第90話 姉妹
婚約指輪を貰った翌日、俺達は河川敷に行って連凧をあげた。 正月の三が日ぐらいは河川敷で凧をあげている人がいたけれど今は誰もおらず、犬を連れて散歩している人や、ゴルフの素振りをしているひとや、キャッチボールをしている親子がいるだけだった。
「凧凧あがれ♪ 天まであがれ♪」
「聞いた事が無いけど面白い歌だね」
俺は前世では凧を上げる時に誰もが頭に思い浮かぶ歌を口ずさんだ。 その歌はこの世界には無いらしく、オルカは初耳だったようだ。
凧の下につけた髭と、程よい風のおかげで凧は安定しながらどんどんあがっていった。 ただカイトのように垂直にあがっていく凧ではないので風の下流側にゆったりとした角度であがっていった。
風の方向は対岸方向斜め右側だったが、2本の糸を繋ぎ合わせたためかなり距離が出ていて、凧本体の真下は川の対岸を超え始めていた。 ただ高さがかなり出ているので、風が弱まったり、風向きが変わり始めた時に無理に飛ばそうとせず回収を始めれば、失速して民家に落ちるという事は無いだろう。
先ほどからユイは黙っていて、夜に指輪がついていた左手の薬指を時々見ていた。 俺も指輪が付け慣れないからから違和感を感じて時々見てしまうけれど、ユイの場合とは見ている意味が違うだろう。
「凧がどんどん小さくなっていくね」
「紐を延長したからね」
「紐を長くしてもその分高くなったりはしないんだね」
「紐にも重さがあるから、受けられる風の強さで引っ張る力が同じだったら、長くなっても紐の重さ分低くなるんだよ」
「高くする方法は無いの?」
「凧の数を増やせば受ける風の力を強く出来て高く伸びていくけど、今度は風が強い時に引っ張る力が大きくなって糸が負けて切れたりするんだよ。 まぁ30連ぐらいまではやった事があるから大丈夫だけどね」
「なるほどね・・・」
下は風が時々止まっているけれど、上空の方が風が安定的に吹いているのか、こちらが糸を引っ張って操作をしなくても安定期に高さを位置を維持してくれていた。
「絵が小さくて全然見えないね」
「俺の絵みたく単純なデザインの方が見やすいんだよ」
「そうだね・・・ユイの大王ダンゴムシが楕円に足が生えてるぐらいにしか見えないよ」
「良く見えるね・・・俺には無地では無いぐらいしか判別できないよ」
「2.0が余裕で見えるからね」
「どこかの狩猟民族かな?」
オルカは俺よりずっと視力が良いらしい。 2.0の視界というのは良く分からないけれど、今の俺は1.2の視力があって、小さい頃からメガネをかけて居た前世より良く見える。 だから北斗七星のミザールとアルコルが分かれているのを見た時は感動したものだ。 オルカはもしかしたらミザールすら分かれて見えるかもしれない。そういえば今は昴が綺麗に見える時期だったな。 今度いくつの星が見えるか聞いてみよう。
「ユイも凧持ってみなよ」
「うん・・・」
昨日は泣いて居たユイを、俺とオルカがユイを挟んだ体制で眠った。 ユイは眠りについた頃から体を丸くして親指をしゃぶっていた、ユイと隣合って眠った事は家族旅行や祖父母の家に泊まる時ぐらいで数回しか無いけれど、こんな風に赤ん坊に返ったみたいになったりはしなかった。
朝起きて俺の部屋を出る前にユイは指輪を外すのをためらい、そうしないと俺達と1階に下りる事が出来ないと気が付き、急いで指輪を外して箱にしまって俺の鍵のかかる引き出しの中に入れた。
「下がって来ちゃった・・・」
「風が弱い場所に入っちゃったかな?」
ユイから紐を受け取ると、凧を引く力が弱くなっていた。 風が緩み凧が失速し始めているようだ。 凧を急いで巻き上げると、手前に寄った分だけ凧が風を受けて高度が上がる、けれど先ほどとは違い上空の風は安定的に吹いてはいないようで巻き上げ続けないとどんどん降下していってしまうようだ。
