第83話 YES!カモ~ン!
今日のお袋の薄化粧は気合が入っていて中々見事だ。 ファンデーション効果がある「結構高級なのよ?」と言って、特別な日にしか使わない保湿クリームと思われるものを塗り、シミやソバカスを綺麗に隠せている。 マイナス10歳ぐらいならサバをよんでも違和感を持たれないのではないだろうかと思う。
「一人分の出汁を小鍋に移してるから」
「ありがとうね」
煮魚を作る時に使う小鍋に一人分の出汁だけ取り置きしてあるので、湯切りようのザルなど使わず麺を放り込んで温められる。
「お父さん、お寿司美味しいよ?」
「大丈夫だよ・・・いたた・・・まだ酒残ってるな」
いまの義父に寿司は近づけ無い方が良いと思う。 ユイが小皿に取って差し出すだけで頭痛がするなんてかなり重症だ。
けれど並べられた寿司にはウナギだけ無くなっていた。 俺達が食べ終わった時にはまだ10貫ぐらい残っていたのにだ。 義父がお酒を飲みながら食べたのだろうか。
「わー、すごい衣装出てきたね」
「この人段々衣装が派手になっていくわね」
前世にも毎年すごい衣装で登場する歌手がいたけれど、こっちの世界にも同じような事をする芸能人がいる。 衣装というより舞台装置のようになっていて舞台全景が映ると本人の小さな顔がぽつんと点のようで目立たない。 顔は既に売れた大御所だから良いのだろうけど、パフォーマンス重視偏重で歌合戦っぽくないなと感じてしまう。 ユイとオルカは喜んでいるので、エンターテイメントとしては成功しているため、俺の頭が固いだけなのだろうけど。
「じゃあ風呂に入ってくるよ」
「今日は柚子だから」
「そ、そうか」
お袋の言葉にオルカは平然としていたけれど、親父と俺とユイの顔が強ばり緊張が走った。
お袋が親父を風呂に行こうとする時に「今日は・・・」から始まる言葉をかける時は親父へ、新婚が登場する番組出演者に手渡される、表面に朱の墨汁で「YES! カモ~ン!」、裏面に黒の墨汁で「NO! ゲッラウト!」と書かれた司会者直筆掛け軸(ピンクと水色の文字のタペストリー(市販品)と交換可)の、「YES! カモ~ン!」の面を見せる様な意味を持つ符丁になっている。
そしてお袋は、半年ぐらい前に俺とユイがそれに気が付いてしまった事を逆手に取り、目の前でそれを言う事で、「今夜は夫婦の部屋の前には近づくな」とプレッシャーをかけるようになっていた。
お袋と義父の寝室は2階のトイレに近い。 つまり俺とユイは朝まで尿意などで起きてしまわないよう、きっちりと寝室に入る前に膀胱に溜まったものを絞り出さなければならない。
さらにその符丁に気が付いていないオルカには、守る立場の俺がその事をキッチリと伝え、寝る前にトイレに行かせないといけないというミッションが加わる事となったのだ。
なるほど、あの見事な薄化粧に、妙に時間をかけたのはそういう事か。
多分お袋は親父に精をつく食べ物であるウナギの寿司を昼間食べさせたのだろう。 もしかしたら寿司を見ると頭痛を訴えたのは、アイアンクローだけではなく、義父に酒を飲ませて無理やり食べさせたといった事があったからかもしれない。 そして味噌汁は亜鉛たっぷりと言われるアサリ。 さらに親父はさっき精のつく食べ物と言われる山芋の入ったソバを食べている。 そういえばさっき、お酒の瓶を分別かごに入れた時に、栄養ドリンクのものだったっぽい空き瓶が2本既に入っていた。 なんてコンボだ、やるなお袋、見事だよ。
『はい、なかなか策士です』
でも義父は色々と頭の方に疲労が見られるから優しく労わって欲しい。 一年の計は元旦にあるのに、干からびてたら可哀想だ。
『あなた様が干からびていると表現する衰弱状態になります』
衰弱状態という事は義父は生還は果たすようだ。スミスのお墨付きを聞いて俺は少し安心をした。
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「大トリね」
「どっちが勝つのかな」
「中間では白優勢だったよね」
「でも今年のチャート1位と2位は紅組の歌手だし後半に出てたから逆転するんじゃない?」
「うーん・・・でもここ2年紅組の勝ちが続いているからなぁ・・・」
大トリの白組歌手の歌が終わり集計が行われる。地方局の集計データーが最初に発表されて白組が僅かに優勢と伝えられる。 あとは会場にいる審査員と観客の集計データーで結果が決まる。
「白組だって!」
「やっぱ紅が続いていたからなぁ・・・」
「今年も終わりね・・・」
