第61話 リトルチーフとコック(武田視点)
マグロ船に乗せられて8ケ月が過ぎた頃、大体1月ごとにマグロを回収しに来る転送船が、途中で故障して引き返してしまっというトラブルが発生した。 マグロ用の餌や仕掛けや燃料や食料などを補充する船でもあるのでこのままでは不味い事になるらしい。
次の転送船が手配されるのを待つか、港に戻るかという選択に迫られているのだろうと年配の船員が話していた。
船長とチーフと機関士がそこまで広くない操舵室に入り話し込んでいたけれど、風に乗り声が漏れているので大体の事は分かった。
延縄用の餌は多少残っているけど冷凍庫自体は既にマグロが満杯で、冷凍庫の床にまで転がされているような状態だった。 最低限の動力でも2週間で燃料が尽きるので、冷凍庫の電源が落ちてマグロが腐り始めると機関士が船長とチーフに言うのが聞えた。
話し合いの結果、予定していた場所ではない港に入る事になったと船長から言われた。 そこで安くマグロを売ってしまうか、冷凍庫を借りて転送船が治ったら回収させる事のどちらかを選択する事になるらしい。
海に出て初めての港だった。 陸が恋しくなっていた俺は上陸したかったけれど、船長には俺はパスポートも無いから上陸はさせられないと言われた。 しかし蛇の道は蛇という奴で一人の船員のツテで外に出して貰えることになった。
予定外に泊まった港は、その船員の故郷に近いそうだ。港の係員に融通が利くらしいく、こっそり連れ出す事が出来るそうだ。 ただし港の係員に謝礼金が必要になるとかで、船長から渡される小遣いの半分を渡す事が引き換えとの事だった。
船長から渡された小遣いは外国のヨレヨレの札であったため価値が良く分からなかった。
サメのヒレ4個で一番高額な札1枚だと言われたけどサメのヒレの値段が良く分からない。
サメのヒレ4枚程度なら大した金額では無い筈だし、俺に渡された高額な札8枚の半分である4枚を渡す程度なら大した事が無いと判断した。
ずっと狭い船で待っているなんていうのはうんざりだったので、素直に払って上陸する事に決めた。
船員は港のゲートにいる奴に何か見せて言葉を交わすと、物陰に隠れていた俺を手招きして呼び、ゲートではなく従業員用と思われる通路から俺を外に連れ出してくれた。
連れていかれたのは夜のお店だった。 酒を飲みながら好みの女を指名して上の階で良い事をする仕組みらしい。 船員達と話している言葉が通じたので、宿屋にもなっているここを拠点にして遊ぼうと思った。
前世で酒を飲んだ事はあったけれど、産まれ変わってからは始めてだった。
低額な札1枚で周りの奴が飲んでいる強い酒を3杯飲めるらしい。
高額な札には100、定額な札には10と書いてあった。10の価値でワンカップ酒みたいなものが3杯だとすると定額な札は1,000円ぐらいで高額な札は10,000円ぐらいだと判断した。女は高額な札1枚で1晩買えるらしい。前世では風俗にすら行った事が無いので高いのか安いのか良く分からなかった。
俺は慣れない酒だったからか2,3杯飲んだだけで完全に酔っ払ってしまった。 陽気になって持ち出して来た金を気前よく女達に配り、中でも一番気になった胸のデカい女を指名して抱いた。 金の為に抱いた弛んだ体の鼻息が荒いババアと違い、若くて従順な女は最高な抱き心地だった。
俺はそのままベッドで眠ってしまったらしく、気が付くと何故か船室にいた。 船室を出ると船長がいて、俺が船室にいる理由を教えてくれた。
何でも俺はベロベロに酔っぱらい下着1枚の状態で船に運び込まれたらしい。 そしてチーフが俺を受け取り船室に放り込んだという事らしい。
下着以外は何も持っていなかったらしく、船長から渡された小遣いも無くなっていた。
俺を連れ出した船員の事を聞いたら、そいつはこの港で降りる事が決まっていたと説明された。
俺が船に残っていた奴らに話したら「いい夢見たんだろ?」とか「騙されたお前が悪い」と言われてしまった。
船員の多くは国に残した家族への仕送りの為に働いて居るらしく、故郷に大金を持ち帰りさえすれば嫁をいくらでも抱けるし子供に良い思いをさせてやれる、街で散財なんてするのはバカだとも言われた。
どちらにしても、港のゲートを迂回するにはお金が必要だ、けれどお小遣いは全部奪われてしまっている。
俺は泣き寝入りするしかないらしい。
△△△
マグロの荷下ろしと物資の補給の間に降りた船員の補充人員が乗船し船は港を離れた。
補充人員は素人らしく、チーフから一番の下っ端から卒業だと言われた。
今回の寄港は予定外だったという事で、転送船を手配している会社との更新となる4ケ月の航海で元々予定していた港に戻るらしい。 転送船が戻った分の補償はあっちの会社が契約している保険会社から下りたら払われる事が決まったので、休業せずすぐに出た方が良いという説明だった。
