第15話

 あのときは異様だった。背中にケーケー&エンジニアリングと英字でかかれた作業着を着た数人が、工具箱のようなものをもって、新幹線の通路をそそくさと小走りで駆けていった。特に悲鳴や異音や異臭がするわけではなかったので、僕は文庫本の小説をよんでいた。するとしばらくして、「車両下部の台車に深い亀裂がはいっていることが判明したため、安全のために緊急修理いたします。大変申し訳ありませんが、皆さま、次の名古屋駅で降りていただきますようお願いいたします」と、車掌からアナウンスが入ったのだ。とたんに車両がガヤガヤしだした。携帯電話をかけるものや、どういうことだ? という怒号。名古屋駅に到着するまで、僕は座席で小説の続きを読んでいた。


「いえ、その記憶は違います」


 走馬燈のなか、新幹線の前の座席が回転し、僕と向かい合わせになった。

 「重大インシデントなど起きておりません」目の前に光り輝く顔をもつ男が現われた。

「あんたが、小さな太陽か」返事はなかった。


「あなたが工場をとめてくださるのですね」僕はうなずく。

「どうしてあなたが操縦桿をもっているのです? 後ろのかたがもつものと私は思っておりました。あれだけの闘いで唯一無傷で生き残ったのですから、今回も最後までやり遂げてくださることでしょう」

「今回は僕がやりたかった。やらないといけない気がしたんだ」

「なぜそんなに思いつめているのです? どうせこんなチンケでだだっぴろい世界なのですから、そんなに期待なんかせずに、のうのうと生きていけばいいのではないでしょうか?」

「家族が辱められたんだ」

「誰にでしょう?」

「可能性に決まっている」

「はい。存じ上げています。可能性たちがあなたのお家の前を通りかかっているときに、ちいさな子供が、幽霊がいる! といって騒ぎたてたので、口封じに思考を奪ったと報告を受けています」

「真実なのだろうが、聞きたくはなかった」僕の心臓の鼓動がドクドクドクと激しくなってきた。

「誤解されていると思うので補足させていただきますが、可能性たちは、だれかれかまわず思考を奪いとったりはいたしません。濃密で重厚な質量と、鋭敏な想像力を合わせもった珍しい思考だったので、とっても欲しくなったのでしょう。誤解を恐れずにいいますと、いわゆる珍味だったのです」僕は、無性に腹が立ってきた。

「もし、息子が可能性に気づかなかったら、家族は辱められなかったということなのか?」

「もちろんそうでしょう。可能性たちは琵琶湖の北西にある古墳をめざしていたようですから」

「僕にも妻にも霊感がないのに、何故、息子に霊感があるんだ」

「いえ、あなたも、あなたの奥さまも、そしてあなたの娘さまも、肥沃な想像力を授かられています。それはいまも、ヒシヒシと感じます」

「そもそも想像力って何だろう?」

「それはあなた自身に聞いてみてください。たとえば霊感のように、疑わないココロといいますか、清いココロといいますか、いたってシンプルなことなのではないでしょうか」僕はいままでの人生を振り返って、他人との違いについて考えてみた。しかし実際には、性格や感性や身長など、違う部分なんぞとても多くて、よくわからなくなった。

「あなたは現実を信じていますか?」

「現実? 信じるもなにも、それ以上でもそれ以下でもないだろう」

「そうでしょうか? 自分の胸に手をあてて考えてみてください。いや、目をつぶって感じようとしてみてください。現実とは、あなたにとって、全てでしょうか?」僕は、目をとじて、世界を感じようとしてみた。世界と対話しようとしてみた。そのとき、ふと、砂漠に円盤がぶっ刺さっている光景が脳裏をよぎった。これは現実なのだろうか? いや現実ではない。

「そうです。その光景は、あなたにとって何を意味するのでしょう」

「たぶん、絶望にうちひしがれているなかでやっと死ねるという幸福感と、いや、それをも超えていこうとする生への執着、それらの両面がぶつかりあっている情景だと思う」

「それはあなたにとって、はたして『現実』でしょうか?」


 僕は合点がいった。「ノー、『超現実』なり」


「その通りです。あなたがた人間は、なぜ、こんなだだっぴろい有限な世界よりも、自分のまわりにあるちっぽけで無限の超現実を大切にしないのでしょう。私には想像力が枯渇しているとしか思えません。そんな人間たちには死んでいただいでかまいません。このままこの新幹線を脱線させましょうか」


 突然、ポケットの携帯電話が鳴る。僕はとっさに操縦桿をあげる。背後でツナギが何かを叫んでいるが、よく聞こえない。


 僕らを乗せた円盤は、工場をかすめて、奥の砂丘に突っ込んでいく。

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