「良いお年を~」
「ほら除夜の鐘が聞えるよ」
俺が小窓を開けると、ゴーン! ゴーン! と遠くから響く音が聞えて来る。 色々と今夜は煩悩溢れる事になりそうだから綺麗に洗い流して欲しいものだ。
「「3、2、1、ゼロ!」」
「明けましておめでとう」
「おめでとう」
「はいおめでとう」
日の出を1日の始まりという考えかたもあるので、元日の朝も儀礼的にあけましておめでとうを言い合うのだけれど、日付が変わったこの瞬間もみんなで新年のお祝いを述べあう。
「じゃあ遅いし寝るわよ、朝は初詣にも行くんでしょ?」
「うんっ!」
「あぁ・・・」
「はい・・・」
ユイは元気に答えるけどカウントダウンの時元気だったオルカは少し弱い返事をする。 これから俺の部屋で寝る事になるから緊張しているのだろう。 俺はオルカに言い辛い符丁の件を伝える義務もあるので緊張していた。
少し散らかったキッチンは、俺達が紅白を見ている間にお袋が片付けを終わらせていた。 俺と義父はこの先の展開に緊張して沈黙しているが、いつまでもこのままでもしょうがない。
「オルカ、トイレは済ませた方が良いぞ?」
「えっ? あっ・・・うん・・・」
デリカシーの欠ける言葉ではあるが、これは言わなければならない。 今夜は朝まで部屋から出てはいけないからだ。
「お兄ちゃん・・・」
ユイが俺を責めるような目をしているが、俺が分かるだろと念じながら見つめたからか、分かってくれたようでうなずいた。
「オルカちゃん行くよ?」
「えっ・・・うん・・・」
家で連れションとは珍しい行動をするなと思った。 でもユイはお袋の符丁の意味をオルカに伝えるために連れ出してくれたのかもしれない。
「じゃあストーブの火を落とすわよ・・・あら・・・結構灯油が減ってるわね」
「俺が寝る前に補充しとくよ」
「お願いね」
お袋は親父と連れ立って夫婦の2階への階段をあがり右側の奥にある夫婦の寝室に向かった。 左側に俺とユイの部屋があって右側の夫婦の部屋の手前にトイレがある。 夜中に起きてトイレに行くという事は夫婦の部屋に近づく事を意味してしまうのだ。
一回の収納部屋に置いてある灯油入りのポリタンクを持って来て、まだ残熱が残る石油ストーブに継ぎ足した。 朝の寒い時に震えながら灯油を注ぐより、まだ部屋が暖かいこのタイミングで注いだ方が楽なので、うちでは夜に石油ストーブを消す時に4分の1以上減っていたら継ぎ足している。
石油ストーブにかけていたヤカンの沸いているお湯を保温ポットに注ぎ、ヤカンに水を注いで石油ストーブに乗せておく。
部屋の灯りを消すと先ほどまで5人で紅白を見ていたとは思えない静けさがした。 俺は小窓にもう一度近づき開けてみたけれど鐘の音はもう響いて来なかった。 どうやら人々の煩悩を払う儀式は終わってしまったらしい。
2階にあがり部屋に入るとオルカが俺のベッドに座って俯いていた。
「何もしないから安心して」
「えっ?」
どうやらするとオルカは思っていたらしい。
「だってトイレに・・・」
「トイレで用を足したんだろ?」
「ちゃんと綺麗にしとけって意味じゃ無いの・・・」
「・・・何それ・・・」
「・・・だってユイもそうだって・・・」
「・・・」
トイレに行けが綺麗にしとけ? トイレに行って女性の大事な部分を洗っておけって言ったと思っていたのか? そんな言い回しがあるって聞いたこと無いけど。
でもそうだとすると、ユイが俺に責めた目を向けた意味が良く分かった。 そして俺が分かるだろと訴えた目が、ユイには全く違う意味で伝わったらしいことも理解した。
「違うよ・・・そうじゃない・・・」
「どういう意味だったの?」
「お袋達が今夜夫婦でするっていう意思表示をしたから夜中にお袋達の部屋の前に近づかないようにトイレを済ませてって伝えたんだよ」
「そうだったんだ~」
オルカは複雑な顔をしたあと安心したのか目に涙を溜め始めた。
「オルカの大事な時期なのにそんな事はしないよ、それに朝早く起きてお祖母さんと墓参りに行くんだろ?」
「うん分かった・・・でもユイちゃんに知らせないと」
「何でユイに?」
俺がそう言った瞬間に部屋の扉が開いてユイが部屋に入って来た。
「私も綺麗にしてきた」
「・・・はい?」
俺は意味が分からず部屋に入って来たユイを見つめた。
ユイは覚悟は出来ているとでも言うように俺の目を見つめ返してきた。
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