第9話
俺はウォーターバルブを閉めて、一番最後に工場に入ったんや。サイレンが鳴り響くなか、必死に水があたらない場所を選びながら、死んでいく仲間に目もくれんと、階段を上へ上へとのぼっていった。最上階に工場長室はあった。工場長室に入ると、奥のデスクに工場長が座っとった。可能性たちのような白い見た目とちごて、顔はまるで太陽のようなまばゆい輝きを発しとった。工場長はすうっと立ち上がり、こっちに向かってゆっくりと歩いてきて、部屋の真ん中にある来客用の椅子に座るようにすすめてきたわ。俺はうながされるまま椅子に座り、向かい側に工場長が座った。まばゆい顔の後ろには、髪の毛の代わりなんかわからんけど、フレアのようなもにょもにょが生えとって、服装はブラックスーツみたいな格好やった。まるで太陽男、いやちゃう、小さな太陽や。その小さな太陽は、私のところまで良くたどりつきました。たいしたものだ。と俺をねぎらい、煙草をすすめてきよった。やつは、顔の下半分にある、左右に長く割けた空間に煙草をくわえ、髪のフレアを手で引き寄せて火をつけた。煙をどこから吐き出しているのかようわからんかった。俺はくわえた煙草に思考で火をつけて、煙を体一杯に吸い込み、蒸気機関車のように鼻の穴から勢いよう、ふうっーとふき出した。ほいだら小さな太陽は、「良い吸いっぷりです。少し話をしましょう」といいやがった。
「工場はそろそろ休みたいと思っているようです。それはそうです。かなり太古の昔からこんにちまで、ずっと煙を吐き出しつづけ、世界をつくりつづけてきたのですから。意外ですか?」俺はウンとうなずいた。
「ご存じと思いますが、世界はひとつだけではありません。いくつもいくつも世界があって、あなたはそのなかのトアル一つの世界のなかに居るに過ぎません。横軸を時間、縦軸を質量としましたら、世界は横にずっと永遠に連なった一団の塊ではありません。縦に包丁をいれて、無限に輪切りにしたその一枚一枚が世界なのであって、そのうちの一枚があなたの居る世界なのです」
俺が、よう分からん、という顔をしとったんやろう、小さな太陽は、一枚の意味が分からないのですね? といい、俺はうなずいた。
「一枚の世界のなかには、何があるんや?」と俺はたずねた。
「ほとんどのものがあります。愛、宗教、戦争、水、美術館、食べ物、機械、夢、生命体。人間が生きていくのに充分なものがそろっていますし、工場はかなり豊富な質量を効率よく分配して、世界を構築しています。人間が感じないものも多く放出しています。よく目をこらして、よく耳をすましてごらんなさい」
「時間はないんか?」
「世界のなかに時間は存在しません。その証拠に、世界の始まりと終わりはいつも同じ時間です。人間は、時間なんかに振り回されているのではなく、自分が感じとれないその他の多くのものに目を向けるべきです」
「いうても、実施にいま、時間が経っとるんやないの?」
「まやかしです。経っているように感じるだけです。死んだらわかります。生まれた時間と死んだ時間は完全に一致しています。ですので、そのあいだの生きていた時間は、在って無いようなものなのです」
「なんで工場は休もうとしてんの?」
「直接工場と話ししたわけではないですが、おそらく、疲れたのでしょう。さきほども言いましたように、世界のなかには人間が感じないものも多く含まれています。それを誰も使ってくれない、使おうとしてくれないので、嫌気がさしたのではないでしょうか」
「人間以外が使ったりせえへんもんなん?」
「思考をつかえないと難しいでしょう。思考の原料である想像力が、それらを感知するセンサーのはたらきをします」
「想像力?」
「そうです。世界は想像力を通してしか見ることができない物質で満たされているのです」
「人間がそれらを感知できない程度の想像力しかもてないのであれば、あなたに工場を止めていただきたいのです」
どうやって?と俺は質問した。
「空に浮かぶ飛行物体にのりこんで、工場に突っ込んでほしいのです」
「工場に突っ込むとどうなるんや?」
「工場は重大なダメージを受けることになります。もはや立ち直れません。いずれ煙は止まり、全世界がフリーズします。でも大丈夫です。そもそも世界一枚一枚に時間など在りませんので、世界のシステムは今までとなんら変わりありません。そして何よりも、可能性たちが人間を襲うこともなくなりましょう。ハッピーエンドではないでしょうか」
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