「風が弱くなって糸の重さに負け始めちゃったね、巻き上げて軽くすれば上がるかもしれないけど、風向き変わるかもしれないから今日は終わりかな」
「うん・・・」
ユイは少しブルーモードに入ってしまっている様だ。
「ユイ・・・俺達はずっと一緒だぞ?」
「私も一緒だよ?」
「うん・・・」
今まで一緒だったけど、指輪を身に着けられる明確な差というのを感じてしまった様だ。
「ユイは妹だからな」
「大事な幼馴染だよ」
「うん」
巻き上げていく内にどんどん近づいて来る連凧、俺の目にも一番手前に配置されているデカいダンゴムシの姿が判別できるようにていた。
「凧糸一巻目の結び目まで来たね、あと半分だよ」
「巻き上げるの結構時間かかるね」
「手で巻いているからね」
上げる時はどんどんあがってくれたので凧糸二巻あげるのに10分もかからなかったけど、巻き上げるのは大変で30分ぐらいかかりそうだ。
「ユイの虫がハッキリ見える様になったよ」
「やっぱりダンゴムシだな・・・」
「グソクムシだよっ」
ユイは少しだけ元気になったようだ。
「来週の児童会の凧あげに参加する?」
「うーん・・・私は強化合宿に呼ばれてる・・・来月すぐにアジア大会あるから」
「私は参加したいっ!」
「じゃあ俺とユイで参加しような」
「うんっ!」
児童会の凧あげに地元の人が参加するのは自由らしい。 児童が自作した凧だけじゃあがらない事が多くて恰好が付かないからだろう。 結構有志の人が自作の凧で参加しているらしく当日は大勢が河川敷に集まるらしい。
オルカが呼ばれているという強化合宿は参加は強制では無いものだ。 オルカは長水路での調整はもっと先でも良いから、しばらくは水泳部が借りているスイミングプールで練習すると言っていた。 しかし今日のユイの状態を見て、俺と距離が近づいた分、少しだけユイに譲った方が良いと思ったのだろう。
俺とオルカは婚約者になったけれど、ユイを仲間外れにしたいわけじゃない。 ただユイは妹としての特別が無いとシュンとなる事が今回分かった。 今まで当たりに前のようにあった妹としての時間は、俺がオルカと婚約者になってもずっとあると分からないと、ユイは不安になってしまうのだろう。
「俺達の妹は我儘だな」
「うん、でもそれも可愛いよ」
「オルカちゃん、ありがとう」
「いつもオルカが譲ってくれる訳じゃないからな」
「そうだよ、私はタカシの婚約者なんだからねっ」
「分かってま~す」
「言葉が軽いっ!」
ユイもオルカの強化合宿の件は聞いていた。 だからオルカに譲って貰った事に気がついている。 けれどそれがとても嬉しいのだろう。だって自分に姉が出来て、妹として扱ってくれる、少し甘やかしてくれる存在、それが増えた事に気が付いたのだから。
「ほら帰ってプリンだよ~」
「今日はみんなで2個だねっ!」
「お昼をちゃんと食べてからだぞ」
「わかってる~」
「プリンは別腹だよ」
「オルカもすっかりプリン好きだな」
すっかり元気になったユイと、それを追いかける様についていくオルカ。 俺はヤレヤレといった感じで早足で家に向かう2人を追っていった。 2人ともコンパスが長いし運動馬鹿だし、早足が軽いジョギング程の速度になっている。
ゆったりと河川敷上の土手をランニングしていた中年の男性が、まさか歩行で抜かされると思わなくて「は?」という顔で驚いていた。 まぁ俺も早足で追いた時に横顔をチラっと見ただけだから、俺に対しても「は?」だったかも知れないけどね。
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