第93話 義理
今日はバレンタインデーだけど、オルカがマニラで行われるアジア大会に行っているため貰えない。
「はいチョコレートよ」
「えっ?」
「色々お世話になっているから、義理だけどね」
「まぁそれは箱を見れば分かるけど・・・」
ホームルームが終わり放課後の帰宅となったタイミングの教室で、綾瀬が俺にチョコを渡して来た。俺と綾瀬は教室では委員長と副委員長という程度の付き合いしか無いと思われているので、このプレゼントはクラスメイトにどよめきを生じさせていた。
「サッカー部には全員チョコをあげてるからついでよ」
「有難く貰うけど綾瀬が俺にくれるなんて意外だな」
「あなたにとってはそうなんでしょうね・・・」
「まぁ有難く頂戴するよ」
「えぇ」
この綾瀬の行動は完全に晴天の霹靂だった。だって俺は綾瀬のパートナーだとしたら逃げると言った人物だ。そして綾瀬も俺がそれを言った理由について理解を示していた。
「立花君、どういう事?」
「俺にも分からないけど・・・もしかして真田は綾瀬狙い・・・って事は無いか」
「そんな事を考えた事は無いけど、あの綾瀬さんがサッカー部以外の誰かにチョコを渡すなんてすごい違和感を感じるんだよ」
「でもこのチョコを見なよ」
「義理ね・・・だけど去年サッカー部が貰ったのってリボンが巻かれただけの板チョコだよ?」
「随分違うな・・・」
「うん・・・義理とマジックで書いてあるシールが貼られているだけで、ちゃんと包装されてるプレゼント用のチョコだよね」
「本命に渡し損ねたけど、捨てるのも勿体ないから義理と書いたシールを貼って俺に渡したとか?」
「なんで立花君?」
「委員長と副委員長だから・・・」
「1年の時の僕は貰って無いんだけど?」
「そこは良く分からない」
1年の時、入学試験の成績順で委員長と副委員長が決められたため、男子1番だった真田は副委員長をやっていた。
「立花くん・・・明日から大変だよ?」
「やっぱりそうなるか・・・」
「うん・・・」
「俺には婚約者がいるんだが・・・」
「そうだね・・・」
綾瀬にも非公式ファンクラブが存在する。 他のファンクラブに比べてかなりの人数になるため統制が弱い方のファンクラブらしい。 流石に親分から贈与された小刀を抜くような事態にはならないと思うけど、悪い噂が多発する可能性は大いにあった。 海外にいて知りようが無いオルカはともかく、ユイに悪い影響が無いと良いけれど・・・。
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放課後、男子バスケ部対女子バスケ部の練習試合が行われる事になった。 男子バスケ部は、俺が水泳大会に出て出場出来ないという状況を見越した編成をしていた。 そのため俺は、部員達の飲み物を学食まで買いに行った。
俺が体育館に戻ると、ユイが選手交代させられていたようで俺に近づいて来た。
「何か暗いな」
「お兄ちゃん綾瀬さんからチョコ貰ったんだって?」
「もう耳にしたのか、早いな」
暗い顔のユイに元気を出して貰おうと、俺はユイにスポーツドリンクのペットボトルのキャップを外して差し出した。
ユイはグビッと一口飲んだあとペットボトルを俺に返して来た。
「なんかお兄ちゃんの噂が色々されてたよ」
「へぇ・・・どんな?」
一口で結構飲んだなと思いながら俺もスポーツドリンクを飲んでいると、ユイは俺の噂を一気に話し始めた。
「お兄ちゃんがヤクザの息子だとか、綾瀬さんの弱みを握ってるとか、綾瀬さんの妹を監禁しているとか、オルカちゃんもそうやって騙しているとか、実は真田君が本命とかだよ」
「ブッ!」
「うわっ! お兄ちゃん汚いなぁっ!」
「何だその噂はっ! 真田が本命っておかしいだろっ!」
「それは古関先輩が・・・」
古関か。 彼女はゲームでの文芸部のヒロインだが、オルカの中学校時代の友達で、オルカが持つ怪しい本や漫画を布教した人物だったらしい。 最近はユイもそれに感化されていて、おかしな性癖を俺に暴露するようになって来た。
「真田は男だぞっ! 俺にそんな趣味は無いっ!」
「そうなんだ・・・」
なんで残念そうな顔をする。
「他にもかなりおかしい事言ってるぞ? 綾瀬に妹なんていないだろ?」
