第81話 余剰な空間
リビングに降りていくとソファには義父がイビキをかいて寝ていた。
キッチンのカウンター方からカツオ出汁の良い香りが漂っているので、お袋がお雑煮か年越しそばの準備をしたのだろう。
「タカシ、話があるからここに座りなさい」
「なに?」
食卓テーブルに座りながら、新聞のクロスワードパズルを解いていたオフクロが、俺を前の席に座れと指さして来た。
「話って?」
「今日からオルカさんが泊まるのはあなたの部屋よ?」
「・・・はい?」
「だからこれを持っておきなさい」
お袋が差し出して来たのはいわゆる男性側が使う避妊具だった。 俺の部屋のベッドは急に身長が伸びた時に外国製の大きいものに買い替えられたので大きい。 だから2人で寝ることは出来るけれどこれを差し出されたって事はそういう事をしろって事?
「使い方は分かる?」
「知ってはいる・・・」
「しないから要らないって言いたそうね」
今度こそ異能かな?
『違います』
今度のお袋の察しの良さも、今は亡き親父の遺産らしい。
「そう思っていても流される事はあるのよ」
「・・・オルカは今大切な時期だよ」
「えぇ、夏にオリンピックに出るんだものね」
「あぁ・・・」
「だからこそ持っておきなさい」
だからこそって何だよ。
「ユイの部屋に泊めるのは駄目なの?」
「どこに小姑と一緒に寝るお嫁さんがいるのよ・・・」
確かに嫁と小姑って仲悪いイメージあるけど、ユイとオルカなら問題ないだろ。
「嫁っていうのは家で最も弱い立場なの、だからあなたが守るのよ」
「だから俺の部屋に泊まるって事?」
「えぇ」
俺は知らなかったけど、この世界にはそういうしきたり的なものがあるのだろうか。
「別に私達がオルカさんをイビるって言ってる訳じゃ無いわよ。 あなた達の子供があなたと同じ立場に立ったときに同じ事を言う必要があるから言ってるの」
「分かったよ・・・」
親から子にだけ口頭で伝えられる儀式的な何からしい。 前世では家庭で子供にどう性教育するのかとか聞いた事ない。 一部の地方や家でそういうものがあってもおかしくは無い。
子孫を残し継いでいったから今の俺達があるのだし、全くの知識無しでは行為の仕方が分からないというのも良く分かる。
中学校の時に受けた保健体育の授業の内容で行為の仕方なんて分かりようも無い。 俺も前世で友人との下世話な会話で正されるまでは、女は男にあるものが無くて胸があるというぐらいしか認識しておらず、ボカされて詳細が不明なビデオの通りにしようとして、自分も持ってる穴に突っ込もうとして失敗しただろう。
「オルカさんが風呂から出てくる前に部屋に持っていきなさい」
「あぁ・・・」
これがこの世界の性教育的なものなのだろうか。 保険体育の授業とこの内容だけで実践なんて無理だと思うけどな。 男女で部屋を分かれて講義を受ける日もあったから女性側が学んだ事で補完がされてるのかな。
俺は曲がりなりにも前世では還暦過ぎまで生きているから授業以上の性知識はある。 だからいざって時に戸惑う事は殆ど無いと思う。 だけど、実践は商売の人で数回だけだ。 自分でリードなんてしたことも無い。
俺は部屋に戻ってお袋が手渡された避妊具を机の施錠が出来る引き出しに仕舞った。 今までこの机を施錠したのは鍵が当たるか確認する時に1回だけ回しただけで基本的にかけた事は無かった。 それにこの鍵までどこかに隠さなければ開けられてしまうので施錠をしていない事と同じだ。 ユイがこの部屋に来た時に机が施錠されている事を怪しめば、興味を引いてしまい逆効果になるだろう。
「他の置き場所探さないとな・・・」
俺の秘密は例外のスミス達を除いて基本的には脳内の記憶ぐらいだ。 だから公序良俗的な意味で被っている恥部以外を隠すという感覚が無かった。 でもいざ何かを隠さなきゃって思った時に思い浮かばないってのは良くないかもと今思っている。 身内にすら秘密にしたいものを所持して初めてそういう気持ちを感じていたのだ。
「タカシ〜上がったよ〜」
「はいよっ!」
隠すことを考えている時に突然部屋の外からオルカにノックされて声をかけられ返事のトーンが上がってしまった。 素早く着替えを手にとって廊下に出たけど焦っている事がバレていないだろうか。
「タカシが出てくる前にはユイを起こして置くからね」
「分った」
ユイの部屋に向かうオルカの服装はパジャマに靴下を履いて上着を羽織った状態だった。 上着を脱げば後は寝るといった体制なのだろう。
あのパジャマ姿のオルカが今夜俺の隣に寝そべるかと考えるとマズイ妄想が広がりそうだ。
それよりも隠し場所をどうしよう、そのことを考えながら俺は着替えを持って風呂場に向かっていった。
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避妊具の箱の隠し場所については、風呂に入っている間にスミスの憑依体がアドバイスをくれたので解決した。 なんでも机を引き出した奥には余剰な空間があるのでそこに小物を隠すことが出来るらしい。
