瑞木由花 18歳 秋12

 ステージに近づき、楽曲の音が一段と大きく聞こえてくる。もうすぐそこだ。スタッフの驚く顔が、数歩で後ろに流れていく。


 ライトが映える黒塗りの壁の間を進むと、早桜さんが立っていた。化粧でも隠し切れないクマで目元を染め、体中から疲労をにじませ、けれどきっちりとスーツと化粧をして、凛と立つ大人の姿。


 義務を全うして、自分の行動の責任を自分で取って。


 初めて会った時は、いけ好かない人だった。今は、格好いい大人だと思う。


 でも。


「ここは通さないわ」


 早桜さんが立ち塞がる。その背後からエレキギターがかき鳴らされる音がびりびり響く。あの暗幕の向こうがステージなんだ。


「通ります。おねーちゃんを助けたいから」

「あのオカルトじみた病気の話? ばかばかしい。いったい何があなたをそこまでさせるの?」

「だってわたしは、おねーちゃんが好きだから」


 失笑した早桜さんの目を見つめる。通じるはずだ。あなたは、恋をしたことがあるはずだから。


 早桜さんの笑みが見る見るうちに引きつって、驚愕と困惑に変わっていく。得体の知れないものを見る目。傷つくわけにはいかなかった。きっとわたしは、これから擦り切れるほど、こういう視線に晒されていくのだろうから。


「あり得ない。そんなのおかしいわ。だって姉妹なのよ? 血の繋がった家族なのよ? それなのに、恋愛感情を持つなんて、そんなこと」

「そうですね、わたしはおかしい。でも、おかしいって、誰と比較して? おかしかったらいけないんですか? みんなと同じじゃなきゃダメなんですか?」

「……それに、生物として間違ってる!! 近親交配は遺伝子的に子供に悪影響だってことくらいわたくしでも知ってるわ。それに法律で禁止されてるはずだし、あなたの両親だって、このことを知ったら悲しむはずで……」

「子供が作れなきゃダメなんですか? 法律で禁止されてることは絶対正しいんですか? 両親が望まなきゃ、好きになる相手すら選べないんですか?」


 早桜さんの語気が弱くなる。あなたなら、気付いてますよね、でも、認めたくないと思ってる。


「早桜さん。あなたの言ったセリフは、レズビアンだっていうあなたの友だちや、あなたが助けたいと言ってるマイノリティの人たちが、今までずっと言われてきたことだって、気付いてますよね? なのに、どうしてわたしは異常者扱いし、彼らは救われるべきだと言うんですか?」

「それは、彼らが不当に差別されてきた人たちだから、」

「不当だって決めたのは、誰ですか? わたしを差別するのは正当だって決めたのは、誰ですか?」


 どちらかが、息をのむ。


「それは、当事者たちやその周囲の人たちで、つまり世界中の人たちが持つ常識で、道徳で、倫理ですよね。でもそれは、百年前なら、あなたの友だちのレズビアンを差別するのは常識で、立派な大人なら当然やるべきことだったんですよね。なら、また変わるかもしれないじゃないですか」

「あり得ない。そんなことが、そんな気持ち悪いことが、あり得ていいわけがないわ!!」


 気持ち悪い。面と向かって言われて、傷つくよりも寂しい気持ちになった。ああ、わたしは早桜さんに、思ったよりも心を開いていたんだ。


「……そうですね。わたし自身、正しいとは思ってない。だから、自分のおねーちゃんへの愛を受け入れて欲しいと思ってるわけじゃないんです。そりゃあ受け入れてもらえたら嬉しいですし、そう告白しに来たんですけど」


 口にして、頬が赤くなりそうで。そんな場合じゃないと、心に喝を入れる。


「それくらいわかってます。わたしは、マイノリティの人たちのように、多くのことは望みません。……望めません」


 羨ましいなんて言わない。その人たちは、きっとたくさん苦労して、今の権利を勝ち得てきたはずだから。


 きっとわたしのこの想いを、今の世界に受け入れてもらおうとするくらい、困難なことを成し遂げてきたのだと思うから。


 わかってる。この世界は、わたしたちを受け入れない。


 マイノリティの人たちが救われて、残ったのは、救いの手どころか光すら当てられることのない少数派で。ならその中にいるわたしは、息を殺して世間にバレないように生きるしかないんだ。もしも見つかったら、救う価値のないわたしたちは、容赦なくすべてを攻撃され奪われるだけだろうから。


 病院でキヨにいが言っていた通り。そうできるなら、わたしもきっとそうすべきなんだ。


 でもわたしは、合理的で正しい選択よりも、大切なことがある。


「ただわたしは、このおねーちゃんが好きで好きでたまらない気持ちを、嘘にした

くないだけなんです。たとえ誰が何と言おうと、これだけは真実だって証明したい。間違いでも気持ち悪くても、ここにあるのは本当だから。そのために、ここにきたんです」


 きっとそれは、今はマイノリティと呼ばれる人たちが、差別を否定するため求めた最初の一つと同じはずで。


「理解……できないわ。わたしには、あなたが狂っているようにしか見えない。エリカの病気の話も、あなたの恋愛感情のことも、あなたにとって都合のいい妄想を本気にしているとしか思えない。まるで陰謀論者か狂信者よ」

「なんでもいいです。ただ、そこを通してもらえたら」

「通さない。わたくしは、このライブを守る義務がある」


 わかっていたけど、説得は無理だった。


 一歩、わたしは踏み出した。また一歩。早桜さんとの距離が縮まる。早桜さんは不格好に両手を広げて立ち塞がった。


 手ごわい相手だ。背負っているものも気迫も、今まで向き合ってきた相手の中で段違いに多い。わたしが立ち向かってきた中で一番だ。そう感じて、そんな相手が今までおねーちゃんを支えてきてくれたことに、感謝の気持ちすら覚える。


 でも。


「お願い……止まって」


 わたしを止められるほどじゃ、ない。


 この想いは、誰にも止められない。


 すれ違う。早桜さんに肩を掴まれる。その手に痛いほどの力が籠められ、けれど、徐々に抜けていく。


「あなたは間違っている。……はず、なのに」


 会場が沸いた。エリカを呼ぶ声。おねーちゃんがすぐ傍にいる。


「あなたの言葉と、行動は……、わたくしたちが支援したいと言った、マイノリティの方々の歩んできた歴史をなぞっているようで……。わたくしには、何が正しいのか、わからない……」


 わたしの肩から、早桜さんの手が落ちる。


「……それでも、あなたのやってきたことは、正しいと思います」


 だから、きっと間違ってるわたしのせいで、心を揺るがさないでと思うのは、自分勝手なんだろう。


 答えは、待たない。





 

 幕をかき分け、前へ。明るすぎる照明がわたしの目を焼き、一瞬細めると、そこはもうステージの上。


 闇を貫くビームライトに、観客席で揺れる、宝石箱をぶちまけたような様々な色のペンライト。ファンたちの声が荒波のようで、舞台左右のバンドが生み出すメロディーと共に、わたしの体を四方から殴りつけてくる。


 それらが、一瞬で消え去った。


 だってそこには。


「由花」


 ステージの中央には、今まさに登場したばかりの、おねーちゃんが立っていたか

ら。

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