第3話
その生命体が去っていったので、僕はぼーっとまわりを見回した。ふと目についた水面に近づいていくと、そこはなじみのある琵琶湖のように見えた。波はなく、ブッシュとよばれる草が生えている。潮のにおいもしない。僕は湖のなかに少しずつ入っていった。足首まで入ったが冷たくも温かくもない。単なるぬるい液体に間接的に触れているだけという感じだ。目の前に黒い大きな物体が近づいていることに気がついた。その瞬間、何者かに手を引っ張られ、気づくと機械のようなものに乗せられていた。先ほど僕が立っていた砂は大きくえぐり取られ、黒い大きなしっぽが湖へと消えていった。昔、琵琶湖博物館でみたモササウルスの化石のようだった。
ゴオオオォォーン、ゴオオオォォーン
僕は思わず顔をしかめた。鐘のような音が空気をビリビリと震わせながら、空気の隙間から僕の鼓膜をひっつかんで揺さぶってくる。
キィーンギュォ~ン。トタンの食器を銀のフォークで狂ったように引っかき回しているかのような、やけに心地の悪い高周波。
ザザッ、ヂ~、サイコロダ
賽子?
ハダカノサイコロダ
裸のサイコロ?
耳が慣れてきたのか、なんとなく会話ができるようになってきた。
ヤツラガセカイヲ作ッテイル
奴ら? 誰のことだ?
斜め後ろに気配がした。白いシーツのようなやにこい薄皮をまとった連中が、いそいそと蠢いている。例のベイマックスだ。祈るように。背中をグッと折りたたむように。顔はもやもやして、やや橙色か、桃色か。見る角度や時間によってぐにゃりと変わる。時空を創造しているのか?
シラナイホウガイイ…… 誰かが、そう言っているように聴こえる。
よくわからないや。
ゴオオオォォーン、ゴオオオォォーン
「大丈夫か、おみゃあ。わにに喰われちまうところだったにゃあ。ひでえ顔色してやがるにゃ。真っ白じゃねえかにゃあ」また金属音が頭のなかに入ってきた。
「ここはどこ? 琵琶湖じゃないの?」と話したつもりが口がモゴモゴ動いただけだった。
「ツナギを呼んでくるにゃあ」
機械のようなものは車で、その車の扉は大きく丸かった。僕が扉からとび降りると新しい土人が現われた。
「ビワコだってにゃ」
「そうか、おおきに」
車の下で無数の脚がうごめいていた。
「そこに繋いだってくれ。茶でもだすわ」
車の横にモスクのような構築物があり、ツナギと呼ばれる土人は僕をそこに案内した。車に乗せてくれた土人は、ツナギという土人に勧められて、いびつな形をした椅子に座った。
どこからともなく液体が入った器が浮いて運ばれてきて、ありがとにゃと土人は受け取り、ゴクゴクと飲んだ。土人の指は確かに五本あったが、それぞれの長さや太さはバラバラで異なっていた。
「おみゃあ、どこから来た?」
土人と初めて目を合わせた。目は青くて異様に大きく、口は藍色で異様に小さかった。なんとなく宇宙人を連想させた。どう答えたらいいかわからずに黙っていると、
「俺は宇宙人じゃねえにゃあ。おみゃあこそどうみても異次元から来た輩としか思えねえでにゃ。思考は乱れてはいるものの全く殺気がねえし怖がる様子もにゃえ。まるで珍獣だぜ。おみゃあ」
「俺たちは、おまえをどう呼んだらええ?」
背後から落ちつかせる声が聞こえてきた。ツナギという土人だ。ほらよ、茶をすすめてくれた。指はもちろん、全身の姿かたちに違和感はない。
「何とでも好きに呼んでくれ。頭が混乱して、どうも現実と折り合いがつかない」口をうごさなくてもなぜか話せた。そう言って僕は、茶を受け取った。熱くも冷たくもなかった。
「ほな、おまえのことをターコイズと呼ぶわ。あいつのことはジュラルミンと呼んだって」
「ここは何処?」
「ビワコではにゃいことは確かだにゃ」ジュラルミンが言った。
「いまは何時?」
「ビッグバンのはじまりかもしれんな」ツナギが笑った。
湖を見ると、さっき僕を襲ったわにが浮かんで、こっちを見ていた。空高くに、一本の長い線のようなものがずっと在って、空を分断していた。
ゴオオオォォーン、ゴオオオォォーン
ウゴキ…… ウゴキ……
何?
チカヂカ、オオッキナウゴキガアルッチュウウワサヂャア
動き?
オウ、ヒサシブリノドキドキワクワクッチュウヤツヂャ。シュクメイタラチョクメイタライウヤツラシイゾ
宿命? 勅命? 運命ってやつか?
ソンナナマヤサシイモントチャウドォ。イノチガウゴク、ジゲンガウゴク、モットオオキナモンガウゴク、イウコッチャ。ソウゾウヲコエタウゴキヲシヨル
ビビビ…… シラナイホウガイイ…… ゴゴゴォーン……
「ウンドウ?」
「ウンドーにゃ? ん? そいつらはどこへ行ったにゃあ?」
「運動だ…… とか言って、工場の外に歩いていった」
土人たちは目を合わせた。
「可能性たちは、ある時期になると、いっせいに想像力に飢え出すんや。地球の雨期のようにな。ほいで、軍隊蟻のように大移動するんやと」
「可能性?」
「ターコイズ。おまえの世界にいったんや。くいものにされんど。俺の世界もぼろぼろにされたんやで」
ターコイズという響きは、嫌いじゃなかった。
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