第82話 南蛮

 今年の年越しそばは鴨長らしい。

 去年は海老天そばだったし一昨年はトロロそばで3年前はたぬきそばだった。 お袋は食材の買い物を気分で決めてしまう。 今日は多分そばの具材を買う時に、鶏肉が安かったか長ネギの艶が良かったとかで決めたのだろう。


 炒めた鶏肉と長ねぎを具にしたそばを、前世では鶏南蛮そばと言っていたが、この世界ではこれを鴨長そばと呼んでいる。

 なぜ鶏を鴨とよぶかというと、鶏を朝を告げる神聖な生き物として皇家に珍重されてきた時代、鶏料理を鴨料理と言って食べていたからだそうだ。

 また前世では長ねぎがヨーロッパから移入されたので南蛮葱と呼んだ時代があったから長ねぎを入れる事を南蛮と呼んでいたそうだけど、この世界にはその呼び方はしない。 欧州人を蔑みの意味を持つ南蛮人と呼称した事が無いようで、長ねぎは長ねぎのまま呼ばれているのが理由だ。

 ちなみに南蛮料理というと大陸の長江南部の料理を意味する事になってしまう。 前世でチキン南蛮と言われる揚げ鶏を甘酢につけた料理があったけれど、こちらの世界では大陸の料理店でチキン南蛮をメニューで見つけて注文すると、鶏と根菜を使った山椒の効いた炒め物が出てくるらしい。


「オルカは二束食べる?」

「一束で良いよ、お寿司もあんなにあるし」

「了解」


 俺がオルカに蕎麦の乾麺を何束茹でるか聞いた。 お袋は普段は「信濃そば」と書かれている製品を買っているけれど、今日は「山芋入り八割そば(そば湯も楽しめます)」と書かれた乾麺を用意していた。 どちらも同じ様に100gづつ束ねられているので、茹でる束の数を聞いて量を調整すれば良いだけだ。 茹で時間に30秒の違いがあるのでそこだけは注意が必要だ。


「お祖母さんを呼ばないか?」

「ううん、明日の朝は早いからもう寝るって、お寿司美味しかったって伝言と豆きんとん預かってるよ」

「あぁ・・・お祖父さんの墓参りか、オルカも行くのか?」

「うん」


 なるほど、これで「朝まで寝かせないぜ」なんて真似をしないで済む理由が出来たな。


「お兄ちゃん手伝うよ」

「じゃあ廊下にあるお寿司をテーブルまで運んでおいて」

「わかった」

「あ、ユイは何束茹でる?」

「一束でいいよ」

「了解」


 風呂からあがったユイがキッチン側に来て手伝いを申し出て来たので、廊下にある寿司を並べるのをお願いした。


「私には二束でお願いするよ」

「お寿司もあるけど良いの?」

「なぜかお寿司を口に運ぼうとすると頭痛がするから蕎麦だけ食べるよ」

「分かった・・・」


 ソファで寝ていた義父は、俺達の会話から俺が年越しそばを仕上げて居るのを察したようで、食卓に近づきながら茹でる蕎麦の量を伝えて来た。 どうやらお袋のアイアンクローの記憶は無いようだが寿司にトラウマを持つようになってしまってるらしい。

 「酒が残ってるのか?」と言いながら首を傾げているけど、立花家の平和の為に黙っておく事にしよう。義父が酒を控えるようになるのは良いことだろうしな。

 それにしてもお袋って相手の心を読むだけで無く、記憶消去まで、やはり異能が・・・。


『使えません』


 どうやら異能じゃなくガチの方らしい。むしろそっちの方が怖い。

 義父に寿司のトラウマが続くようなら「脳ドック」か「心療内科」のパンフレットをこっそりと新聞広告の間にでも挟んでおいて、目に留まるようにしておこう。


「お父さん食べないの?」

「あぁお酒を飲み過ぎたみたいだ」

「控えた方が良いよ? 人間ドッグでも言われたんでしょ?」

「あぁ、でも父さんにも付き合いがあるからなぁ・・・」

「早死にしても知らないんだからねっ!」

「父さんは孫の顔を見るまでは死ねないからなぁ」

「結婚せず家にいたら産めないよ?」

「じゃあずっと死なないで済むな」


 学校は完全週休二日制じゃなく土曜日の半ドンで日曜が全休だ。そして義父務める企業は土曜日の半ドンが無く日曜だけが休みになっている。

 前世ではバブルの崩壊前には24時間戦う事を奨励するような、企業戦士向けの栄養ドリンクのCMがあった。 ブラック企業という言葉も存在せず過労死が社会問題になる事もなく就業時間は全力で働き、大量の残業もこなし、仕事終わりは接待の飲み会で、休みの日曜日も接待でゴルフや釣りに出かけている人もいた。

 義父もそれに漏れずそんな働き方をしている。

 それに対し現在のお袋は、就業時間は一応あるけれど、ノルマ制な部分が多く就業時間の融通が効く保険外交員をやっている。 再婚前はかなり仕事を詰め込んでいたけれど、今は家庭を大事にするため必ず定時で帰って来るようになっている。

