第86話 振袖(カオリ視点)
初詣の日に立花君に言われた言葉がショックだった。
立花君は素敵な人だと思う。 そして立花君の周りにいる人も素敵な人が多い。
妹のユイさん、恋人の水辺さん、クラスで仲良くしている真田君、立花君の兄弟分の権田さんに親分さん、水泳部の坂城君、立花君をバスケ部に誘った望月君、女子バスケ部の早乙女さと、その彼氏である男子バスケ部のキャプテンである八重樫くん、その他にも立花君の近くには大勢の人がいて、みんなとても素敵な人だ。
私は自然と立花君の行動に関心を持つようになっていて、それが恋じゃないかと思った時期があった。 けれどそれは違うとすぐに否定した。 立花君は、私が思っているパートナーとは何かが違うと思ったからだ。 だから初詣の日に立花君が私をパートナーだと想定して話をし始めた時に、すぐにあり得ないと思ってしまった。
「綾瀬は自分が振った相手が他にパートナーを見つけて幸せそうにしてるのを見たことがないのか?」
そんな言葉を言われた時に、私はその質問の意味が理解出来ていなかった。 私がこの学校に入って告白されて交際を断った相手は300人を超えている。 だからその人が別の相手と付き合い出している事を見る事は今まで何度もあった。
そういったカップルが破局したあと「あの人のせいで上手くいかなかった」と陰口叩かれる事が結構ある。 「あんたのせいよ」とか「お前のせいだ」と強い口調で言って来た人もいた。
随分勝手な話だと思うけれど、やるせない怒りを何かのせいにしたい気持ちは分かるため、関わらない様にしていた。
そういった破局するカップルがある一方で、関係が続き幸せそうにしているカップルもいた。 一緒にお弁当を食べていたり、次のデートに行く場所の話をしている所を見かけるカップルもそれなりに見かけるのだ。
サッカー部のキャプテンである佐野君は後者にあたる存在で、私が交際を断ったあと顔見知りの飛鳥さんから告白を受けて付き合い出した。
飛鳥さんは音楽部に所属していて音大を目指しているピアノの得意な同級生だ。 線の細い綺麗な人で男子に結構人気がある。
飛鳥さんは佐野君を中学校時代から応援していたそうで、試合の時に観客席に応援によく来る人の1人であるため私は高校でサッカー部のマネージャーになった時からよく見かけていたし、廊下ですれ違う時には軽い会話をする程度には仲がいい間柄になっていた。
飛鳥さんは応援に来る人が騒がしくする中、日傘を差して静かに見ていて周囲からは浮いていた。 だから私は少し気になって飛鳥さんには良く声をかけていた。
飛鳥さんに聞いた話では音楽部に所属したけど放課後は自宅でピアノをするためすぐに帰宅しているそうだ。 本当はサッカー部のマネージャーになりたいと思っていたそうだけど、演奏に大事な指を痛める作業を親に止めらているので、マネージャーになるのは諦めたそうだ。
佐野君は飛鳥さんと付き合い始めてからとても幸せそうだ。
佐野君はゴールを決めると観客席の方に走っていきアピールをするが、飛鳥さんがいる時の方が張り切っている。
飛鳥さんは料理をするのも手を怪我する可能性があると止められているそうだけど、手伝いさんの佐野くんの好物を伝えて作って貰ったというお弁当を持参し、お昼休みにはそれを一緒に食べている。
「綾瀬が素敵じゃないと思って交際を断った相手は、綾瀬じゃない誰かにとっての素敵な人になったって事だぞ?」
この言葉を立花君に言われた時に私は私が交際を断った相手である佐野君とその相手である飛鳥さんを素敵だとと思っている事に気が付かされてしまった。 私は交際を断ったのに、ああやって飛鳥さんにアピールするために頑張っている佐野君をカッコいいと感じ、それを受けている飛鳥さんを羨ましいなと思った事もあったからだ。
別に佐野君自体が好きになったわけではない。 だから私は飛鳥さんを羨ましいとは思っても嫉妬したりはしていない。
数回の言葉のやり取りの結果、私は立花君の言葉が私自身の状態を実に的確に表している事が分かってきた。
私は立花君の言葉の中に破綻がないか探すのを止めた。 そしてじっと立花君の顔を見た。 立花君の顔は笑顔だけど普段とは違い、少しだけ真剣そうな目をしていた。
私はその笑顔に知っている人の顔が少し重なった。 それはお母さんと着物教室の先生として雇ってくれている桃井さんのお婆ちゃんだ。 桃井さんのお婆ちゃんは、私が行って学校の事を話すと「カオリは賢いねぇ」といって頭を撫でてくれた。 桃井さんのお婆ちゃんは私が小学校3年生の時に癌にかかり病院で亡くなった。 最後に話が出来た時は、弱弱しいながらも笑顔で「カオリは賢過ぎて心配だねぇ」と言っていた。 その時の笑顔が立花君の今の笑顔とすごく雰囲気が似ている気がするのだ。
あの笑顔の立花君は私を心配しているのだと思う。 でもなぜ立花君が? 立花君は私の親でも先生でもお母さんの知り合いでもないのに私の心配? それに私自身より私の事を理解しているのは何故?
