第58話 ドーピング

「予選通過?」

「そうみたい」

「すごいじゃんっ!」

「奇跡だ・・・」

「成長期だよっ!」

「そ・・・そうかっ!」


 100m自由形予選、俺のベストタイムを0.22秒更新して予選8位で通過した。 ドーピングでも疑われたのか、試合後に採尿をするように言われてトイレに連れていかれた。


 記録が一気に伸びる現象について、俺には心あたりがあった。 リュウタの舎弟達を撃退していた頃に体に力が溢れて来た感覚を感じた時と同じ感覚を、修学旅行の奈良公園で鹿に襲われたオルカを守るために撃退した時にも感じていたからだ。スミスに聞いたけれど、その場で俺の体に何か変化は起きておらず、その後の肉体の成長も人間の成長速度の範囲で起きていると言われていた。

 スミスから説明を受けた事で、これはただの潜在能力が開放されただけだと思う事にした。 長い鍛錬の果てに得るものを短期間で得るのはズルの様に感じるけれど、それでも真剣に鍛錬をしていたのは事実なので受け入れる事にした。


 同日行われた決勝ではさらに記録を0.11秒伸ばして6位でゴールする事が出来た。 またドーピング検査をするため採尿を受ける事になったけれど、スミスの憑依体が居るぐらいで、多分何も出ないと思う。


『でません』


 やはりスミス成分はドーピング検査では出ないらしい。


 オルカは400m自由形でタッチの差で2位となってしまった。800mなら国内で敵なしに近いけれど国体では800m自由形の種目は無いため今年のオルカの国体は準優勝という結果で終わってしまった。しかしオルカは気にしている様子は無かった。オルカにはそういう大会で良い記録を出さなければという気負いみたいなものは無いのかもしれない。


 大会が終わると閉会式を待たずとんぼ返りをした。 江戸県に政府中心があった時の重要な貿易拠点であり重要な軍事拠点であり、それに関連する史跡の宝庫であるここを1日ぐらい観光できたらと思うけれど、学生が本分だからなのか最低限の日程で帰る事になった。 水泳部顧問に案内されて美味しい所とお土産物屋はきちんと回ったけれどね。


「今度ゆっくり観光したいね」

「そうだね・・・」


 とても疲れていたのか帰りのバスも新幹線も殆ど居眠りをしていた。 バスに乗る前に肥前ちゃんぽんを大盛で食べてしまったのが原因かもしれない。


「そろそろ着くわよ」

「はっ!はいっ!」

「うにゅ?」


 オルカから可愛い声が聞えたような気がしたけれど、起きなければならない。


「ほら着くってさ」

「ずっと寝てた~」

「あなた達、ずっと寄り添って寝てたわよ? 本当に仲がいいわね・・・」

「体がガチガチです」

「体伸ばしたい・・・」


 駅に出たあと水泳部顧問がタクシーで俺達を家まで送ってくれた。 学校に請求が行くのかもしれないけれどバスで帰るのが面倒と思ってたので有難かった。


「「ありがとうございます」」

「明日学校でね」

「「はい!」」


 タクシーで去っていく先生を見送ったあと、俺はオルカと手を振って別れた。


「ただいま~」

「おかえり! どうだった?」

「入賞したよ」

「すごいじゃん!」

「はいお土産」

「ブレッド?」

「ブレッドとビスケだよ」


 この世界の長崎に当たる肥前は、オランダではなく英国と貿易していたため、カステラではなくブレッドという名前のスコーンの派生の様な甘い焼き菓子が名物になっている。 味付けはカステラに似ているのに、見た目と口触りはスコーンの様な感じというもので、色々複雑な文化によって生まれた産物なんだと思う。

 ビスケは甘くないスコーンにこし餡を挟んだようなもので、ブレッドを作ろうとして砂糖を入れ忘れたものに、甘く煮詰めた豆を潰して挟んで売ったた人気になったとというものらしい。 名前はビスケットから取られたという事は分かっているけれど、なぜそれから取ったのかまでは伝わっていないらしい。