 その分お袋と義父の給料に大きな違いがあるらしい。 義父の会社は雇用契約上はそこまでベースの給料が高く無いけれど、企業側が残業代出すから仕事してくれ常態なので、高い割増賃金の給料が基本給に上乗せされて支給されているらしい。 平日の夜や日曜日の接待も勤務という扱いを受けて居るので手取りがとても多い。 また働いた分が賞与に反映されているらしく、お袋が義父の給与明細を見て「やっぱすごいわねぇ」というぐらいは貰っているようだ。


「タカシー、お母さんに一束茹でといてー」

「もう一束茹でてるよ! 伸びないよう冷水で締めた状態で置いておくから!」

「おねがーい」


 お湯が湧き乾麺を入れて茹でていると、風呂からは上がったけどまだリビングに来れる状態では無いらしいお袋が脱衣所の扉から顔を覗かせてキッチンに向けて声をあげた。

 キッチン側の戸は横開きのガラス戸で薄いため廊下側で話している人の声が通る。


 乾麺は茹でたあと冷水で締めたあと、だしつゆであたためて器に盛る。 冷水で締めれば喉越しが良くなるし伸びにくくなるからだ。

 お袋はいつも一束なので茹で始めた時には既にー束多く茹でていた。 俺が三束、義父がニ束、女性3人が一束づつで合計八束。 乾麺が一袋四束づつ入り一袋なので二袋茹でると丁度いい。


「そば湯置いておくから」

「はーい」


 人数分だけ湯飲みにお玉でそば湯を入れてカウンターに置いておく、そば湯が特に好きな訳ではないけれど、楽しめますと書かれていると少しだけ飲んでみたくなってしまうのが人情だと思う。


「よっこいせっ」


 流しに置いた大ザルに寸胴で茹でていた麺を一気に流し込む。 そば湯は勿体ないけれど、無理して飲むものではないと思うので流す。 ステンレス製の流しが「ベコン」と音を立てお湯によって温められた事を教えてくれた。

 寸胴は家庭用のアルミ製のもので前世のスーパーの惣菜売り場の調理場が使ってたような大きさは無い。 けれど水は最大15リットル入るので、吹きこぼれないよう少しだけ抑えた量ではあっても結構な重さになる。 火傷しないよう厚手のミトン越しに取っ手を掴んでいる事もあり、気合を入れて一気に流し台に持っていかないと危ない。 万が一手を滑らせたら大惨事だ。キッチンが汚れるだけでなく、俺は熱湯と蒸気によって大火傷するだろう。 無事に流しに持っていけた今ですら拡散した蒸気が通過した通過した程度で、露出していた顔にチリっとするぐらいの痛みを走らせ危険だった事を俺に知らせて来た。


「そばが茹で上がったからね。 盛ったらカウンターの方に並べるから、ユイとオルカは並べておいて」

「「はーい」」


 流しの大ザルにある茹で上がったそばを金ダライにあけ、水道水をかけてひやしていく。この季節の水道水は手が凍えるほど冷たいので良く締まる。

 麺をなんとなくで一束から三束の分量に分けて器に入れていく。 一束は丼物をよそう時に盛る器に、二束と三束は麺物をよそう時に盛る器に入れた。

 分けた麺を湯切り用の取っ手のついたザルに入れてさっと火をかけただしつゆが入った鍋にくぐらせ、温まった麺を器に盛り鴨長を乗せていく。 お袋の麺だけはまだ伸びないように温めないでおく。

 お玉でつゆを温まった麺と鴨長の入った器にかけておけば完成だ。


「はい出来たよ、こっちの多いほうが俺のだからね」

「「はーい」」


 カウンターの上の今年の年越しそばが食卓に運ばれたら、キッチンとリビングの間の引き戸を締める。 この家は海外からの移民が多い街だからなのか、和式の建築物だけど、中は洋式生活が取り入れられてキッチンとリビングの間に引き戸付きの木製の小窓が付けられている。 調理の際の音や匂いをリビングに届けない工夫なのだろう。

 引き戸をあければカウンターになるので調理し終わった料理を廊下に迂回する事無く届ける事が出来る。 キッチンとリビングの間を直通するような扉は無いので人は廊下を経由しないと行き来出来ないので、前世でよく見たキッチンカウンター付きのリビングのような感じとは少し違うけど、炊事場と食卓が分離していた様式からの途上にある感じで、この家に来た時に面白いと思ったものだ。


「伸びる前にたべよう」

「「「いただきまーす」」」


 お袋はまだ脱衣所に居るらしく、カチャカチャと物音を立てている。保湿クリームをぬったり、薄化粧をするのに忙しいのだろう。


「お父さん食べ終わったらお風呂に入ってよ? 体汚いまま年越ししちゃ駄目だよ?」

「分かってるよ」


 ソファーで寝ていたからか、義父の髪には大きな寝癖がついていた。 1年の計は元旦にありと言うし、そのまま明けたら縁起が悪いだろう。

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