第46話 膝枕
俺の100mバタフライの予選は、元々ギリギリ標準タイムを超えて出場している状態なので選手たちの中でも遅い方になる。 1組目の2コースで泳ぎ全体6位。 決勝進出には遠く及ばない。
100m自由形の予選は3組の6コースで出場した。 そしてベストタイムを更新して同組1位でゴールした。 けれど問題なのは決勝に残るタイムでゴール出来たかだ。 電光掲示板を確認すると現在の所、出場選手たちの中で2位に位置していて、決勝に残れそうな感じだった。 俺はその場でガッツポーズをしたい気分だったが、次の組の選手紹介が始まる前にプールサイドにあがらなければならない。
「またベスト更新?」
「0.12だけね」
「とりあえず決勝には行けそうだね」
「そうだと良いけど」
観客席に行くとお袋とユイとオルカとスミスと水泳部顧問が横並びに座っていた。
水泳部顧問とお袋とユイは俺の接近には気が付かなかったがオルカが先に気が付き話しかけて来た。
「お兄ちゃんお疲れ様〜」
「頑張ったわね」
「なんとか決勝にも進めそうだよ」
「さすが我が部の二枚看板ね」
「私とタカシの事ですか?」
「それしか無いよ〜」
「オルカさんに比べたらタカシの看板は少し地味ね」
「さすがにオルカには勝てないよ」
「日本の水辺かぁ・・・」
俺とオルカじゃ実績が違いすぎて、駅前商業施設屋上の巨大3Dモニターと、スーパーに併設したクリーニング屋の「夕方仕上がり」と書かれた三角立て看ぐらい差があるだろう。
「あなたは私のタカシで良いのよ」
「わっ!恥ずかしいよっ!」
「ユイカさんさすがっ!」
「私も子や孫に言わないといけないわね」
「良いなぁ・・・」
「オルカさんもギュ!」
「ふぅ」
「私も〜ギュ!」
「微笑ましいわね」
「ふわぁ〜」
オルカのお陰で俺は開放されたけど、アットホームなファミリーの様な事を言ってオルカを抱きしめるお袋とユイとそれを賞賛する水泳部顧問のやりとりが恥ずかしい。
前世は68歳まで生きたとはいえ、肉体年齢に精神が引きずられるのるため、母親やはり母親で年下という感覚にはならず母親でいてくれた。
こんな姦しい場所で、母親に抱きしめられて興奮するという事にならず本当に良かった。
「はい」
「ありがとう」
ホテルから貰った氷水を入れた水筒にスポーツドリンクの素を入れた飲み物を差し出される。
「400mの呼び出しが2時頃からだし、お弁当食べたいな」
「俺も決勝を控えてるし食べないとな・・・」
「ここは蒸すし外で食べようよ」
「そうしましょうか」
「ジェーンさんもそれで良いかしら」
「ハイ」
まだ12時にはまだ早いが競技時間を考えたら早めに食べた方が良いだろう。 100m女子の予選が終われば休憩時間に入るし、誰か応援したい選手が出る訳でも無いので観客席にいる意味はあまり無かった。
競技場の外にテントを張ったり、木陰にシートを敷いて休んでいる競技者やその関係者がいるので、俺達もそれにならい、少し離れた木陰にシートを敷いて休む。
「ユイとスミスは他の試合を見に行かないのか?」
「相手チームの事は昨日の夜にミーティングで教えられてるもん」
「ヒツヨウアリマセン」
「なるほどな」
確かにスミスには敵情視察なんか要らないだろうな。
「そういえば義父さんは?」
「こっちの気候が涼しいからか風邪っぽいらしいのよ、だからすぐに戻るつもりよ」
「樺太まで来て風邪とは可愛そうだね」
「暖かくしていればすぐに治るわよ」
「それなら良いけど・・・」
義父さん普段は働き通しだもんな、仕事が休みで気が抜けた時に気候の変化にやられたって感じなのかもな。
「綺麗なお弁当ね」
「やっぱ鮭が多いんだ・・・」
「豪華な幕ノ内って感じだね」
「美味しければ良いんだよ」
「確かに美味しそうだわね」
「タンスイカブツトエンブンガカジョウデス」
「こういうのは考えないほうが美味しいのよ?」
「ユイやオルカなら運動量が多いしすぐに消費しちゃうだろ」
「いっぱい食べるよ〜」
「ご飯半分分けるわ」
「バランスガカイゼンサレマシタ」
「その話なら美味しくなるわね」
学校の手配した旅館から昼食としてお弁当が出ているが、お袋は小さなおにぎりを2個持っていただけだった。 旅館の食事で出たご飯を残し握っておいたものらしい。 会場で弁当を売っているテントがあったのでそこで買っても良いと思うけれど、お袋はそれで充分らしい。 俺達は朝食がバイキングだったし、試合前に全部食べるのも重いので、俺とオルカはお袋におかずを取り分けた。
「やっぱり樺太は涼しいのねぇ」
「日差しも柔らかいですね」
「寝っ転がると気持ちいいぞ」
「寝るにしても軽くにしといた方がいいよ、体が固まっちゃうから」
「さすが日本の水辺ねぇ・・・」
「しっかりしてるわ・・・」
「起きたら念入りにストレッチするよ」
「それなら良いけどさ・・・」
そよそよと吹く風が前髪を撫でて行く。 ウィンドブレーカーを着ている事もあり、涼しさ以上の冷たさは感じない。
「それで水辺さんは立花君とつきあってるの?」
「あら・・・」
「まだです・・・」
「清い交際をするなら学校は何も言わないわよ?」
「あの人と違って奥手なのかしら?」
「あの・・・」
日本の水辺もおばさんパワーには圧倒されてタジタジになるらしい。 俺は余計な事に口を挟むと面倒になると思い、そのまま意識を手放す事にした。
---
「そろそろ起きた方が良いよ」
「んあ?」
「1時回ったよ、体を解したいから手伝ってよ」
「あぁ・・・」
シートの上にはお袋と水泳部の顧問はおらずオルカだけが残っていた。
「みんなは?」
「ユイカさんは夫が心配だからってホテルに戻ったよ。 ユイとジェーンは体育館の方を見に行った。 先生は試合の状況を確認にいって早まりそうなら知らせに来るって」
「それで何で膝枕?」
「いけなかった?」
「いや、嬉しいけど・・・」
そんな事をするから体が固まり体を解さなければならなくなったのでは?