それを聞いて、少し前に引き出しにしまった筈のプリントが紛失していて、探したら、引き出しの奥の空間に飛んでいた事を思い出した。
引き出しを抜き取らないと物の出し入れ出来ないそんな空間を収納に使おうなんて考えた事は無かったけど、使う予定はないけど、捨てられないああいったものを置くにはいい場所だと思い、素直にスミスの憑依体に感謝をした。
「お兄ちゃん、ユイカさんから聞いたよ」
「何をだ?」
「今日からオルカちゃんを私の部屋に泊めちゃだめって」
「あぁ・・・」
お風呂から上がり脱衣所で髪を乾かしていたら、ユイが着替えを持って入って来てそんな事を言ってきた。 ユイの目が潤んでいてなんかとても気まずい。 オルカを俺に取られてしまうようで寂しいのかもしれない。
「オルカちゃんを大事にしてね?」
「勿論だ」
ユイが俺とオルカが婚約するキッカケを作り応援までしたのにこの態度が腑に落ちない。 けれど俺がオルカを大事にするのは当たり前なので頷いておいた。
「やぁねぇ・・・こんな年の瀬に政治家の汚職のニュースなんて・・・」
風呂場から出てリビングに入ると、テレビではニュースをやっていて、1月ぐらい前から相次いで捕まって居る政治家の汚職関連のニュースをやっていた。 海外の企業から多額の資金提供を受け、国内の公共事業などで便宜を図っていたらしい。
「そろそろ紅白始まるわよ」
「あぁ」
義父はまだソファで寝ていた。 イビキは止まっていて静かなので存在感が薄いけど、かけられた毛布が僅かに動いているので死んではいないらしい。
お袋の隣に座ってテレビを見ていたオルカが俺と目を合わせると、手で顔を覆ったので、お袋からユイと同じ事を聞いている事は分った。
「年越しそばはどうする?」
「えっ?・・・あぁ、ユイが出てきたら食べるよ」
「お寿司も廊下にあるからね?」
「あぁ・・・」
キッチンやリビングは調理の際の熱や石油ストーブ熱で温かいので、寿司は皿に移されラップをかけられ冷たい廊下の床に置かれていた。
「私はユイの次に入るから、そばをよそうのは任せるわよ?」
「あぁ」
お袋の言葉を聞いているけどオルカの様子もあってとっても気まずい。
紅白が始まり司会者の明るいトークが流れているけど殆ど頭に入って来ない。
去年はこのタイミングで家族4人で食卓に座り、年越しそばを前にして「頂きます」と明るく言っていたのに、それに比べたら通夜の様に暗い。
「あら、この曲まったくわからないわ? 流行ってる曲なの?」
「あぁ・・・1年ぐらい前に結構ヒットした曲だよ」
「そうなのね・・・最近の曲は分からないわ」
「5曲目ぐらいからベテラン歌手が出てくるでしょ」
「やぁねぇベテランなんて」
お袋は、四捨五入すると50歳になる年齢なのに、まだ若い気で居るらしい。お袋は保険の外交員で見た目が大事な事もあって年齢より若く見える方ではあるけれど、それでも前世で還暦過ぎまで生きた俺が老いがあると感じるぐらいには老け始めている。
産まれて視界が定まって来た時に見たお袋は、若い女性だなと思ったけど、ピチピチという感じでも無かった。
親父が逝った後は、仕事に行くときはしっかりと化粧をして若々しい感じになるのに、休日に家に居る時は見る影も無く老け込んでいて、結構オバサンだったんだなと思った。
義父と再婚する少し前ぐらいから休日も身だしなみを整えて生き生きとして若返ったけれど、それでも衰えは着実に来ているようで、時々化粧でも隠せなくなった老いが増えてきている。
「この人またこの曲なのねぇ」
「それだけヒットした曲なんでしょ?」
「えぇすごい流行ったわよ? 私もレコード買ったもの」
「レコードって歴史を感じるね」
「カセットを持って無かったのよ」
「今はもうCDだよ」
「それぐらい知ってるわよ」
オルカは覆っている手をおろして俺をチラチラ見てくる程度には慣れたようだ。 雰囲気も少しは明るくなって行くだろう。
「ユイが出たわね、じゃあお風呂言って来るから頼んだわよ」
「あぁ」
お袋は席を立って着替えを準備するためにリビングから出ていった。
「年越しそばの準備をしてくるな」
「うん・・・」
俺と二人きりなのに目を合わせると手で顔を覆ってしまうオルカには少し時間が必要だと思い、俺はキッチンで年越しそばを作る事にした。
『義父様もいました』
そういえばあの部屋には義父もいたんだった。 すっかりあのお通夜のような空気でも意識しないと分からないぐらい希薄な存在感だったので忘れてた。
『3分46秒後に目覚めます』
寝ていなければ存在感はある人だし、通夜のような空気を吹き払ってくれると信じてみよう。 お袋が風呂に入ってる間は、あのアイアンクローも炸裂しないだろうし、また寝るって事は無いだろう。
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