2度目の航海は慣れていた事もあって余裕を持って動ける様になった。 船員の中で1番では無いが、新入りの奴よりもずっとキビキビ働いた。 休みなく率先して働いている内に、新入りの奴からリトルチーフと呼ばれて煽てられるようになった。 そして俺自身も、これが俺の天職では無いかと思うようになっていた。
その油断が命取りだったのだろう。 俺は小ぶりのサメに油断をしたままとどめをさそうと思い左手を噛まれてしまって大怪我を負ってしまった。 鋭い歯で手のひらがざっくりやられていて、血がドクドクと出ていた。 すぐに止血と消毒をされ、包帯を巻かれて船室に放り込まれた。
幸い骨と皮膚が繋がっていた事もあり10日も過ぎる時には大きな跡は残るけど傷自体は塞がると言われた。 ただし小指と薬指の腱が切れたままで塞がった事で、自由に動かす事が出来なくなっていた。 船を降りたあとに手術を受ければ動くようになるらしい。
船長とチーフからは働くのには問題無いと言われて元の仕事に戻る事になった。 まだ完全に塞がっていない傷跡に海水が染みて痛かったけど、働かないと食べさせて貰えなくなる事は分かっているので黙って従うしか無かった。
新入りの奴はヨーロッパ系らしく片言の英語の単語とジェスチャーで俺と意思を交わす事が出来た。
聞いたらそいつは寄港した国にある国営カジノで大損し、さらに地元マフィアに借金までして賭けをしてしまった事でこの船に売られてしまったらしい。 ヨーロッパ人なのにこんな辺鄙なアジアの島国にいたのは、マフィアのボスの女に手を出して逃げていたかららしい。
借金は今回の4ケ月の航海だけで返せる額らしく、ちゃんとここで働けばそのまま降りる事が許されるそうだ。
船長にその事を聞いたら俺は日本のマフィアから4,5年は返さない様に言われていると言われた。
どうやら俺がトラブルを起こした店か女がマフィアと繋がっていたらしい。
親父とお袋と妹がどうなったのか一瞬考えたけれど、俺の事を軟禁する様な奴らだし俺と同じような目に合ってたらいい気味だと考えたら胸がスッとした。
左手の小指と薬指が上手く動かないけれど、工夫次第で問題無く働く事が出来た。 面倒だったら切り落としてやると言われたけど直る可能性があるのに切り落とすなんて馬鹿な事をするわけない。
船での食事にはなれてしまった。たまにジャンクフードとコーラが恋しいと思うけれど、無くても問題無く働く事が出来るのに気が付いて来たからだ。
新入りの奴はコックの経験があるとかで、電子ジャーをうまくつかって麺料理を作るようになった。 マグロのミンチとトマトの缶詰と調味料で、ミートソースパスタみたいなものを作って振舞ってくれた。 味の変化に飢えている船員達にも好評で、新入りはコックと呼ばれ賞賛されるようになった。 奴は調子に乗ったのか、船から降りたら店を持つと言うようになった。
そんなコックだが1回目の転送船が帰った翌日に病気になった。 調子悪そうだなと思っていたらいきなり吐血し倒れたのだ。
すぐに船長から船員達にコックを船室に閉じ込めるよう命令が下り運ぶことになった。 船長の見立てでは何かの寄生虫か感染症の疑いがあると言っていた。 けれどコックの為に最寄りの港に立ち寄る事は出来ないそうだ。 転送船を呼び戻して乗せられ無いのかと言ったら、コックは借金のカタとして乗せられたので、船員登録もパスポートも無く、転送船に乗せてバレたら何かいちゃもんつけられて保険金が下りなくなる可能性があるらしい。 だから所定の港で無ければ降ろせないらしく既に遠い海の上なので、自力で治らなければ海に流すしか無いそうだ。
俺はゾッとした。俺の状態と同じだと思ったからだ。
俺はさっきコックを運ぶ奴の吐いた血に触れていた。 もしその血に寄生虫の卵や病原菌があったのなら、俺も同じになってしまうかもしれない。 俺は急いで船長に頼み海水をくみ上げるポンプの水をぶっかけて貰った、裸になって体中から海水を浴び続けて洗い流されるのを祈った。 コックの事を心配したが、考えれば奴は俺に病気をうつした奴かも知れない。 そう考えると奴は加害者で俺は被害者だ。 畜生!もし元気になったら謝罪と賠償を要求してやる!
そんな風に思っていたが、翌日コックは冷たくなっていた。 コックは自らの血や汚物で汚れた毛布に包まれたまま海に放り出された。
幸い俺も船員も同じ病気にかかった奴が出て来る様子は無く航海は続いた。 ただコックが作る様な美味しいパスタは食べられなくなった。
船員の1人が似たようなものを作ろうとして、ドロドロの小麦粉が溶けたものが入った生臭くて塩辛いトマトスープを作った。 そいつは船長に殴られ、コックの様なパスタも、その不味いスープも、出て来ることは二度と無かった。
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