「シオリちゃんの事じゃない?」
「・・・なるほど・・・」
確かに俺は権田の親分とあっちの世界的には義理の親みたいな関係だし、綾瀬の母親の件は微妙に弱みと言えるし、武田の妹は親分の家に居るし、オルカの弱みは・・・無くもないな。微妙に掠っている噂ってところがミソなのかな。
「はぁ・・・そういうのは無視すれば良いだろろ・・・」
「良いの?」
「本当の事を言うわけにもいかないし、噂好きの奴らは自分の信じたい方にしか話を聞かないからな」
「そうなんだ・・・」
「それより今日はオルカの中継を見ながら応援する方が大事だよ」
「それもそうだね!」
今日はオルカが得意種目の方では無い、400m自由形の予選が行われる。最近記録が伸びてきているので、少しでも後押しになるよう念を送っておきたい。
「勝利のキスもしたんだし大丈夫だよ」
「あれはしたんじゃなくされたんだぞ?」
「確かにその通りだけどお守りって意味では同じだよ」
「そうなのか?」
「うん」
マニラに出発する日本選手団と合流する日、駅まで見送りに行ったのだけど、駅の改札に入る直前に抱きつかれてキスをされてしまった。
前世で全く経験が無いわけではないけど、こう突然に相手からというのは初めてでうまく反応出来なかった。
ワタワタとしてしまって、去年武田の妹に抱きつかれて同じくワタワタしていたリュウタを笑える立場では無くなってしまった。
オルカも初めてだったのだろう。ガチンとぶつかるように合わせたため、歯によって唇の後ろが切れて血の味がしてしまった。前世でファーストキスはレモンの味だとかイチゴの味だとか聞いたことがあったけれど、今世の俺の場合は血の味だったようだ。
ちなみにユイとは帰宅後に腫れて来てしまった唇の裏を自宅の洗面台の鏡で見ている時に、見せてと言われて屈んだ時に抱きつかれて同じ様にガチンとされてしまった。
唇の裏がさらに腫れ上がり、その日の夕飯のブリの煮付けが染みて痛かった。
「ほら監督が呼んでるぞ、休憩は終わりだ」
「はーい」
ユイは俺と元気そうに話している様子から、女子バスケ部の監督から休憩は充分と思われたようで呼び出された。 現在男子バスケ部がユイが休憩している間に逆転を果たしていたという理由も大きいとは思うけど。
試合はユイが入った事で流れが変わり、女子バスケ部が勝利して終わった。
「くぅ~、お前の妹とジェーンが揃うと手に負えないぞっ!」
「立花が抜けてもいい線いってると思うけど、あの2人はなぁ・・・」
「立花がポイントガードの時は勝てたんだ、俺達の力不足って事だぞっ!」
「立花先輩も充分化け物っすからねぇ」
「高い打点のスリーとフックに鋭いドリブルシュートにダンクも出来る・・・唯一の弱点は体が見た目に反して軽いって事だけか・・・」
「スリーは田宮、ミドルはキャプテン、ゴール下は築地や望月の方がうまいんだが、どれもがうち2番手や3番手ぐらいに上手いってのがな・・・」
「フリーにしたらどこからでもそこそこ高い決定力があるしマークがついてもそこそこ決まるしフリーの奴に的確にパスするし、足が早くてスタミナが切れしないし隙が無いんだよな・・・」
「何でバスケ部じゃないんだ?」
「だから水泳で全国6位、立花がいてもベスト16止まりの俺達より上なの」
「いやあの優勝校にあれだけ善戦したのってうちと決勝の明京戦だけだし、ベスト4ぐらいの実力はあるっての」
「それは立花あっての善戦だろ?」
「立花がいなければ、3回戦にボロ負けしたチームだよ」
「うっ・・・」
という感じで練習試合で負けた男子バスケ部員の愚痴大会が終わった。
「じゃあ試合のおさらいと反省会するぞー」
「「「はいっ!」」」
監督の号令でホワイトボードの前に集められて選手たちの評価が行われた。
体格はこちらが勝っていたのでゴール下の競り合いは優勢だったけど、完全には抑えきれてはいなかった。 ユイかなりの高頻度でリバウンドを取ってしまうからだ。
だからと内を固めるとユイも外やミドルからシュートが打てる。 なにせ俺に叩き落されないようにフロートシュートまで身に付けているので手に負えないのだ。
スミスの方はキャプテンと田宮がマークに付き抑え込めていたと思う。 ただし田宮の運動量が増えてスタミナ切れしたのが大きかった。
