場崎統司 31歳 秋
「……撒いたか?」
階段の陰からそっと様子を窺う。なんてしつこい連中だ。虹色バンダナのトレードマークのおかげで他のファンとは区別がつけられるのが幸いだったが、あのじゃじゃ馬の相手をするために体を鍛えてなかったら、オレの方が危なかったかもしれねえ。
なんせ、殴られたら殴られっぱなしになるしかないからな。
しばらく覗いていたが、姿は見えなかった。さすがにライブが始まったみたいだし、みんな会場の中に入ったのかもしれない。
それにしてはまだ会場の周りをうろついているファンが多い気がして、ちょっと盗み聞いてみる。どうやら物販と会場から漏れ聞こえるライブの音楽目当てらしい。三十路を超えても世間は広いもんだ。
由花にチケットをくれちまったから、オレはライブが終わるまで外にいるしかねえ。適当に時間を潰すしかないな。
「……にしても由花のやつ、あんなのの相手してたのかよ」
しつこいだけじゃなく危ない連中だ。集団で女子高生を取り囲んで罵声を浴びせるなんざ、常識ある大人なら絶対しないことだってのに、誰一人疑問に思っちゃいなかった。あんなの大人でもキツい。
だからって昨日の件が許されるわけじゃねえが、なんつーか、更紗の言うとおりだ。
――あなたは正しいけど、優しくはないよね。
暴力沙汰を起こした由花をデパートの駐車場に置いて行った後、更紗が口にした言葉。それがずっと、どうしても頭から離れなかった。
――じゃあどうすればよかったってんだ。子供の間違いを正すのは大人の役目だ。オレだって由花にジムを辞めさせたくなかった。けどそうしなきゃ、他の会員に示しがつかねえだろうが。
あの時オレがそう答えると、更紗は首を横に振り、こう言った。
――規則を守らせるだけなら、親や教育者はいらないよ。警察だけいればいい。
オレが守ったのは、上っ面だけの正しさだって言われてるようだった。
……あの日から、オレは自分が由花にしたことと、正しさと優しさが何を示すのかを考え続けている。哲学者にでもなった気分だ。
オレは、ちゃんと優しくしてやれたんだろうか。
由花、オレは、お前にとっていいコーチだったか?
誇れるようなやつじゃなかったかもしれないが、信頼できる、くらいは言われてえな。
とりあえず、更紗に電話をしておく。まあ、オレが奴らに絡まれてる由花を見つけて、愛莉の世話を押し付けた時点で、何をするつもりかは想像してるだろうけど。
更紗が出るまで、少しかかった。音楽がくぐもって聞こえる。ああ、会場内は電話禁止か。
「悪い、わざわざ外に出たのか」
『いいよ。それよりどうしたの? そろそろ始まるけど。愛莉も楽しみにしてるし』
『ねえ、プリティーキュアのお歌まだー?』
可愛い娘の声に、自然と口が緩む。エリカは愛莉の好きなプリティーキュアのオープニングも歌ってるらしく、今日のセトリにも含まれているようだ。二歳以下はチケット代が無料で助かった。
「それなんだが、チケットを知り合いにあげちまって、中に入れなくなった。悪いが、二人で楽しんでくれ」
『もう、ライブを見に来たいって言ったのは、あなたなのに』
「まあ、そうだけどさ……。オレはエリカの歌に興味があるわけじゃなくて、アイツの気持ちが知りたかっただけなんだよ」
由花はいいやつだ。けんかっ早いが、善悪の区別はきちんとつく。信念もある。
そして、覚悟がある。いざとなったら目の前のもの全部壊してでも、自分にとって一番大切なものを守る覚悟が。
だから、知りたくなった。由花がオレとの約束を破ってまで守ろうとしたものを。出会ったころはちんちくりんのクソガキだったアイツが、女子高生最強のボクサーに至った根っこにあるものを。
それの尊さを知れば、由花の気持ちが理解できる気がしたから。
わかったところで、何ができるわけでもねえのに。
更紗の声が柔らかくなる。
『わかろう、歩み寄ろうとする姿勢そのものも、優しさの表れだよ。大丈夫。ここに来たあなたなら、きっとわかってあげられる』
「……そっか」
まったく、敵わねえなあ。
『ああ、もう始まっちゃう。……それじゃあ、また後でね』
「ああ、愛莉を頼む」
電話を切り、可愛い娘と、オレにはもったいねえくらいの嫁さんがいる、ライブ会場に目を向ける。二人が楽しんでくれればと、心の底から祈る。
そして、由花のことを思う。
お前が何をしようとしているのか、オレはわからない。だが、例えどんな間違いを犯しても、オレはお前の味方でいる。罪を犯したなら、ちゃんと叱り飛ばして説教してやる。償うのなら、見守ってやる。オレは絶対にお前を見捨てない。
どうせお前のことなんだから、お姉さんのためになることに決まってるしな。
だから、頑張れ。
頑張れ、由花。
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