「あまり力を入れないでゆっくりお願い」
「了解」
普段は同性の部員同士でしているストレッチの補助だが、ここには俺とオルカしかいないので男女で行わなければならない。 本人は小さめというけれど、女性ならではの柔らかい体を触ってしまうのが気恥ずかしい。 でも日本の水辺であるオルカは、そういった事をあまり感じて無いのか、体を俺に体を押し当てられているのに気にしたりはしなかった。
「タカシは体大きくて力強いねぇ・・・」
「強かったか?」
「ううん大丈夫」
オルカは体が柔らかく関節の可動域が広い。 俺は少し固いので羨ましく思う。
「次はタカシの番だね」
「お手柔らかに」
普段はストレッチの時に坂城とペアを組む事が多いので、オルカとするのは新鮮だ。 やはり色んな所が当たってしまって気恥ずかしく感じてしまう。
「タカシは固いねぇ・・・岩みたいだよ」
「速筋が多いのと関係あるのかな?」
「体質もあるけどストレッチを続ければ誰でも可動域は広がっていくよ」
「家でもストレッチするようにしようかな・・・」
「それが良いよ私も手伝うし」
「分かった、ヨガマットみたいなの買っておくよ」
「ユイのもね」
「帰ったら一緒にスポーツ用品店に行こうか、新しい水着も買っておきたいんだよね」
「新しい水着なら会場で売ってたよ」
「あれって古いモデルじゃない?」
「まぁね・・・私はセームを買ったけど」
「あれはデザインとか無いだろ」
「まぁそうだね」
競泳水着の新モデルは前シーズンの秋に発表される。 この時期に売られるのは在庫処分の意味合いが強い。 オルカには既にスポンサーが付いていて、新モデルの水着が送られて来るようになっている。 国体前にそれが送られてくれば、オルカはそれを着て参加する事になるらしい。
俺は今回去年だったら少年の部での国体に出場出来る記録を超えたが、青年の部の記録は越えなかった。 本来なら高校2年生は成年の部へ挑戦となるが、俺は早生まれだったので少年の部で出場が可能となる。 ただし同一種目の参加者は同一県で4名までらしいので、俺より早いタイムの人がいた場合参加出来ない。
決勝でベストタイムを更新して国体出場を確実なものとしておきたいと、少し張り切っていたりする。
「体が大きいし固いから、ストレッチ手伝うだけで重労働だよ」
「試合大丈夫か?」
「それまでには体調万全だよ、それより少し歩いて体温めておこうよ」
「了解」
俺とオルカは貴重品だけ持って、競技場の周辺の遊歩道の様になってる場所を歩き出した。ストレッチで汗ばむぐらいになっていたので、涼しい風が逆に心地いい。
「オルカは気負い無いんだな」
「そりゃ同年代相手ならね」
「相手は世界か・・・」
オルカは既に世界を相手に戦っている。400m自由形では去年国体で優勝をしているし、今期はライバル選手の方が社会人の選手権でオルカを上回る記録を出したらしいけれど、高校では負けなしが続いている。さらに今季は800m自由形で社会人を含めた中で一番の記録を出しているため五輪の日本代表が内定と言われている。
オルカの長距離のライバルだった大学生の選手は、オルカが1500mに出ない事もありそちらでは日本最速とみなされていて来年の五輪選手に内定と言われていた。しかし今季は少し記録がふるっておらず、800mと400mの記録についても今期はオルカに負けているためか、五輪への出場を終えたら、そのまま競技者とし引退するという話が出ているらしい。オルカの台頭で第一人者ではいられないと思ったのかもしれない。
その女性は中学校の頃から、長い間国内最速の長距離選手として君臨し続けたけれど、世界大会では記録を残せておらず、来年の五輪での記録が振るわなければ無名な選手として選手生命を終えてしまう事になるかもしれない。
水泳選手として生きるというは本当に大変な事なんだとしみじみと思う。
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