今回最も得点をあげたのはキャプテンだった。
女子バスケ部であれを止められるのはユイぐらいで、ユイは最近シートがバカ決まりしだしている田宮のマークに回ったためキャプテンの相手だけが女子バスケ部にとっての明確な穴になっていた。
けれど8割で2点決めるキャプテンと、6割超えて3点決める田宮を比較した結果田宮を抑えるという選択になったようだ。
それにユイはキャプテンを抑えられると言っても田宮を防ぐよりは確実では無いみたいだし、確実に田宮を抑える方が有効だった。
最近俺のように外からの得点力をあげようと哀川、海野、大石と1年生メンバーが居残りでスリーポイントシュートの練習をし始めた。
強いチームは突破力のあるる選手と長身のセンターやパワーフォワードを抱えている。これらは努力である程度の穴埋めは可能だけど体格と天性の才能に依る部分が強い。 けれどシュートというのは体格やバネが無くても反復練習で効果が出るため、自らに物足りなさを感じている選手たちが練習を増やし始めた。
フリーなら5割で決められるというだけで、相手チームはマークをつけざるを得ず、そうなるとゴール下が楽になる。 俺と田宮が外から打つことで、全国でも戦えたという事が実感出来たため、それを始める選手が増えて来たのだ。
「もっと脇を締めてコンパクトした方がいいぞ、狭苦しいと感じるぐらいの方が安定するんだ」
「そうっすね」
「もっとなのか? すごい打ちづらいんだが」
「スリーは飛ばすより安定性が大事だよ」
「俺のパワーで充分届くんすから足を使えば大丈夫っすよ」
「分かった・・・」
シュートフォームのアドバイスを求められるので、俺と田宮はシャワーを浴びて着替えたあとに少しだけ居残り連中の所に寄ってから帰るようにしている。
俺は居残り練習まではしていない。 大会前とかでない限り、来年の受験に備えて勉強を優先さぜると言ってあるからだ。
田宮が居残りしないのは、家に帰ったあと、走り込みをしているかららしい。
田宮は自身の欠点をスタミナだと思っていて、それを補おうと走り込みをしていた。 そのおかげか下半身の安定性が増してシュートがさらに決まるようになったのは嬉しい誤算だったらしい。
田宮にとってシュートが決まるのは快感らしく、それを想像して走る事が楽しくなって来たらしい。 走りながら脳内麻薬ドバドバでハイになっているのではないかと思う。
そういえば男子バスケ部員から綾瀬の事は聞かなかった。 哀川みたく綾瀬に告白した奴もいたはずだが気にしてないのかな。 なんだかなんだと付き合い長いし信用されてるのかもな。
「お兄ちゃん顔が嬉しそう」
「えっ・・・あぁオルカの応援が楽しみなんだよ」
「そうだね〜」
バスケ部員達の信頼が嬉しいと想像した事がなんとなく恥ずかしくて答えを誤魔化してしまった。
ユイは道路の白線部分から外さないよう歩くという軽い遊びをしながら楽しんでいたからか、俺が誤魔化した事には気が付かなかったようだ。
「あっ! そうだっ!」
「なんだ!?」
突然ユイがカバンの留め金を外したと思ったら、ガサガサと中身をあさり出した、白線踏み外してるけど良いのか?
「はい! バレンタインのチョコだよ? これは私でこっちがオルカちゃんの分ねっ! どっちも本命だよ〜」
「なんだ、学校に持ってきてたのか」
「うん、家だと味気ないでしょ?」
「でも、家のすぐ近くだぞ?」
「帰るまでが学校だから良いのっ!」
白線を完全に無視してユイは家まで駆けて行き、「ただいま〜」と言って家の中に入っていった。 この感じだと、俺がリビングに入る頃にはプリンを小皿の上に落として食べだしているだろう。
あぁでも今日はお袋が既に帰宅しているみたいだし、鞄を部屋にしまいなさいとか、手を洗ってから食べなさいとか注意されてるかもしれない。
お袋は更年期に入ったのかイライラしたりニマニマしたり情緒不安だ。 今日はどんなお袋なのだろうかと思いながら家の扉をあけたあとリビングとキッチンに向かう廊下の奥の方に「ただいま」と声を出した。
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