 お土産は旅行用バッグには入らかなったので、紙袋に入れて貰っていた。 だから俺はそれをそのままユイに渡した。

 俺が靴を脱いでリビングに行く前に、ユイは既にそれをみんなの前で開封し始めていた。


「これって何?」

「カラスミっ!」

「カラスミって何?」

「珍味だっ」

「美味しいの?」

「あぁ」

「食べたい!」

「これは少しづつ切ってちびちび食べるものなんだ」

「お父さんがたこわさ食べる時みたいに?」

「そうだ!」

「私たこわさ嫌い・・・」

「ユイには早いかもなっ」


 ユイと義父はカラスミに夢中らしい。


「お疲れ様、夕飯すぐに食べる?」

「みんなと同じで良いよ」

「お風呂入れてるけど疲れているなら入って来たら?」

「荷物片づけないと」

「こっちでやっておくから大丈夫よ」

「わかった」


 こう見るとユイと義父は性格が似ていて血がつながって居るんだなと思う。


「タカシ君お疲れ様、いい成績だったんだって?」

「6位だったよ」

「すごいなぁ・・・誰の血なんだろう?」

「努力じゃないかな」 

「それもそうだね、ユイも君も頑張って凄い子になったんだ」

「そういわれると恥ずかしいよ」


 ユイが3つづつあるブレッドとビスケの箱を見て首を傾げていた。


「部員たちと親分へのお土産だからね?」

「あっ! はーい」


 俺はユイに釘を差すと「ユイカさんブレッド食べて良い?」「ご飯を食べ終わってからね」という声を背後に聞きながら、お風呂場に行った。


「俺にしては上出来だよな?」


 リビングを出る時に、ぽつりと俺はつぶやいていた。

 実は予選を突破した時に期待をしてしまっていた。 4位以内に入ればリレーチームのメンバーとしてオルカと共にオリンピック代表候補になれるんじゃないかと。 けれど本来の俺からしたら6位入賞は上出来な筈だ。 元々公務員や公益法人の職員を目指すという目的を持って生きて来たのに、随分欲張りな事を考えるようになってしまったと反省した。


---


 風呂に入って夕飯を食べた。 いつもより遅い時間だったけど、俺が帰って来るまで夕飯を待っていたらしい。


 部屋で横になったけど新幹線で寝ていたからか寝付けなかった。

 扉がノックされたので「はい」というと、ゆっくりとユイが入って来た。


「お兄ちゃん何かあった?」

「どうして?」

「いつもより元気が無いから」

「そうだな・・・」


 ユイが俺が横になっているベッドに腰かけた事で、ギシッと音がしてベッドのマットが少し傾くのを感じたら。

 部屋の灯りが消えて居たので、扉が開いた時はユイの姿が見えていたけれど、扉が閉まった事で、窓から差し込む月明りらしい薄明かりだけで、輪郭とユイの目の光の反射ぐらいでしか様子が分からなかった。

 けれどユイがじっと俺を見ている事はその目の光の反射で分かった。


「俺は欲張りになったなと思ったんだよ」

「欲張り?」

「今までの俺の成績じゃ予選突破すら出来る状態じゃ無かったんだよ」

「そうなんだ・・・」

「それなのに予選突破した時に自分に期待しちゃったんだ」

「何を?」

「4位までに入ればオリンピックのリレー選手になれるんじゃないかってさ」

「オルカちゃんと一緒に行けると思ったの?」

「そうだね」

「調子に乗っちゃったんだ」

「調子に乗ったんだな」


 ベッドがさらギシッっと鳴ったと思ったら。ユイは横になっている俺の方に倒れ込み、俺の胸に顔をうずめた。


「ユイ?」

「そっかぁ・・・お兄ちゃんでも調子に乗るんだね・・・」

「えっ?」

「今までさ、お兄ちゃんの事、何でいつもこんなに落ち着いていられるんだろうと思ってたんだよ」

「落ち着いてる?」

「だって長身でスポーツが得意で成績優秀でカッコいいんだよ?」

「カッコいい?」


 笑顔が張り付いていて3枚目だと思うのだけど。


「お兄ちゃんは、もっと調子に乗っててもおかしく無いんだよ」

「そうなのかな?」

「お兄ちゃんの周りってすごい人が多いじゃない?」

「親分やオルカの事か?」

「ジェーンちゃんとか綾瀬さんもだよ」

「あいつらは凄いけど、俺の周りにはいないだろ」

「いるんだよ」

「そうか?」

「うん」


 憑依体のスミスはともかく、綾瀬と本体のスミスとは必要以外の接触はしていないと思うのだが・・・。


『ユイ様は異能にあたる力で確信しています』

(どういう事?)


 スミスの憑依体がユイの断定的な物言いの注釈をし始めた。


『ユイ様は、あなた様に向けられる他者からの視線の時間や密度を観察し、あなた様に向けている興味の度合いを判断していいます。それについて、ユイ様は異能に当たる力の行使によって人類の能力を逸脱した正確性を持っています』

(なんだその力は・・・)


 ゲームでの俺が持っていたヒロイン達の主人公への好意を察知するという特殊能力みたいなものだろうか。


「ジェーンちゃんが一番お兄ちゃんの事を思ってるんだよ?」

「えっ?」

『我々はあなた様に強く興味を持っていますから』


 ユイの異能はそういう事も感じているのか・・・。


『あえて隠そうとはしませんでしたので・・・』

(何でだよ)

『この年齢の女性は男性にランク付けして、上位に付けたものにアピールする事は平均的な事ですから』

(そういう事ね・・・)


 スミスはスミスらしい理由でそうしていたらしい。


「そしてお兄ちゃんは私の事を思っているんだよ?」

「妹だからな」

『違うってバレてますよ』


 俺がユイを思っている事は、スミスの憑依体だけではなく、ユイ自身にもバレているらしい。 気持ちを封印し、表に出していないつもりだったけど失敗していたようだ。

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