

 俺がリュウタの舎弟達と揉めていた時、駅前の方に行くと誰かが駆けつけて来た、あれが桁違いの規模で行われる様な感じになるのが権田の家に泥を塗るという事なのだ。


「立花君、これで良いだろうか」

「私としてはこれ以上大事にする気はありません、彼らが私の周囲に現れなければ問題しません。 あとは義憤を持たれているものと思われる権田様と、損害を受けた学校の意向にお任せをするつもりです」


 俺は校長の問いに対しそう答えた。俺個人でどうにか出来るレベルでは無いのだ。


「分かった、あとはこちらの方々と我々で調整する、教室に戻りなさい」

「はい、失礼いたします」


 今回の事には何の感慨も抱かなかった。 犯人とその家族は、随分と高い代償を払うことになったけれど、こういう理不尽は前世にも普通にあった。


 バブル崩壊直後には突然の解雇されたり、銀行の貸し剥がしで会社が潰れるなんて事は普通にあった。

 警備会社のアルバイトに来ていた初老の男性はそうやって倒産した会社の元経営者だった。

 運送会社のバイトの年下の先輩は、親が手を出していた不動産取引による赤字で借金が膨らみ一家離散、自らも学校を中退して路上生活したあとここで働くようになったと言っていた。

 俺も会社が倒産したあと、定職を探すも見つからず、公園でボーっと過ごした日の方が、今の彼らより行き先は無い状態だったと思う。

 犯罪者としてレッテルさえ貼られなかったら、バブル前の今ならやり直すことは可能だと思う。 今回警察沙汰にしていないのだから、遠く離れた街から再出発は普通に出来る筈だ。


 不幸は、落差の大きで感じる傾向がある。彼らが今回どれぐらいのものを失っていくかは分からない。 彼らがこの街から去る際に持ち出せなかったものが大切であればあるほど強い絶望感に襲われるだろう。

 けれど残されたものがゼロになってしまうという事はない筈だ。 貯金はあるだろうし健康な体があり、大量の求人募集がある。

 それならば、明日への希望すら持てないという路頭迷う状態にまでは落ちないのではないかと思っている。


---


 オルカはロンドンで行われた世界選手で400m自由形で8位に入賞、そして800m自由形で3位に入賞してメダルを獲得した。 これで間違いなく春の園遊会に参加する事になる。


 オルカが帰国し、終業式が行われ春休みに入った。 そして3月の末日俺は17回目の誕生日を迎えた。


「タカシ君、お誕生日おめでとう」

「「「おめでとうっ!」」」

「ありがとう」


 ユイとオルカからは衝撃に強いとCMで流れている腕時計を貰った。 女子高生がプレゼントするには高い買い物なので、共同で買うことにしたそうだ。


 お袋と義父から誕生日プレゼントとして携帯電話を貰った。 白い折り畳み式の携帯電話だ。契約金や機種代など丸々入れると結構な値段になる。 通話料は大学入学まで出してくれるらしいので有り難く頂戴した。


 実はオルカが最近携帯電話を手に入れていた。 オルカは世界選手権での実績から、来年から京都のスポーツウェアを作っている繊維会社の実業団に入団の契約を交わしていて、その過程で携帯電話が必要になったそうだ。


 実はオルカには様々なところから取材の申し込みやスポンサー契約の話が舞い込んでいたらしい。けれどただの女子高生にそういった交渉が出来るものではない。 そのため権田の親分が手配した弁護士事務所が仲介に入って、さらにマネジメント会社と契約することで話をまとめていく事になった。

 企業側からオルカに直接契約が持ち込まれる事はなくなったけれど、弁護士事務やマネジメント会社と連絡を取りやすくするため携帯電話の所持をお願いされて契約する事になったため、オルカも水色の可愛い携帯電話を持っていた。


 お袋と義父は、婚約者が携帯電話を持ったのなら持たせなければと考えたらしく、誕生日のプレゼントと言って俺に手渡して来たと言うことらしい。


「私も携帯電話欲しい!」

「ユイにはまだ早いだろ」

「仲間外れなんていやっ!」

「ポケベル買ってあげるから我慢しなさい」

「お父さんもお母さんも持ってるじゃない!」

「私と義母さんは会社から持たされているだけだぞ?」

「私だけ持ってないないなんて嫌ぁ〜」

「聞き分けなさい!」

「私にも買って買って買って買って!」


 ユイが床に倒れてバタバタと暴れて泣き出してしまって収拾がつかなくなっている。 どうにかしてやりたいが、俺には携帯電話を買って維持する財力は無い。 だからお袋にどうするのという目を向けるしか無かった。


 結局俺の携帯電話はユイと共同で使用する事になった。 その代わりユイは9月の両親からの誕生日プレゼントは無しだと言われてしまっていた。


 俺は大体ユイといることが多いし使う用事が無ければユイに貸しっぱなしでも良いと思い了承した。


 そんな一幕がありつつも俺の大好物であるお袋が作ったエビフライとハンバーグとマカロニグラタンの並ぶ誕生日は楽しく過ぎていった。


 あとで義父から聞いたところによると、ユイには高校卒業のタイミングで携帯電話を渡したかったそうだ。

 俺にもそうしたら良かったのにと言ったら、俺に携帯電話を所持させる事は親分さんからのお願いもあったからだったそうだ。 親分さんから直接お金を貰っている訳では無いけど、義父は親分さんの縁者という扱いもあり昇進したそうで、それに応じて給料も上がっているらしく、その程度のお願いなら安いものだったらしい。


 どうやら俺の知らないところでも、親分の影響が義父の仕事にも及んでたんだと、初めて知った誕生日となった。

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