立花君の周りを見ると、立花君の周りには立花君の言葉を聞いてジッと聞いている人達がいた。 その表情は、思慕、尊敬、憧憬、関心、そんな感情が見て取れた。
この人たちは多分私と同じ様に立花君に救われた人達だ。
私はなんとなく、武田君が立花君をお助けキャラと言っていたのを思い出した。 この人はまた私を救おうとしていて、周囲の人はそれに気が付き黙っているのだ。
立花君はこのままではこの先危ないぞと言っているのかもしれない。
だって私は今気が付いているもの。
今のままでは私の進む先には「お前のせいで」という言葉の怨嗟が続く事になる。 前を向いて進んでいる間は良い。 でも気が付いて立ち止まった時にその怨嗟は私に襲い掛かって来るだろう。 けれどその頃には私の周りには誰もいない。 私が置いて言ってしまっているのだ。 私が立ち止まる時、私はきっと独りだ。
「立花君を慕う人の気持ちが分かったような気がするわ」
私は立花君にそう言っていた。
立花君は周りの人を置いて行かなかった。 シオリを助けた時の様に手を引いて一緒に歩いたのだ。 だから素敵な人達が周りにいるのだ。
「それは光栄だね」
立花君はそう答えた。
「俺が綾瀬のパートナーだったとしたら、自分と同じレベルを望まれてるって思ったら、無理ですって言って逃走すると思うぞ?」
立花君はそう言っていた。
私が立花君と話している時に反論出来るとしたらここだけだ。
立花君が私のパートナーだったとして、立花君が逃走した時、置いて行ったのは私ではなく立花君だと思った。 私は気が付かず走り続けるだろうけど、きっと振り向いた時に思うだろう、「私を置いて行かないで、私を助けて」と。
私がそう思った時、私は恥も外聞も無く立花君に会いに行くかもしれない。 そんな私を、立花君は私を助けてくれようとするだろう。 そして立花君自身ではなく、立花君を慕う多くの素敵な人たちの手によって私は救われてしまうのではないかと思う。
「カオリお姉ちゃんって立花さんの事が好きなの?」
「えぇ、好きだわ」
「競争率高いよ? きっと・・・」
「私の好きはそういう意味じゃないわよ?」
「そうなの?」
「えぇ」
私の立花君に抱く好きは恋愛の好きではない。
立花君に感じるのは激しい思慕ではなく、静かな・・・なんだろう?
「あの人は俺の兄貴です、すげぇ人なんです」
「えぇ、そうね・・・」
権田君の言葉は私の胸にしっくりとしみ込んだ。
「立花君は周りの人に合わせて歩くから、私と同じ速度では進んではくれないの。 だから私は自分の進む方向と立花君が進む方向の両方に歩いて行く事にするわ」
「そりゃあ欲張りですやすね」
「えぇ、私は理想が高い欲張りな女なのよ?」
「そうでやしたね」
権田君が豪快に笑い、シオリも一緒に笑っている。
一年前にあんなに暗く立花君に手を強引に引かれなければ立ち止まり続けていたシオリがこんなに笑っているのだ。
「私はお母さんの所に行って来るから」
「お気をつけて」
「カオリお姉ちゃんまたね」
「あと、あの件宜しくお願いしますと権田リュウゾウ様に言付けお願いします」
「わかりやした」
「カオリお姉ちゃん・・・」
神社の前から、権田君の仲間がお母さんのいる病院まで送ってくれた。 今日はお父さんが病院でずっとお母さんを見守っている。 お母さんのいる無菌にしてあるというガラス越しでしか会えない部屋。 そのガラスの前の椅子に座り、お父さんはずっとお母さんを見守っている。
私は去年はお母さんに着付けて貰った振袖を、権田君の家の人の手を少し借りたけど殆ど一人で着付けてみた。 お母さんはなんと言うだろうか。 「頑張ったわね」と言うだろうか。 「まだまだ甘いわね」と言うだろうか。 私の口角が上がっているのが分かる。 今の私は、お母さんの病気が発覚して以降、最上の笑顔をしているに違いない。
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